小瀬幹雄(こせ・みきお)|第30期相当・陸上自衛隊

小瀬幹雄は昭和38年12月7日生まれ、兵庫県出身の陸上自衛官。

昭和61年3月に東京大学工学部土木工学科を卒業し陸上自衛隊に入隊しているので、第30期相当ということになる。

幹候67期で出身職種は施設科。

なお、防衛日報社が出版している自衛隊年鑑には、千葉県出身で防衛大学校第30期の卒業と記載があるが、陸上自衛隊目達原駐屯地時代の公式Webサイトでは、兵庫県出身で東京大学工学部卒業とあったので、公式サイト情報を優先した。

また、読者の方から頂いたご連絡では、本籍地が千葉であるため、自衛隊年鑑では千葉となっている、ということだそうだ。

平成29年12月(2017年12月) 西部方面総監部幕僚長兼ねて健軍駐屯地司令・陸将補

前職は陸上自衛隊九州補給処長兼ねて目達原駐屯地司令であった。

数少ない一般大学出身将官である小瀬だ。

東京大学工学部を卒業した英才であり、大学の専攻を活かしそのまま施設科の道に進み、各地の部隊で指揮官を歴任。

イラク復興業務支援隊長を務めるなど、タフな現場でも活躍した、心身ともに極めて精強な陸自を代表する最高幹部の一人だ。

年齢を感じさせない若々しさとイケメン、東大出身の英才、スラッとした長身に鉄の心、さらに細マッチョの体躯と、天はいったい小瀬にいくつの武器を与えれば気が済むのか、という呆れるほどの男である。

さてさっそくだが、その小瀬のキャリアについて詳しく見てみたい。

小瀬が陸上自衛隊に入隊したのは昭和61年3月。

西暦で言うと1986年であり、世はまさにバブルの頂点である1989年に向けて、好景気を謳歌し、贅の限りを尽くしていた世相だ。

一般企業に入れば30代で1000万円プレイヤーが当たり前の時代だったが、そんな中、小瀬にも数多くの条件が良い就職先があっただろう。

まして東大工学部だ。

所属ゼミ(研究室)には、一流企業から数多くの斡旋依頼があったことは想像に難くないが、陸士採用も難しい程に誰も自衛隊に見向きもしない時代、なぜ小瀬は自衛官の道を選んだのか。

よほどの信念と、損得勘定では動かない高潔さ。

高い志と、国防に対する責任を引き受ける強い覚悟。

そんな思いを持って自衛隊の門をくぐったのであろう。

小瀬が自衛官になった1986年とは、そういう時代であった。

その覚悟を現すかのように、小瀬は次々と要職を任されかつ成果を出し続け、出世の階段を駆け上る。

平成17年1月には、一般大学卒業生でありながら、1選抜(1番乗り)で1等陸佐に昇任。

イラク復興業務支援隊長を任されるなど、難しい任務を完遂し続けた。

そして平成25年8月には陸将補に昇任し、第1施設団長に着任。

こちらは同期1選抜から2年遅れでの陸将補昇任であったが、堂々のスピード出世だ。

平成30年(2018年)1月現在は、西部方面総監部幕僚長を務めるが、後職で陸将に昇ることは確実のキャリアになっている。

恐らく早ければ、2018年冬の人事で陸将に昇り、関東補給処長などの補職になるのではないかと予想している。

なお、同期である30期は2017年夏の将官人事で最初の陸将が選抜された年次にあたる。

その際に陸将に昇り、2018年1月現在で陸上幕僚長候補レースの先頭グループを走っているのは以下の陸将たちだ。

野澤真(第30期)・第2師団長(2017年8月)

髙田祐一(第30期)・第4師団長(2017年8月)

小野塚貴之(第30期)・第7師団長(2017年8月)

吉田圭秀(第30期相当)・第8師団長(2017年8月)

田中重伸(第30期)・西部方面総監部幕僚長(2017年12月)

※肩書はいずれも2018年1月現在。( )は陸将昇任時期。

ちなみに吉田も、小瀬と同じ東大工学部(都市工学科)の出身だ。

30期組では、この5名を中心にして極めて近い将来の、陸上幕僚長候補レースが進んでいくことになるだろう。

本記事は当初2017年9月4日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年1月13日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年9月に公開した当時のものをそのまま残している。

