泉博之(いずみ・ひろゆき)|第34期相当・海上自衛隊

泉博之は昭和39年5月生まれ、京都府出身の海上自衛官。

早稲田大学を昭和62年3月に卒業、平成2年3月に海上自衛隊入隊なので年齢がだいぶ行ってしまっているが、防衛大学校第34期相当ということになる。

41幹候。

平成29年12月(2017年12月) 練習艦隊司令官・海将補

前職は第2護衛隊群司令であった。

なお、第2護衛隊群司令であった頃の指導方針は以下の通り。

(練習艦隊司令官としての指導方針が判明次第、更新)

【指導方針】

「任務は完遂」、「勤務は充実」、「2群は一心」

1年に1回、必ず12月の将官人事で司令官が確実に入れ替わるポスト。

そのポストである練習艦隊司令官に着任した泉だ。

早ければ1年ほど、長くとも2年で異動になることが多い高級幹部自衛官のポストだが、この練習艦隊司令官のポストほど、冬の将官人事で確実に毎年交代になる要職も珍しい。

更にいうと、ほぼ確実に、第1~第4護衛隊群司令からの異動になることがお約束のポストでもある。

泉は第2護衛隊群司令からの異動であった。

というのもこの練習艦隊。

海上自衛隊幹部候補生学校を卒業し、初級幹部に任命されたばかりの若者たちが、毎年4~5月に練習艦隊乗組員として遠洋航海に出発し、9~11月に帰国するのが通例だからだ。

そのため、その司令官も遠洋航海から帰国後の12月に交代し、翌年の幹部候補生が卒業する2月から新年度の初級幹部を指揮するというのが一般的になっている。

何も毎年交代せずとも、2年に1回の交代でも良さそうなものだが、なにせ幹部候補生学校を卒業したばかりの若者を指揮するポストだ。

「いつかの自分」を思い出させてくれる、司令官にとっても一際感慨深いポストである上に、諸外国との軍事交流も指揮・命令する重要なポストになる。

一人でも多くのエリート幹部に経験させたほうが良いポストであることは間違いなく、そういったこともあって、毎年司令官が交代になるのだろう。

なお泉だが、防衛大学校卒業ではなく早稲田大学の出身だが、海上自衛隊入隊が平成2年3月に対して1等海佐に昇ったのが平成21年1月。

第34期(相当)の1選抜(1番乗り)であり、スピード出世のエリート自衛官だ。

海将補に昇ったのは平成27年12月で、同期1選抜に比べ4ヶ月ほどの遅れだが、問題にならないほどのスピード出世であり、34期(相当)エースの一人である。

なお、34期は2015年に最初の海将補が選抜されたばかりの年次であり、まだ海将を出す年次に至っていない。

その中で、2018年1月現在で海将補の階級にある出世頭は以下の通りだ。

福田達也(第34期)・第4護衛隊群司令(2015年8月)

大町克士(第34期)・第22航空群司令(2015年8月)

泉博之(第34期相当)・練習艦隊司令官(2015年12月)

伊藤秀人(第34期)・海上自衛隊第3術科学校長(2016年7月)

江川宏(第34期)・海上幕僚監部総務部副部長(2016年12月)

大西哲(第34期)・海上幕僚監部監察官(2016年12月)

※役職は全て2018年1月現在。( )内は海将補昇任時期

今のところ、護衛艦の福田、航空畑の大町を中心に34期海上幕僚長候補レースが進んでると言ったところだろう。

今の段階で誰が頭一つ抜けるかを予測するのは極めて困難だが、敢えていうと、福田の補職と活躍が目立っていると言ったところだ。

上記の画像は、左が河野克俊(第21期)・統合幕僚長。

右が池太郎(第27期)・呉地方総監だ。

(肩書はいずれも2018年1月現在)

泉には何の関係も無さそうな画像だが、新任幹部たちが幹部候補生学校を卒業し、練習艦隊に乗り込み出港する際に、当時の海幕長であった河野と、幹候校長であった池が帽振れで見送っている時の画像である。

泉は間もなく、このように幻想的で厳かな空気の中、練習艦隊司令官として若者たちを預かり出港するということで、ご紹介させて頂いた。

なおその泉が海将補に昇り、最初に任されたのは第2護衛隊群司令のポストであった。

第2護衛隊群は、その隷下に第2護衛隊と第6護衛隊を持つが、第2護衛隊には基準排水量約14000トンのDDH(ヘリ搭載型護衛艦)であるいせや、最新鋭イージス艦であるあしがらなどの精鋭がある。

