前田忠男(まえだ・ただお)|第31期・陸上自衛隊

前田忠男は昭和39年4月生まれ、千葉県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で幹候68期、出身職種は普通科だ。

平成28年7月(2016年7月) 陸上幕僚監部防衛部長・陸将補

前職は陸上自衛隊研究本部総合研究部長であった。

さて、南スーダン日報問題に絡み、いろいろな報道で名前を見かけることが多かった防衛部長の前田だ。

いろいろなことはあろうかと思うが、まずは前田のキャリアについて、客観的な事実を見てみたい。

防衛大学校の卒業は昭和62年3月の31期で、1等陸佐に昇ったのが平成18年1月。

文句なしの1選抜であり、31期組の出世頭である。

さらにそこから陸将補に昇ったのが平成27年7月なので、1等陸佐を6年で駆け抜け、現行の陸上自衛隊が採っている高級幹部人事において、これ以上はない最速の早さで将官に進んだ。

まさに文字通りのスーパーエリートであり、次の次か、その次の陸上幕僚長候補筆頭であると言っても過言ではない男だろう。

経験してきたポストもスーパーエリートにふさわしいものばかりであり、これ以上はない陸上幕僚長候補の経歴になっている。

次にその競争相手である同期の状況を見てみよう。

陸上自衛隊で、第31組の出世頭であり、陸将補の階級にあるものは以下の通り。

なお陸将には、2017年夏の人事で30期が初めて進んだものがいる段階であり、31期組からは誕生していない。

(2017年10月現在)

鵜居正行(第31期)・第3施設団長  兼ねて南恵庭駐屯地司令

沖邑佳彦(第31期)・陸上幕僚監部運用支援・訓練部長

片岡義博(第31期)・第1特科団長兼ねて北千歳駐屯地指令

亀山慎二(第31期)・中央情報隊長

竹本竜司(第31期)・第11旅団長

中野義久(第31期)・東部方面総監部幕僚長兼ねて朝霞駐屯地司令

野村悟(第31期)・中央即応集団副司令官

原田智総(第31期)・第15旅団長

蛭川利幸(第31期)・中部方面総監部幕僚長

藤岡登志樹(第31期)・陸上自衛隊富士学校副校長

前田忠男(第31期)・陸上幕僚監部防衛部長

眞弓康次(第31期)・陸上自衛隊武器学校長兼土浦駐屯地司令

森脇良尚(第31期)・第2師団副師団長

吉野俊二(第31期)・陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令

(肩書はいずれも2017年10月現在のもの)

以上14名もの将官がおり、今まさに、誰がこの中から頭一つ突き抜け、陸将レースに勝ち残るかを競争しているところだ。

そしてこのメンバーのうち、陸将補に進んだ早さを比べてみると以下のようになる。

24年7月・・・沖邑、竹本、原田、前田

25年3月・・・蛭川

25年8月・・・中野

25年12月・・・亀山

26年8月・・・藤岡

27年2月・・・眞弓

27年8月・・・片岡

27年12月・・・吉野

28年12月・・・森脇

29年3月・・・鵜居、野村

要約すると、前田は14名いる同期の将官レースの中で圧倒的な早さでの出世頭であり、トップグループに付けているということだ。

なおかつライバルも多い中で競争しているわけだが、人事の状況から考え、このメンバーの中から2018年の夏に、初めての将官が出ることは確実な状況である。

更に突き詰めて言うと、この中から同期で最初の陸将に選ばれるものは、沖邑、竹本、原田、前田、蛭川、中野の6名のいずれかであろう。

2018年夏の時点で、陸将補昇進から5年以上経過している者たちである。

つまり前田は出世レースのトップに付けており、その中でも特に、トップにふさわしいキャリアで陸将補に昇ってきたと言うことだ。

まずは、前田を取り巻く状況はこのようになっている。

さて、その上でだが、一部の”識者”とされる人たちによると、南スーダン日報問題を仕掛け稲田防衛相の首を取る為に、一連の不祥事を仕掛けたのは前田であるという。

別の”識者”によると、岡部前陸上幕僚長と反目していたことを恨み、岡部を更迭するために前田が情報をリークし、陸上自衛隊を窮地に追い込んだという記事も見かける。

特に前者の場合、ヤフーニュースにも2017年10月現在でも掲載され続けており、「平成の2.26事件」「戦前のような自衛隊の体質」と断じている意見がある他、それらニュースの感想を書き込む場所には、陸自を潰せという過激な意見も見かける有様だ。

しかしながらこれらを報じる”識者”の情報ソースは、「統合幕僚監部関係筋」あるいは「防衛省筋」とされ、全くもって信頼性を感じることができない。

またある媒体は、前田をして

「自己顕示欲の塊で、自分たちに都合がいいように事実を歪曲してNHKに垂れ流し」

とまで書き立てている。

本当のところはわかりようがないので論評のしようがないのだが、一つはっきり言えることは、これら記事を書き立てている人たちの情報ソースは極めて曖昧だということだ。

なおかつ、前田も防衛監察の対象となっているとし、前田を「陸幕の膿」とまで間接的に批判し、なんらかの処分が出ることを示唆するものもあったが、結局前田には何の処分もなかった。

