緒方義大(おがた・よしひろ)|第39期・陸上自衛隊

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緒方義大は昭和46年12月23日生まれ、長崎県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第39期(管理)の卒業で職種は普通科だ。

 

平成29年8月(2017年8月) 陸上幕僚監部人事教育部厚生課家族支援班長・1等陸佐

前職は第28普通科連隊長兼函館駐屯地司令であった。

 

なお、第28普通科連隊長であった頃の指導方針は以下の通り。

【連隊長統率方針】
常在戦場・錬磨無限

【要望事項】

精強な部隊・隊員の育成
現地・現物・現場主義

 

2017年12月現在、陸上幕僚監部人事教育部厚生課家族支援班長を務める緒方だ。

生家は商売を営んでいるが、父親から「家業は考えなくて良いので社会の役に立て」と言われ自衛官になることを決意。

無事に防衛大学校を卒業し、初任地である第13普通科連隊(松本)に赴任したのは平成8年であったが、この年はちょうど長野で冬のオリンピックがあった年にあたる。

そして開会式において、オリンピック旗の掲揚をアシストする任務を与えられたが、いきなりの大役に緊張するものの、「上手く行って感動した」と当時を振り返るなど、思い出深い任地となった。

 

その後、群馬県の第48普通科連隊(相馬原)や静岡県の第34普通科連隊(板妻)などで現場指揮を執り、また陸幕では運情部(運用支援・情報部)、教育訓練部、人事部などで要職を歴任。

平成26年7月に1等陸佐に昇ったので、39期1選抜(1番乗り)から半年遅れとなったが、その1年後の平成27年8月には北の要所・第28普通科連隊長兼函館駐屯地司令に補職された。

1等陸佐に昇って、いきなりの大役である。

 

 

さて、その第28普通科連隊についてだ。

緒方が連隊長として補職されていた第28普通科連隊は北海道・函館に所在する部隊であり、函館競輪場と函館競馬場に隣接するという、恐らく日本でここだけであろうという 夢のような 特殊な駐屯地になっている。

また、津軽海峡にも面しており函館空港に隣接するなど、地形上、空・海からのアクセスが共に容易であるという地理的特性を持っている。

 

そのことが影響してのことであろう、この第28普通科連隊は、1976年に発生した「ベレンコ中尉亡命事件」の舞台となったことで知られる。

この際には、おそらく自衛隊史上唯一と言っていいだろう、現実の交戦を意識して出動準備が為され、一線級の部隊が臨戦態勢に入ったことが後に明らかになった。

 

なお、「ベレンコ中尉亡命事件」は1976年に発生。

ソビエト連邦空軍所属のベレンコ中尉が亡命を目的として演習中に編隊を離脱し、そのまま日本に領空侵犯し北海道上空に侵入。

当時のソ連において最新鋭戦闘機であったMiG-25とともに、函館空港に強行着陸を果たした事件だ。

 

この事件に際しては、冷戦の真っ只中に発生した事件でもあったことから、ソ連が直ちにベレンコ中尉の身柄とMiG-25を奪還しに来ることが想定されたため、函館周辺の陸海空各部隊の緊張状態は極限まで高まる。

海上自衛隊は大湊地方隊を中心に函館周辺に護衛艦を出動させ、海からの着上陸に備え、航空自衛隊はF-4戦闘機による哨戒飛行を24時間体制で展開。

そして第28普通科連隊では、函館空港に着上陸することが予想される敵性勢力の排除のため、61式戦車と普通科隊員200名による出動準備が完了し、防衛出動に備えた。

従来、北海道でソ連との正面戦力同士の戦闘が起こりうる場合、第3普通科連隊(名寄)や第26普通科連隊(留萌)がその任にあたると想定されていたが、脅威は突然南から発生した形であった。

 

幸いこの時は外交ルートで決着を見て交戦は発生しなかったが、この事件は、我が国が運用するレーダーサイトの能力の低さやF-4EJの迎撃能力(敵探知能力)の低さなど、様々な問題点を明らかにする衝撃的な事件となった。

そのため、防衛政策の大きな転換点になり、文字通り歴史に残る大きな出来事になる。

 

また一方で、この事件に際しては、危機に際し指示を得ず部隊展開を準備した制服組上層部の意思決定に対し時の総理であった三木武夫が激怒。

自衛隊に対して本事件に際しての部隊展開などの教訓を記したものを含め、一切の記録の破棄を命令するという暴挙に出る。

正気とは思えない政治サイドの判断に、当時の陸上幕僚長・三好秀男は辞表を提出し本気の抗議に出るなど、様々な形でこの事件は尾を引くことになった。

 

そのベレンコ中尉亡命事件が発生した時、緒方はまだ4歳で、郷里の長崎で幼稚園に通っていた頃であろう。

そして、それから40年の時を経て函館の守り就くことになったわけだが、やはりこの地も思い出深い任地になったのではないだろうか。

 

時代は下り、冷静体制が崩壊し日本とロシアの緊張関係は緩和が演出されている。

しかしながら、このロシアとの関係が信頼によって結びつくものではないことは、歴史上の様々な教訓が示すとおりだ。

この重要な地で連隊長を経験した緒方の知見は、非常に大きい。

39期組の幹部自衛官として、さらに活躍されることを楽しみにし、そして応援していきたい。

 

本記事は当初2017年8月4日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年12月22日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年8月に公開した当時のものをそのまま残している。

 

◆緒方義大(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
7年3月 防衛大学校卒業(第39期)
8年3月 第13普通科連隊(松本)
12年3月 第12師団付(相馬原)
13年3月 第48普通科連隊(相馬原)
16年8月 富士学校普通科部(富士)
18年8月 第34普通科連隊(板妻)
20年3月 陸上幕僚監部運用支援情報部
22年3月 陸上幕僚監部教育訓練部
24年3月 陸上幕僚監部人事部
26年7月 1等陸佐
27年8月 第28普通科連隊長兼函館駐屯地司令
29年8月 陸上幕僚監部人事教育部厚生課家族支援班長

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 函館駐屯地公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/jgsdf-post/images/hakodate/28renntai/28renntai.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/jgsdf-post/images/hakodate/cyutonnchisirei/cyuutonnchisirei.html

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