田尻祐介(たじり・ゆうすけ)|第32期・陸上自衛隊

田尻祐介は昭和40年6月生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第32期(機械)の卒業で幹候69期、出身職種は航空科だ。

平成28年12月(2016年12月) 第36代陸上自衛隊航空学校長 兼ねて明野駐屯地司令・陸将補

前職は第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地司令であった。

なお、航空学校長としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】

陸上航空の礎石及び先駆としての使命の完遂

2017年12月現在、陸上自衛隊航空学校長を務める田尻だ。

32期のエースであり、航空畑一筋でキャリアを積み上げてきたエリート幹部で、その経歴は極めて充実している。

2017年12月現在、陸自を支える最高幹部の一人であり、この先の5~8年間の国防を最前線で担っていく将官の一人である。

その田尻のキャリアを詳しく見てみたい。

陸上自衛隊に入隊したのは昭和63年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成19年1月なので、32期堂々の1選抜(1番乗り)だ。

1等陸佐時代には、現場においては西部方面航空隊長を。

中央においては陸幕人事教育部や研究本部研究員、統幕防衛計画部など非常に幅広い分野で活躍を見せる。

そして平成26年8月に陸将補に昇任すると同時に、CRF(中央即応連隊)隷下にある第1ヘリコプター団長に補職され、陸自航空科最高幹部として最高に名誉あるポストの一つに着任した。

陸将補昇任は、32期組1選抜に比べ1年遅れではあったが、それでも堂々のスピード出世である。

なお、32期と言えば2019年に最初の陸将に昇るものが選抜される年次であって、もっとも出世が早いものでも陸将補だ。

そして2017年12月現在、その32期組陸将補に在るものは以下の幹部となっている。

梶原直樹(第32期)・統合幕僚監部防衛計画部長(2013年8月)

大塚裕治(第32期)・陸上幕僚監部装備計画部長(2013年8月)

森下泰臣(第32期)・陸上幕僚監部人事教育部長(2013年8月)

堀井泰蔵(第32期相当)・第5旅団長(2013年8月)

中村裕亮(第32期)・陸上自衛隊研究本部幹事兼企画室長(2014年3月)

田尻祐介(第32期)・陸上自衛隊航空学校長兼ねて明野駐屯地司令(2014年8月)

鬼頭健司(第32期相当)・陸上自衛隊幹部候補生学校長(2014年12月)

木口雄司(第32期)・陸上自衛隊開発実験団長(2015年8月)

青木伸一(第32期)・西部方面総監部幕僚副長(2015年12月)

池田頼昭(第32期)・第10師団副師団長兼守山駐屯地司令(2016年3月)

※肩書はいずれも2018年1月現在。( )内は陸将補昇任時期。

※上記以外に、2017年12月に陸将補に昇任した斎藤兼一が32期と思われるものの、詳細不明のため一旦割愛する。

あるいはこの中から、5年後~の陸上幕僚長が誕生していることになるかもしれない。

2020年頃にかけて、「陸上幕僚長レース最後の出走馬」が出揃ってくるはずだ。

さて、その候補の一人と言っても良い田尻だが、そのキャリアの中で目立つポストと言えばやはり、第1ヘリコプター団長であろう。

第1ヘリコプター団は、あの福島第1原発に決死の放水を実行した部隊だ。

体と命を張ったまさに有事における勇気ある出動であったが、あのインパクトは極めて大きく、世界から我が国に対する援助の潮目が大きく変わった瞬間にもなった。

災害派遣に於いてはもっとも勇敢に活動をするのももっともな部隊で、第1ヘリコプター団が所属するのは中央即応集団。

2018年3月には、中央即応集団は廃止されて陸上総隊の直轄部隊になる予定だが、早い話、第1空挺団などと連携し、空中機動を主任務とする、空の殴り込み屋だ。

その練度の高さはもちろん、勇気、使命感、隊員の士気など、どれをとっても我が国を代表する精鋭集団である。

この組織を率いることは、陸自の航空科幹部にとって最高の名誉となる。

まして2017年12月現在、我が国は南西方面の島嶼部に防衛上の大きな課題を抱えている。

中国人民解放軍の傍若無人な振る舞いと、隠そうともしない野心によるものだが、このような島嶼部の戦闘において、上陸戦が一度勃発すれば、空中機動能力が大きなカギを握ることになるだろう。