また総じて、南スーダン日報問題とされる騒動で前田を糾弾している人の論調は、陸上自衛隊の制服組に極めて攻撃的であるということも特徴だと言えるだろう。

このような高級幹部が仕切る陸上自衛隊から権限を取り上げなくてはならない、シビリアンコントロールを効かせなければならないと、そのやり玉として、前田の稲田防衛相に対するクーデター説を上げたかと思えば、岡部との個人的確執も動機であったと解説する。

ここから先は推測に過ぎない話だが、まず陸上自衛隊の制服組が「実質的に紛争地にある」という日報を、更迭されるリスクを負ってでも隠す理由はなんだろうか。

危険な紛争地で、政治の怠慢ゆえに自分の身を守る武器の使用すら十分に認められていない自衛隊制服組である。

紛争地にあるという事実を情報として政治家サイド(防衛大臣、内局)に投げ、実態に即した法律の改正と武器使用を望むのが自然な感情の発露であり、制服組がリスクを負ってでも事実を隠す動機が存在するとは思えない。

一方で政治家サイドはどう考えても困るだろう。

中途半端な状態で国際活動から撤収することは国益にもそぐわない上に、野党からの追求対象となって、あるいは安保法制への攻撃にも延焼し、左派系メディアからの攻撃は避けられないことになるだろう。

つまり、政治家サイドには南スーダンにおけるありのままの情報を記した日報を公開することは極めて不都合であり、一方で制服組にはメリットしか無いということになる。

日報隠蔽の主導は制服組ではなく、政治サイドであったと考えるのが極めて自然だ。

この状況でもし制服組が「日報が存在していたことは、稲田防衛大臣も本当は知っていた」とリークしたという事実があるなら、それは公益通報とも言える行為だ。

自衛官の行為でなければ、メディアが必ず褒め称える内部リークとも言えるもので、必ず賞賛していたであろう。

なおかつ、現場で命をかけて戦う自衛官の為に義憤にかられリークしたともいえ、解釈する立場によっていろいろな見え方が存在するとも言える。

メディアが、出会い系バーに通っていた人を強引に擁護する姿勢とは余りにもかけ離れている。

しかし、制服組はそんなことはしないだろう。

撤退の判断が近い状況で、そんなことをしても何のメリットも存在しないからだ。

次に、前田が個人的動機でリークをしたという想定についてだ。

先に述べたように、前田は出世頭のスーパーエリートである。

2~3代後の陸上幕僚長候補筆頭の1人であり、なおかつ2018年の人事異動で陸将昇進がかかっている状況だ。

そしてそのポストは陸上幕僚監部の防衛部長。

リークの仕方によっては、自分も更迭されかねないポジションに居る男であり、また奇策を使って周りを追い落とす方ではなく、使われて追い落とされる方にいる男である。

一般に、奇策を使い他人の足を引っ張って利益を得ようと言う行為は、遅れを取っている方が考えることだ。

順調に出世し、同期のトップグループであり、なおかつ第1空挺団長を務めるなど、今の安全保障環境を考えると極めて重要なポストを歩んできた前田が、奇策を使って誰かを追い落とそうとする動機は何であろうか。

稲田防衛大臣を許すことができなかった制服組の意地だと分析する記事もあるが、そんなことは今の前田にとって、出世を棒に振ってまでやることとは思えない。

逆に、ここまでのキャリアを棒に振ってでも許せない政治家に一太刀浴びせたというのであれば、それはそれで凄いことだが。

別の記事のように、岡部と反目しているため個人的に追い落としたかったという動機を解説する記事もあるが、こちらも根拠が曖昧だ。

今の状況で前田が岡部を追い落としても、その出世には全くプラス要因がない。

次の陸上幕僚長候補であるならまだしも、31期組が陸幕長になるのは、どれだけ早くても次の次の次だ(岡部から数えた場合)。

あるいは岡部も空挺団出身であり、前田も空挺団出身だが、空挺訓練の最中に岡部に蹴られたり殴られたりした恨みでもあるのかもしれないが、ここまでくればもはや子供のケンカの感情であり、推測のしようもないが。

いずれにせよ客観的に見える事実は、前田が出世頭であるということ。

今がまさに将来を決める重要な時期で、この1年で31期組の最終的な出世レースがほぼ決まること。

そのトップを走る前田を追い落とせば、得をするものがいるだろうな、ということくらいであろうか。

そしてその前田を叩いている”識者”たちの論調は自衛隊に対して極めて攻撃的であり、憲法9条堅持を訴える政治グループに属してる者もおり、また極左の論客として知られている人物も積極的に前田を個人攻撃している。