また第6護衛隊には同様に、数々の実績を持ち、安定感抜群のイージス艦きりしまが所属するなど、隷下の戦力は非常に充実した部隊だ。

この第2護衛隊群司令時代、泉が指揮を執った任務で印象深いのは、やはり2017年4月、米国の原子力空母「カール・ヴィソン」を中心とする空母打撃群との共同訓練を行ったものであろうか。

さらに2017年6月1日からは、第2護衛隊群に加え航空自衛隊第6航空団(小松基地)のF-15戦闘機も訓練に参加。

米海軍の空母「カール・ヴィンソン」、空母「ロナルド・レーガン」と艦艇数隻、F/A-18も参加した大規模な共同戦術訓練を日本海で行うなど、その存在感を存分に見せつける訓練を行っている。

これは言うまでもなく、当時の北朝鮮情勢を踏まえた上で日米同盟の絆の強さを誇示するものであり、北朝鮮、ひいてはその背後にいる中国とロシアに対し、日米の艦船・航空機運用能力の高さを見せつけ、もって抑止力とするものであった。

米軍も自衛隊も戦争など望んではいないが、国連決議に違反し次々と核実験を繰り返し、また日本の排他的経済水域へのミサイル発射、日本の領空を飛び越えての弾道ミサイルの発射など、北朝鮮の振る舞いは目に余るものがある。

そのような中、目に見える形でプレゼンスを誇示し、その能力の高さを見せつける役割は、海上自衛隊にとって極めて重要な仕事であり、平和を守り、戦争を抑止するために、泉が果たした任務は極めて重要なものであった。

ちなみに、泉が同群の指揮を執っていた2017年3月、長きに渡り第2護衛隊群旗艦を務め、自衛隊観艦式では4度に渡り観閲艦の栄誉を担った護衛艦くらまが退役の日を迎えた。

1981年の就役以来その活躍はめざましく、数々の国際舞台で多くの実績を残した護衛艦で、海上自衛隊を代表する艦であったことから、くらまには特別の感慨を持つ自衛隊関係者も多いはずだ。

自衛隊関係者だけでなく、自衛隊ファンにとってもその退役は残念であり、惜しまれるものであったが、今もなお当時のことを記憶している人も多いのではないだろうか。

なお、くらまについては、退役の日にあたり決して愉快ではない「あの出来事」を記憶している人も、同様に多いかもしれない。

韓国の貨物船、「カリナ・スター」に当て逃げされ、大破・炎上した衝撃の事件のことだ。

事件は2009年10月の20:00前後に関門海峡で発生した。

すでに陽も落ち、完全な暗闇となっていた海上で大きな炎を上げるくらまの映像は繰り返しテレビで流され、同時に各種メディアは、「悪いのはくらま」「海保の海上誘導にも問題があった」と言う趣旨を繰り返し大きく伝える。

初期報道は、まるで護衛艦側が韓国の民間船に対し、一方的な体当たりを仕掛けたかのような報道ぶりであった。

だがこの事件は結局、カリナ・スターが船速を上げすぎ、前方を低速で進む貨物船を避けきれず急速に左側にかじを切り、その結果前方から直進航路を維持し進んできたくらまに一方的に衝突したものと結論付けられた。

その後、韓国船の操船が主因であると確定した事故調査結果を詳細に伝えたメディアはなく、いつものメディアらしいやり口に終止した事故であったが、結局くらまでは6人の自衛官が負傷。

10億円もの修理費用をかけ、この海自の栄光ある護衛艦は、自国のメディアによっても二重に貶められ、傷つけられる苦い歴史を持つことになった。

多くの栄光を持ちながらも苦い歴史も持つ、海自を代表するくらまであったが、泉の指揮下において、数多くの海上自衛官の想い出とともに除籍となる。

この「Old Navy(海の古強者)」を、群司令として送り出した泉にとってもまた、海上自衛官人生の中で思い出深い出来事であったのではないだろうか。

本記事は当初2017年8月30日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年1月12日に整理し、改めて公開した。

◆泉博之(海上自衛隊) 主要経歴

平成
2年3月 海上自衛隊入隊(第34期相当)
13年1月 3等海佐
16年7月 2等海佐
17年6月 おおなみ専務長兼副長
18年8月 とね艦長
20年3月 海上幕僚監部補任課
21年1月 1等海佐
23年8月 海上幕僚監部防衛部防衛課編成班長
24年12月 第1護衛隊司令
26年8月 海上幕僚監部人事教育部補任課長
27年12月 第2護衛隊群司令 海将補
29年12月 練習艦隊司令官

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 第2護衛隊群公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/2el/gres/index.html

防衛省海上自衛隊 海上自衛隊幹部候補生学校公式Webサイト(帽振れ写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/mocs/mocs/news/news/event/sub41/index.html

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