2017年8月現在、小瀬が補職されている九州補給処は佐賀県吉野ヶ里町の目達原駐屯地に所在する。

教科書でおなじみの、弥生時代の大規模な集落跡が出土したことで知られる吉野ヶ里遺跡のすぐ近くの場所だ。

この歴史ある吉野ヶ里町の比較的賑やかな町中に駐屯地はあるものの、補給処の多くがそうであるように、その外観は普通科の駐屯地とは異なり、まるで企業の工場や物流倉庫のような外観をしている。

なお目達原駐屯地は戦前、陸軍大刀洗飛行学校の目達原分校が所在していたため、今も滑走路を有している。

終戦末期には僅かながら、特攻機の出撃拠点にもなった。

また、小瀬の前職は陸上自衛隊施設学校長。

このポストは施設科出身の高級幹部にとって、いわば行き着くところまで行き着いたポジションであり、これ以上の格上となる施設科色の強いポストは存在しない。

そのため後職では、このポストを最後に勇退となるか、陸幕の要職に就くもの、あるいは各方面総監部の幕僚長に就くもの、陸将に昇任し師団長に着任するものなどが一般的なコースだが、小瀬は37代目にして初めて補給処長への異動となった。

そんな小瀬のキャリアの中でもっとも目を引くのは、やはりイラク復興業務支援隊長のポストだろうか。

イラク復興業務支援隊は、サマーワにおいてイラク現地政府と支援内容の調整を行い、外務省とも協議しながらイラク復興のための調整業務を行う部署であった。

小瀬はこのイラク復興業務支援隊の第5次派遣隊長で、なおかつイラク撤収時の最後の隊長である。

そのため、安全に部隊を撤収させるというもっとも危険な任務を背負うことになり、現地政府とも密に連絡を取りながら、どのようにして隊員の安全を確保しながら同地を撤収するか、とううことが最大の任務であった。

そして、このリスクの高い任務を無事成功させ、隷下隊員とともにケガ一つなく帰国し、額賀防衛庁長官(当時)に隊旗の返還を行うという名誉ある仕事を完遂させる。

おそらく小瀬にとっても、数多く経験した任務の中でも印象深い現場の一つであったのではないだろうか。

一般大学卒業者として、極めて重要なポストを任され、そしてその全てで期待に応え続けてきた小瀬だ。

防衛大学校以外の大学卒業者として、どこまでそのキャリアを伸ばすのか。

今後の活躍にも注目しながら、応援していきたい。

◆小瀬幹雄(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 陸上自衛隊入隊(第30期相当)
62年3月 第110施設大隊(滝ヶ原)

平成
5年3月 第1施設大隊中隊長(古河)
7年8月 内局防衛局(外務省出向)(檜町)
9年1月 3等陸佐
9年8月 陸上幕僚監部防衛部(檜町)
12年7月 2等陸佐
13年3月 中央資料隊付(米国海兵隊指揮幕僚大学留学)
14年8月 陸上幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷)
17年1月 1等陸佐
17年3月 陸上自衛隊研究本部研究員(朝霞)
17年10月 陸上幕僚監部防衛部付
18年1月 イラク復興業務支援隊長(イラク)
18年7月 陸上幕僚監部運用支援・情報部付
18年12月 陸上幕僚監部人事計画課制度班長(市ヶ谷)
20年8月 第9施設群長(小郡)
23年4月 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官(朝霞)
23年8月 陸上幕僚監部厚生課長(市ヶ谷)
25年8月 第1施設団長兼ねて古河駐屯地司令(古河) 陸将補
26年12月 陸上自衛隊施設学校長兼ねて勝田駐屯地司令(勝田)
28年7月 陸上自衛隊九州補給処長兼ねて目達原駐屯地司令(目達原)
29年12月 西部方面総監部幕僚長兼ねて健軍駐屯地司令(熊本)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 古河駐屯地公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/kogasta/4siki25.html

防衛省陸上自衛隊 目達原駐屯地公式Webサイト(記念写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/metabaru/topics.html

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