取り立てて前田を擁護するような理由もないのだが、まことにもって、素直に耳を傾ける気になれないバックボーンをもった人たちばかりである。

「違いない」「~ではないだろうか」などの我田引水的な論調も説得力がなく、客観的事実を全く積み上げておらず、そして今のところ、一連の騒動で前田を含む制服組が「平成の2.26事件」を起こしたなどと思うに足る根拠は皆無だ。

真に受けるのは止めたほうが良いだろう。

いずれにせよ、もしこれら”識者”が言うように、前田が個人的な動機で情報をリークし、稲田防衛大臣の首を取ったのなら、間違いなく前田は更迭されるだろう。

なぜなら、安倍総理の秘蔵っ子であり、将来の女性首相候補に育てたいと考えていた稲田を完全に破壊したからだ。

稲田前防衛相は、防衛相に就任しその能力の無さを潔いほどに白日のもとに晒してしまったので、もはや総理の目は無いだろう。

その引き金を本当に前田が引いたと言うなら、前田は陸上幕僚監部防衛部長の職を最後に、要職からは確実に追放される。

2017年10月に行われる衆議院議員選挙では与党が圧勝し、安倍総理の基盤が固まることは確実だ。

そのような政治状況の中で、前田が安倍の秘蔵っ子に本当に噛み付いたのかどうか。

これほどまでに見事に積み上げたキャリアを棒に振ってでも、許すことができないという何かがあったのか。

その答えは、恐らく早ければ2017年12月か2018年3月の定時異動で出されるだろう。

前田の異動先が、それを間接的に語るはずだ。

◆前田忠男(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
62年3月 陸上自衛隊入隊

平成
10年1月 3等陸佐
13年7月 2等陸佐
18年1月 1等陸佐
18年3月 中央資料隊付
19年3月 中央情報隊本部付
19年8月 統合幕僚本部運用1課
19年9月 統合幕僚監部運用1課防衛警備班長
21年3月 第12普通科連隊長
22年7月 陸上幕僚監部装備計画課長
24年7月 第1空挺団長 陸将補
25年12月 陸上自衛隊幹部候補生学校長
27年3月 陸上自衛隊研究本部総合研究部長
28年7月 陸上幕僚監部防衛部長

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 幹部候補生学校公式Webサイト(講演会写真:PDF注意)

http://www.mod.go.jp/gsdf/ocsh/annzennhosyoutirasi261217.pdf

防衛省陸上自衛隊公式Webサイト(岡部俊哉;会合の様子)

http://www.mod.go.jp/gsdf/about/2017/20170612.html

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コメント

  1. 晴耕雨書 より:

    A第1空挺団初降下ー団長の自由降下に思う [名リーダーを思う]
    第1空挺団初降下ー前田団長の自由降下
     TVニュースで平成25年1月13日(日)に行われた第1空挺団初降下・離島奪回訓練の様子を承知していた私は1月某日習志野駐屯地を訪れた際、空挺団長前田将補の自由降下(普通降下ではなく、より難しく資格がいるスカイダイビング)実施を聞いた。全くの素人であり、門外漢であるが、その難しさは容易に想像できた。私は大変な感銘を受けた。

    自由降下は随分難しいらしい

    まず飛行中のヘリから空中に飛び出さなければならない。
     何回やっても恐しく、躊躇する心が当たり前だと思う。

    飛び出してすぐ水平の空中姿勢をとり其のまま降下。
     秒速何十メートルの速さで落ちてゆく。その間、俯きで大の字に手足を拡げる水平姿勢を取り続けなければならない。少しでも傾くとパラシュートが体に巻きついて開かず予備傘が操作できない場合はそのまま墜落してしまう。 そこをクリアして、所定の高度に達っしたら落下傘を開き、操作して、目的地上空に誘導する。
     風速・風向を考えながら、狭い習志野演習場内の降下地点に誘導することがまた難しい。
     降下地点への誘導をクリアしても、最後の着地がある。
     完全には減速できない、数mから飛び降りたのと同じ衝撃が体に加わる。この衝撃は自分の体の柔軟さや動きで吸収するしかない。降り易いフラットな処は少ない。凹凸面や木・石などの障害もある、それらへも適応しなければならない。
     要するに体力気力に優れ、訓練を重ねた空挺隊員の中でも更に技量や経験に優れたもの(有資格者)が自由降下に挑戦出来る。

    20年ぶりの空挺勤務
     確か前田団長は昨年7月に上番、若手幹部時代に数年勤務して以来20年ぶりの空挺勤務であったはず。
     20年は普通に考えると致命的なブランク。降下技術が体から抜け落ちてもおかしくないし、パラシュートも進化しその操作要領は時代遅れのはず。何より年齢が問題。
     聞いたところでは風洞訓練場で空中姿勢が保てるか否かを試したところ体が覚えていたので自信を得て、本格的に風洞訓練を重ね、教官の厳しいチェックを受け降下断行を決意したらしい。

