定免克己(じょうめん・かつき)|第36期・航空自衛隊

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定免克己は昭和44年10月25日生まれ、石川県出身の航空自衛官。

防衛大学校第36期の卒業で82幹候、職種は警戒管制だ。

 

平成29年8月(2017年8月) 自衛隊静岡地方協力本部長・1等空佐

前職は北部航空警戒管制団北部防空管制群司令であった。

 

全国に数ある自衛隊地方協力本部長のポストの中でも、静岡地方協力本部長のポストは、航空自衛隊の幹部があたることが慣例になっている数少ない地本の一つだ。

静岡には静浜基地と浜松基地がある上に、エアーパークもあるため、特に航空自衛隊があたることになっているのであろう。

航空自衛隊の高級幹部にはなかなか経験することができない、極めて重要なポストになっている。

 

地方協力本部長の仕事は、地域の諸行事を支援し自衛隊に対する理解を深めてもらうこと、学生や生徒に対し自衛隊の仕事を紹介し、受験生を集め一人でも多くの若者に自衛隊を志してもらうこと、あるいは任期付自衛官(士長以下)や下士官(3曹以上曹長以下)が早期退役後も安心して働くことが出来るように、その再就職先を斡旋する重要な仕事などを担っている。

地方協力本部が機能しないと自衛隊に対し優秀な若者の供給が為されないということになり、また退役後に安心して働けないとなると、そもそも志をもってくれる人材も確保できないことになってしまう。

その意味においてはある意味での自衛隊最前線であり、また自衛官にとって数少ない「営業活動」が必要なポストでもある職種といえるかもしれない。

 

そのため、陸海の自衛隊でもそうだが、多くの場合このポストに就く高級幹部は人を惹き付ける魅力に溢れ、在任中には積極的に情報発信を行い、多くのファンを獲得する本部長が多い。

定免が就任したのは、この記事をポストするわずか1ヶ月前のことなので、いまのところ目立った話は無さそうだが、ぜひ今後、どのような活躍を見せてくれるのか。

注目して追っていきたいところだ。

 

 

さて、その地方協力本部長を務める定免の本職は警戒管制で、自衛隊入隊以来、一貫してそのキャリアを積んできている。

警戒管制は24時間365日、我が国の領土・領空に接近する他国からの航空機や飛行物体を警戒監視する部隊であり、領空侵犯の可能性があるとみれば直ちに最寄りの戦闘団に緊急連絡。

戦闘団からは直ちにスクランブル機が要撃に上がり、その要撃機に対しても管制業務を継続し我が国の空の安全を守り続けることを任務としている。

 

またそのレーダーサイトは、一般に国土の端っこや観測が容易ということで山の上など過酷な自然環境の中にあるが、これらのレーダーサイトにも常に航空自衛隊の要員が勤務しており、その勤務環境は総じて極めて厳しい。

しかしこのような警戒管制の隊員がいっときでも手を抜くと、我が国の防空網は直ちにズタズタになり、容易に領空侵犯を許し、安全保障環境は危機に陥ることになる。

定免のような警戒管制に通じたエキスパートの練度が、我が国の防空能力を支える土台になっていると言えるだろう。

 

ところでその警戒管制だ。

この記事をポストする数日前に、一つの印象的なニュースが目に止まった。

それは、スタニスラフ・ペトロフ元ソ連軍中佐死去、というニュースだ。

スタニスラフ中佐は元ソ連空軍の、日本で言うところの警戒管制部門の幹部であり、アメリカからの核攻撃を警戒監視する部門の責任者であった。

 

彼の名を世界的に有名にした出来事は1983年9月26日に発生する。

なんと、アメリカから5発の弾道ミサイルがソ連に向けて発射されたのだ。

 

じつはこの3週間ほど前の9月1日は大韓航空機撃墜事件が発生したばかりというタイミングであり、西側諸国のソ連に対する感情は極度に悪化している状況だ。

米ソ両国間の緊張が高まっている時期であり、状況的に考えればアメリカからソ連に対する先制核攻撃である可能性が極めて高い。

 

この事態に直面し、警戒管制の任に当たっていたスタニスラフ中佐は直ちに上官に報告。

ソ連も直ちに報復核攻撃をアメリカに対して行い、世界は核戦争という最悪のシナリオに突き進む、まさにその時を迎えようとしていた。

 

しかしそうはならなかった。

スタニスラフ中佐が、「これはシステムの誤作動の可能性が高い」と判断し、上官に報告をしなかったためだ。

結果としてスタニスラフ中佐の読み通り、この「幻の5発の核ミサイル」は存在せず、システムの誤作動であったのだが、軍人の行動としてスタニスラフ中佐の行為は許されることはなく、その後軍内部で冷遇され程なくして退役。

2017年5月に、77歳でその生涯を閉じた。

 

スタニスラフ中佐の行動はその後、ゴルバチョフ大統領がソ連の指導者に就任して進めたグラスノスチ(情報政策;日本では情報公開政策と訳されている)の中で明らかになったのだが、もしスタニスラフ中佐がシステムの誤作動を見抜けず上官に報告をしていれば、世界は今頃、核戦争で破壊された中で全く違う姿になっていたであろう。

氏の行動が軍人として誤ったものであることは疑いの余地がないが、ただその一人の中佐の判断が世界を救った可能性もあり、その後スタニスラフ中佐を主人公にした映画がデンマークで製作されるなど、その評価は高い。

 

警戒管制とはこのように、レーダーで得られる情報の読み解きを誤るだけで、取り返しのつかない惨事を世界にもたらす可能性があるものだ。

高精度で正確な情報を得られる時代になったからこそ、その情報の裏にある相手方の意図を正しく読み解き、その意図を時には阻止し、時には無視し、時には継続監視をするなど、警戒管制が収集する情報から為されるべき安全保障上の決断は多岐にわたる。

 

定免を始めとした警戒管制の指揮を執る高級幹部の任務と責任はこれほどに重く、また我が国の平和と安全を守る上で欠かせないものであるといえるだろう。

数少ない航空自衛隊の地方本部長を務め、その経験と知見に厚みを増した定免がこの先どこまでキャリアを伸ばすのか。

楽しみに注目して行きたい。

 

◆定免克己(航空自衛隊) 主要経歴

平成
4年3月 航空自衛隊入隊
4年9月 西部航空警戒管制団西部防空管制群防空管制隊
9年3月 幹部候補生学校学生隊
11年3月 北部航空警戒管制団司令部防衛部
13年8月 西部航空警戒管制団西部防空管制群防空管制隊
16年3月 幹部学校付(指揮幕僚課程)
17年3月 航空幕僚監部防衛部運用課兼ねて防衛部防衛課
18年3月 統合幕僚監部運用部運用1課
20年8月 西部航空警戒管制団西部防空管制群防空管制隊長
22年3月 統合幕僚監部運用部運用1課
24年3月 南西航空警戒管制隊第56警戒群司令兼ねて与座岳分屯基地司令
25年3月 幹部学校付(幹部高級課程:統合高級課程)
26年3月 航空幕僚監部運用支援・情報部運用支援課演習・検閲班長
27年12月 北部航空警戒管制団北部防空管制群司令
29年8月 自衛隊静岡地方協力本部長

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省自衛隊 静岡地方協力本部公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/pco/sizuoka/chihon1/c_honbutyou.html

防衛省航空自衛隊 Webマガジン公式Webサイト(第44警戒隊写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/special/webmagazine/vol3/kichi/p04.html

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