実際に第51普通科連隊(沖縄・那覇)などは被輸送性を重視した編成になっており、空中機動連隊と言って良いほどだ。

このような、今まさに我が国にとって重要となる戦力を率いた経験を持つ田尻だ。

今後もそのキャリアを伸ばし、要職を歴任し続けるだろう。

あるいは後職では、新設される陸上総隊において何らかの要職を務めることになるのかもしれない。

我が国の安全保障を考える上でも、田尻の異動と活躍からは目を離せそうにない。

今後も注目し、追っていきたい。

本記事は当初2017年8月8日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年12月26日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年8月に公開した当時のものをそのまま残している。

2017年8月現在、田尻が校長を務める陸上自衛隊航空学校は三重県・明野駐屯地に在所している。

その歴史は古く、1920年(大正9年)に浜松飛行場にあった射撃班が明野ヶ原に移動し、日本陸軍の基地として開設されてから間もなく100年。

その後、陸軍の飛行学校に昇格してからは陸軍機の搭乗員を養成する機関として数多くの名パイロットを排出し続けた。

なお当地では、加藤隼戦闘隊で有名な加藤建夫も教官として教鞭を執っていたことがある。

1924年(大正13年)に建設された将校集会所は、100年近い時を経て今も大事に保存され、大事に使用されていると言うから驚きだ。

ちなみに明野駐屯地は、かつて固定翼機も運用する飛行学校であったことから500m級の滑走路を持つ。

しかもここが、三重県内唯一の飛行場となっていることから規模災害発生時の輸送拠点として想定されているが、さすがに500m級では大型固定翼輸送機の運用はムチャというものだ。

オスプレイの本格配備が進めばその役割が期待できるかもしれないが、当面のところ、災害対応拠点としては、既存回転翼機の運用に留まるだろう。

なお余談だが、第1ヘリコプター団長は、後職として高確率で航空学校長に着任する。

将補以降の人事異動では一定の異動傾向が見える陸上自衛隊にあっても、この異動ルートはかなり固定的で、1996年に着任した第16代の吉田顯彦(第10期)から2009年に就任した第23代の金丸章彦(第27期)までは全てこのパターンだ。

そして第26代であった田尻も、このパターンということになる。

一方で、メディアへの露出は圧倒的に第1ヘリコプター団時代のほうが多い。

田尻も例外ではなく、平成28年10月23日に開催された陸上自衛隊観閲式では、第1ヘリコプター団長として観閲飛行部隊指揮官を務めた。

また、それに先立つ平成28年5月に開催された伊勢志摩サミットでは、全国各地から集められた数多くのCH-47やUH-60からなる陸上自衛隊国賓等空輸隊の指揮官も務めている。

伊勢志摩サミットは成功裏に終わり、風光明媚な三重県のこの観光名所が先進各国の首脳が集まる外交の舞台となったわけだが、その裏には要人警護や輸送、警戒任務にあたっていた多くの自衛隊員がいた。

田尻が率いていた第一ヘリコプター団も、このような重要行事では必ず類似任務にあたっており、その練度の高さや実績の確かさは歴史が示すとおりだ。

陸上自衛隊の航空戦力を担うエキスパートであり、パイロットでもある田尻の知見は陸自のみならず、自衛隊全体にとって無くてはならないものであると言えるだろう。

航空学校長として後進の指導育成に手腕を発揮する田尻に、今後も注目したい。

◆田尻祐介(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
63年3月 陸上自衛隊入隊(第32期)

平成
1年3月 第5飛行隊(帯広)
7年8月 幹部学校(CGS#41)(目黒)
9年8月 航空学校(明野)
11年1月 3等陸佐
11年3月 檜町業務隊付(産経新聞研修)(檜町)
12年3月 陸幕防衛課(市ヶ谷)
14年7月 2等陸佐
14年8月 第11師団第11飛行隊長(丘珠)
16年3月 陸上幕僚監部防衛課(市ヶ谷)
18年8月 幹部学校付(#1統合短期・防研一般課程)(目黒)
19年1月 1等陸佐
19年8月 陸幕総務課広報室(市ヶ谷)
20年8月 陸上幕僚監部人事教育部人事教育計画課企画班長(市ヶ谷)
22年8月 研究本部研究員(朝霞)
22年12月 西部方面航空隊長(高遊原)
24年7月 統合幕僚監部防衛計画部計画課長(市ヶ谷)
26年8月 第1ヘリコプター団長(木更津) 陸将補
28年12月 航空学校長(明野)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 明野駐屯地公式Webサイト(プロフィール画像及び着任式画像)

http://www.mod.go.jp/gsdf/akeno/

http://www.mod.go.jp/gsdf/akeno/photo.html

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