    無事降下成功に思う
    身についていた基本動作
     若手幹部の時に真剣に取り組んだ降下技術が本当に身についていた。言い換えれば本当に身に着くまで徹底して訓練した、からと思う。その訓練は先輩幹部や猛者の陸曹諸官の厳しく温かい指導・注意と本人の汗と恥かきの賜物であった、ろうと思う。初降下での団長の自由降下は基本動作を身につける大切さを教える何よりの手本である。

    挑む気概
     団長がより難しいへ挑んだ気概は敬服に値する。将補の団長が自由降下をした例がどのくらいあるか私は知らない。まして年度訓練初めの初降下に於いては・・・。
     失敗も十分頭をよぎったであろう。しかし、失敗よりも己を信じ断行したそこに惹かれる。団長以下全員が成功させる為に心と技を一つにする。しかもそれは一人一人が敢えて厳しい目標や状況に挑戦する気概を前提とする。そしてやる以上は必ず成功させる、勝!その中で、指揮官は部隊の核心たらん、を強く自分に言い聞かせる強い気持ちが伝わってきた。全員で味わった任務達成の美酒に空挺魂を隊員と共有する喜びも伝わってきた。

    本稿の終わりに
     当日の風速は2m/秒であった、らしい。昨年14m/秒の風速で降下が出来なかった、と聞いた。団長の気概に運も味方したのであろうか。
     前田団長にとっての20年は”国家のいざ”では、何時でも何処でも飛び降りて見せるぞ、の覚悟を新たにする日々の積み重ねであった、に違いない。

    NHKスペシャル「60年目の自衛隊 ~現場からの報告~、大いなる精神は静かに忍耐する」、に思う [名リーダーを思う]
    始めに
     8月10日、夜9時の表記報道を視聴後、私は私なりに余韻を楽しんでいた。そこへ8月18日、某氏から電話があり、陸上自衛隊幹部候補生学校長が語った『大いなる精神は静かに忍耐する』、に感動した、と言う。何故?の私の問いに、あの言葉に日本人の魂そのもの、多くの人が忘れていた、を感じたから、という答えが返ってきた。
     私はこれだ、と思った。

    前田学校長の大仕事
     学校長は実に大きな仕事を二つした。
     先ず1つ、たった一つのフレーズで自衛隊の60年はこれです。これから先も(役割の変化でより難しい状況となっても)精神は変わらず務めを果たす、と言ってのけ、視聴した大多数の人にそのしんし(真姿)を納得させた。
     二つ、同時にたった一つのフレーズで、視聴した人に、暗に気高い志がありますか?その志を果たす為忍耐する事を知っていますか?と問いかけ、一人一人はその胸に手を当て感じるところがあった・・・。
     その感じた何か、例えば冒頭の『日本人の魂そのもの』、が自衛隊のしんし(真摯)さへの納得、共感の感情を呼び起こした。
     その真摯さとは『事に臨んでは危険を顧みず、身を挺して責務の完遂に務め』の宣誓に正面から取り組む姿勢である。いつ来るか分からぬ事ある時に備えて、覚悟と意欲を静かに燃やしている姿勢であり、その事ある時に断固実行する姿勢である。
     その事ある時は自分の代では来ないかもしれない、しかし後に続く誰かが身を挺して責務を果たす。自衛官がその心を伝え続ける真摯さもある。

     東日本大震災で原発事故に際し、原子炉の早急な冷却が求められた時、その緊急事態で国家が持ち得た手段は極めて限定されていた。その限定された取り得る手段は放水冷却隊であった。完全防護で、ヘリは最も放射能の濃度が高い原発真上から放水した。地上からは消防車の短いホースを最大限延して、原発に最接近し、放水した。状況不明下に刻一刻と迫っているかもしれない大爆発の危機、自衛官が後ずさりしたらその瞬間に限っては国家は無策であった、かもしれない。これこそ将に自衛官の服務の宣誓そのものである。自衛隊創設以来、営々と育み、伝え続けた自衛官の心を行動で示した、ものである。

     多くの人がこの光景を見、その行為の意味を理解していた。この事が当該報道で、前記真摯さに共感、納得した下敷きである。

    終わりに
     前田学校長は陸上自衛隊幹部候補生学校開設60周年の今年、入校した候補生への訓示に建学の精神として「大いなる精神は静かに忍耐する」を取り上げたが、集団安全保障の閣議決定に絡めたNHKの報道というタイミングの中では対象が候補生だけで済むはずがなかった。図らずも部外者・国民の多くの方への大きなメッセージという副次の効果を挙げた、と思う。
     これこそ将に大いなる精神は静かに忍耐するの実践ではないか、そんな気が強くしている。

    市民安全保障講座『60年目の幹部候補生学校~伝統の継承を意識して~』に思う [名リーダーを思う]
    始めに
     12月17日剛健大講堂において表題の講座を陸上自衛隊幹部候補生学校の校長前田将補が行った。私はこの講座を聴講させて頂いた。前回ブログ『NHKスペシャル「60年目の自衛隊 ~現場からの報告~、大いなる精神は静かに忍耐する」、に思う』以降、①大いなる精神とは、その在り様は?②静かに沈黙するとは、その中味は?そして③沈黙に決別する時とは、どのような時でその時の精神の在り様は?等について整理したい、と考えていた、その契機とする為である。前回頂いた感動を、一過的なものにしない為に、の思いが強かった。

    前田学校長の発信
     同校長はNHK特集を振り返り、言いたい事を富沢元陸幕長の談話と自らの談話の2つの場面のビデオに集約した。1つ目、前者は国防に任ずる自らの信念とその信念が揺らぎかねない強烈な雑音?への思い。その狭処で問い続けた”大いなる精神は静かに沈黙する”、であった。2つ目、後者は最も強大な力を持つ組織即ち軍隊はもっとも謙虚でなければならない、であった。そして若干の補足を加え、高い志を持ち”謙虚”であれ、と語った。要するにここが肝、なのだ・・・。大いなる精神は静かに忍耐する、のなかでなぜ謙虚なのか、を考えたい。
     その前に先ずは1つ目、前者の談話について考えを纏めておきたい。

    修親2015年1月号、岩田陸幕長の巻頭言を読む
     講座の翌々日送られてきた表記巻頭言に目を通した私は心と頭が洗われる思いを抱いた。即ち”始めに”、で記した整理したい事項のうちの2つ(①②項)について私の考えていたズバリの内容であった、ので。以下引用しつつ感想を述べたい。
     『(前略)長く厳しい冷戦時代、そして冷戦後の流動する安全保障環境にも的確に対応し、抑止体制を堅持して、一発の銃弾を撃つこともなく平和を守り通してきた。』事に触れ、『これは謂われない誹謗中傷にも耐えながら、国の防人としての地位役割を深く認識して、謙虚にかつ直向きに防衛の務めに励んでこられた、諸先輩方の努力と叡智の賜物である。』と今までの60年を振り返り、”大いなる精神は静かに忍耐した”在り様を述べ、先人への感謝の言葉を述べられている。
     そして『我が国防衛の最後の砦たる陸上自衛隊の使命と責任の重さを深く自覚すると共に、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民負託にこたえる」との覚悟を堅持し、何事にも惑わされず、黙々と強靭な陸上自衛隊の創造に邁進していくことを、心新たに誓いたい』と”大いなる精神は静かに忍耐する”の在り様を力強く示されている。

    在り様の”肝”謙虚を思う
     これからは今まで以上に局地の小部隊指揮官の決断や指揮に伴う行動が外交・防衛の全般政治や軍事戦略に直ちに連動する事も考えなければならない時代に入ってゆくだろうと、の発言に、幹部候補生を育て送り出す学校長の使命の重さへの誇りと苦悩を感じた。私が以下を感じているからこその受け止めからかもしれないが・・・。
     現場の小隊等の長が一発の銃弾を撃たねばならない局面や安全保障体制の切れ目で決断と命令をしなければならない局面等ただ強さを求めるだけでは答えが無い時にきちんと(答えを)出せる指揮官が必要だ。その為幹部候補生の教育でどのようにすべきか、についての誇りや苦悩である。結局は謙虚。志は高く、目線は低く。自らが出来る事と出来ない事。知っている事と知らない事等を弁え、所命を果たす為に、為すべき事や為し様を考え得る指揮官を養成する。その肝が謙虚なのだ、と思う。以上本項が前述③の答えでもある。

    終わりに
     市民安全保障講座において在り様について60年を振り返って富沢談話、これからを見据えて謙虚(こそ”肝”)と語る前田校長。機を一にして在り様を率直に、全国の幹部一人一人に直接語りかける岩田陸幕長の巻頭言との印象を強くした。
     私はこの意味を考えた、たった一人に過ぎない。これに限らず多くの人が諸々の事を考えたであろう、その事で我が国の防衛基盤がモットモット強固になり、幹部候補生学校の在り様がモットモットクローズアップされ、幹部候補生がより逞しく謙虚で大きくなる、に違いないと思う。ものを思わせ、考えさせる前田学校長の発信力は凄い。

    陸上自衛隊幹部候補生学校95期B・U課程卒業式に思う [名リーダーを思う]
    表記卒業式が平成27年1月24日該学校(久留米市前川原)で行なわれた。

    始めに
     当日は小春日和の穏やかな陽気。学校には終日、291名の卒業生の元気はつらつとした大声と感謝の言葉、学校長以下の職員の慈愛・ねぎらい・激励の言葉、多くの来賓の慶祝や父兄方の我が子息への賞賛・激励並びに学校職員へのお礼の言葉が飛び交っていた。
     その雰囲気の中で私はいつもと違う、ある事に思いを寄せ続けた。それは卒業式に於ける前田学校長の式辞についてであった。
     例年の学校長の式辞とはちょっと違うなーと思いながら書きとめたメモを見て、その違いが何であるかを探った。走り書きの乱れたメモ、我ながら見づらい、で取り違えもあるかもしれないが・・・。そこに絞って感想を述べたい。

    リーダー論
     前田学校長はマックスウェーバーの金言分析をかりてリーダーが備えておかなければならない要件を卒業候補生に明示された。勿論”ならでは”のものである。内容は2つの視点からなる。1つ目は徳性に関わる「情熱」・「責任感」・「冷静さ」等を持つこと。2つ目はリーダーの意識に関わる他の人への影響力を持つ等への「自覚」や大きなり決定等の中枢にかかわる等の「生き生き感」を持つこと、である。
    伝わって来た2つの心
    1つ、大成を願う心
     自衛隊の中だけ、でなく国家として存在感のある幹部自衛官を目指せとの大意がこもっているように思える。
     本来、限りなく精強な部隊、強いリーダーが求められてきたし今後もそうであろう。それは余分な事を考えず愚直に与えられた役割を果たせ、ととらえられ、見えない枠の中での話であったように思う。自衛隊への期待がますます増し、高い能力が求められる、と考えられる今、見えない枠を取っ払い、それに応じる高い志や心構えと能力を持ち武についての優れた良智を弁えた高級幹部が必ず求められるとの先見性が言わしめたリーダー論であった、ように思える。

    2つ、普遍性を求める心
     マックスウェーバーの金言・分析を借りての物言いに、より普遍的なリーダー論を贈りたいとの強い思いが伝わる。自己の体験に基づく主観的なリーダー論では受け手も限られ、一生”道”として追い求めるにはパワー不足である。しかも自分の思いを正確に伝えたい、それには横文字が優れている、との思いも加えて。

    終わりに
     最初は新しい剛健大講堂での賑々しい卒業式の雰囲気の中でちょっと違和感的な思いであったが、その違いはよく考えてみると大きな、大きな思いから発せらた、と今は思われる。

    陸上自衛隊幹部候補生学校・(前)学校長前田将補離任に思うー最後の発信から伝わるもの [名リーダーを思う]

    始めに
     3月30日付で異動されることとなった(前)学校長前田将補を離任前の慌ただしいときに訪ねた。その非常に限られた話しの中で、心に響くものがあった。それを堀りさげたい、と会話に登場した資料を拝読させて頂くようお願いした。以下はその拝読所見である。

    一つ、心に響いた何かを掘り下げたい

     前田学校長の候補生教育への締め括りの思いは自主自律であった。候補生が、自ら困難に立ち向かい自らの力で克服する。問題の所在を自ら発見して取組み、自らの知恵で解決する等の精神を持ち、型や殻を自ら破り次第に重くなる責務に適応出来る(成長し得る)素地を持って卒業し、幹部としての(修行の)道を歩み始める。これが本校における仕上がりの姿である。
     この精神は幹部としての矜持の強弱に大きく左右される。従って、本校では幹部としての矜持の保持にすべてを帰結させる教育の重視を要望した。自分が幹部としての矜持を具体的に持った原体験は空挺勤務時にあった。空挺基本降下課程においては幹部であろうと陸曹であろうと同じカリキュラムで同じように扱われるが、時間外は幹部学生は敬意を込めて扱われる。理由を被教育者であった学校長《空挺団長》が尋ねると敵後方に降下した後は幹部の作戦指揮能力に空挺部隊の成否が委ねられるからその責務の重さ、に対する敬意であるという意であった。しっかりしなければ・・・、と思った。

     話の大要は以上、【登竜門】の最終号での発信をもとにしていた。【登竜門】は校長としての色々な思いを候補生や職員へ伝える為に着任当初から続けているという。同様の試みを空挺団長【タイトルは挺進赴難】、第12連隊長【タイトルは不易流行】時にも発信した、とのこと。

     上記話に幾つかの心に響くものを感じた私はもう少し掘り下げるべく、上記3つの資料を読ませていただくよう、お願いした。生憎「不易流行」は手元に無い、との事。勿論支障のない範囲でのお願い、である。

     余り時間を置きたくないので記憶の新しい処で書き始めたい。以下私の感じた点に絞らせて頂く。前学校長前田将補が意図する処とは程遠いものになるかも知れないがお許し願いたい。

    二つ、二つの資料に目を通して

    一つ目、前学校長前田将補の幹部自衛官”道”を思う

     ブログ『第1空挺団初降下ー団長の自由降下に思う』で其の最後を「前田団長にとっての20年は”国家のいざ”では、何時でも何処でも飛び降りて見せるぞ、の覚悟を新たにする日々の積み重ねであった、に違いない。 」と締め括った。あの時点では全くの想像であったが2つの資料を読み終えて、的を得ている、との感想を持った。

     先ず読み取れたのは最精鋭の空挺部隊を希望し、戦士として戦技・体力など全く隊員と同じ行動が出来(自由降下資格や空挺レンジャー課程終了等)、その上でリーダーとしての高い見識や力量、特に決断と命令などの戦機に投じた指揮運用力や畏敬されつつも慕われる人柄等を身に着けるべく努力してきた歩みである。その背景に高い志と幹部自衛官としての矜持。有事役立つ強い部隊・隊員作りの先頭に立つ使命感と気概等が窺える、のは勿論であるが全般の記述上この程度でとどめる。

     つまり防大入校以来の初心を貫き、一流の戦士であり一流のリーダーたらんと修養してきた歩み、がある。

     その道の中で大きな比重を占めるものがある。

     それは、自主自立の精神である。

     空挺団訓練始めでの自由降下挑戦等自ら困難に立ち向かい、常に問題意識を持ち、納得できない時は上司の処に乗り込み意見具申を行った。簡単にあしらわれたがひるまず食い下がった。分からない事は相手が誰であろうと素直に指導を受けた。自ら考え抜き、得心したら血肉とする、を愚直に続ける事が将来の難問へ立ち向かう大きな力となり得る、を信念として持った。それは中隊長時代の修親投稿記事で述べているように、若手幹部時代における精到な訓練の専念・追求を通じて確固たるものになった。だから最後の締めくくりは自主自立だった、のだ。

     戦技(戦闘行動や武具の操作技術)への関心を例にとると、戦技の理について、空挺動動作の肝心要は飛び出しよりも降着動作にある。何故なら降りた後の戦闘行動が目的であるから、と突き詰め(疑問と答え)ている。同様に降下飛び出しの際,45度膨らませているがおかしい。何故ならぎゅうぎゅう詰めの機内で其のような余裕はないはず、と実戦の理・訓練の理についても突き詰め(疑問と答え)ている。他の事項についても同様であるがこれくらいで止めておく。

     候補生教育においても小隊長と一般の隊員との射撃動作が違うか否か。戦いの備えとは如何なるものか、武装障害走における装具落下防止処置を例に考える。何故50KM、100KM行進を行うのか。候補生教育で行う組長動作は幹部としての判断・振る舞いが表れてしかるべきではないか等々について何処に理があるかを提示(疑問)し突き詰め(答え)ている。

     自主自立の実践を絶え間なく続ける。その姿が候補生の鏡となっている。

    二つ目、発信力を思う
     ブログ『NHKスペシャル「60年目の自衛隊 ~現場からの報告~、大いなる精神は静かに忍耐する」、に思う』で「図らずも部外者・国民の多くの方への大きなメッセージという副次の効果を挙げた、と思う。これこそ将に大いなる精神は静かに忍耐するの実践ではないか、そんな気が強くしている。」又ブログ『市民安全保障講座『60年目の幹部候補生学校~伝統の継承を意識して~』に思う』で「ものを思わせ、考えさせる前田学校長の発信力は凄い。」と締め括った。

     候補生に話してるにもかかわらず部外者の多くが感動する。言葉の奥深さに知的好奇心が頭をもたげる。それらの根源は何か、を思う・・・。

     ・・・今何をどう行うべきか、を考え抜き、金言道の引き出しから最もふさわしいものを撰びだす、を答えとしたい。

    一番目、今何をどう行うべきか、を考え抜いている
     学校長としては60周年をどう候補生教育に活かすかの視点である。そしてどういう言葉で伝えるかに全エネルギーを注入する。即ち入校式や記念行事或いは学校長講話等の場での訓示・訓話に自らの知恵を絞る。折からのNHK取材にはそのやったこと、作り事ではない信念について取材を受けた。候補生や職員が感動する。その輪が広がったのだ。

     今意味が分からないかもしれないが将来必ず思い当たることにぶつからはずだ。その時にこんな事を話した学校長がいた、と思い出してくれるような贈り物をしたい、とのロマンも感じる。

     空挺団長としては訓練始めを隊員の練度向上や統率にどう活かすか、の視点で、離島防衛のシナリオでの降下・戦闘を企図した。始めての試み、当然隊員は必ずしも普段通りではない未知の動き、チャレンジを要求される。しかし空挺団長自らが邪気なく自由降下に挑戦する姿が隊員を励まし意欲を振起する。挺進赴難の精神を全員が共有して事を為し、抑止と言う大仕事を成した。その姿が感動を呼んだ。

     以上に限らず、普段の、今の諸々をどう伝えるか、教育するか、を考え抜いて「不易流行」「挺進赴難」「登竜門」を書き続けた。その努力・熱意は前述の自衛官道の篤さ・確かさと相まって、大きな発信力を作る根源である。

    二番目、金言道
     防大入校以来、日記の最後に心に響いた、思い当たる事や意味をもっと突き止めたい等の金言を書き留めている。その数250を超えるという。そのジャンルは大学人・学者・宗教界・軍人・政治家・経営者・作家・芸術家・職人等と多岐に亘っている。それらを適宜取り出しては自省・教育・訓話・論旨の強化等に活用している。その引き出しの多さはメッセージの多様性を意味している。又目線の高さや深さをを反映し、その用法と相まって隊員に限らず広く共感を呼ぶものとなる。金言は夜ではなく、朝書き出しているらしい。その理由は定かではないが推測するに夜は隊員との交流?や仕事に充て、朝ピュアな心で金言に集中する、の意ではないだろうか。

    金言の効果について
     ブログ『NHKスペシャル「60年目の自衛隊 ~現場からの報告~、大いなる精神は静かに忍耐する」、に思う』から以下を再掲し説明に変えたい

     学校長は実に大きな仕事を二つした。先ず1つ、たった一つのフレーズで自衛隊の60年はこれです。これから先も(役割の変化でより難しい状況となっても)精神は変わらず務めを果たす、と言ってのけ、視聴した大多数の人にそのしんし(真姿)を納得させた。

     二つ、同時にたった一つのフレーズで、視聴した人に、暗に気高い志がありますか?その志を果たす為忍耐する事を知っていますか?と問いかけ、一人一人はその胸に手を当て感じるところがあった・・・。
     感じた何か、例えば冒頭の『日本人の魂そのもの』、が自衛隊のしんし(真摯)さへの納得、共感の感情を呼び起こした。(以上再掲)

     福島大尉は偕行社課題論文「降雪及び積雪の戦術上に及ぼす影響」に於いて自らの優れた八甲田山雪中行軍などに触れず沈黙をしたまま、戦史や格言のみで論を構成して応募した。罫紙108枚(規定は罫紙30枚以内)4.3万字の大作を3ヶ月弱で仕上げ、優等賞を得た。戦史引用92件。格言(註:金言の事)引用39件。

     引用・活用する事例(教訓等)や格言を蒐集整理する作業は一朝一夕に出来るものではない、普段の地道な取組がありしかも整理・整頓されていたので花開いたわけである。前学校長前田将補の長年にわたる地道な研鑽にも思いを寄せ、敬意を表したい。
    自衛隊応援クラブ22号(平成27年12月号)「陸上幕僚監部防衛部長前田忠男陸将補スペシャインタビュー」にフォロワーシップを思う [名リーダーを思う]
    フォロワーシップについての金言は陸上自衛隊に当てはまる

    表記記事を目にした私は記事中の囲みの一つに目を留めた。それには

    大いなる精神は静かに忍耐する
     東日本大震災に際して、当時大阪大学の総長だった哲学者の鷲田清一さんが引用された「請われれば一差し舞える人物になれ」という言葉が、私の記憶に残っています。これは文化人類学者である梅棹忠夫さんが、亡くなられる直前のインタビューを締めくくられた言葉だそうです。もしリーダーに推されたときには、いつでも「舞える」よう、日頃から準備をしておけということです。
     この言葉は、まさに陸上自衛隊に当てはまるものだと思っています。積極的な活動はもちろんのこと、さらに国民のみなさんに請われれば、差し舞うだけの準備はできています。淡々と日々の訓練をこなし、しっかりとその実力を蓄えているのです。

    とあり、フォロワーシップについての金言と受け止めた。

     鷲田清一大阪大学総長の式辞(H23.3)では市民生活特に公共的な生活に於ける集団とそのリーダー及びそのリーダーをケアするフォロワ―の在り方について述べられ、「請われれば一差し舞える人物になれ」はフォロワーシップについて語られた文脈の中にあった。この考えは、国防・安全保障という公共の課題に対する陸上自衛隊という集団と置き換えると前田将補が語っているようにまさに陸上自衛隊に当てはまる、と私も感じた。

    フォロワーの考え方。

     ここでいうフォロワーは後ろに控えているが何時でも前へ出れるものという意味である。陸上自衛隊は国家の最後の砦という位置づけであり、普段は後ろに控えているがいざでは、前へとなる。国家は命運を託すに足る人物にそのいざを委ねる。託されたリーダーはその時に備え用意を怠らず、知恵の限りを尽くし勝利へと導く。

    防衛大学校生活でフォローワーとしての原石を磨いた

     前田将補は防衛大学校学生時の断郊競技について触れている。全員参加の3年生時の断郊競争は私の経験では大変きついレースであった。そのきつさはアップダウンのきついコースに加えて最後の者がゴールした時がチームのタイムとなる競技の特性にある。即ち同じ力のものが走るのでその日の調子によってバテルものが必ず出るし、いつも同じものがバテたりする。しかもコースの一番苦しいところで発生する。バテてレースを放棄することは出来ない。ゴールしなければチームはもちろん大隊対抗なので大隊も失格となる。そこでバテた者の背嚢を持ってやり、叱咤激励して這ってでもゴールを目指すことになる。そうこうしているうちに、そんな余裕のある者はいないので別の者や背嚢を持ってあげた者がバテたリする。請われた前田学生は本来の自己の走力以下の第3分隊長となりバテそうな隊員のフォローをし、それどころか全体で4位の好成績を収めた。本来早い分隊で勝負したかった自分を押さえ責任者の指示に従った。見込まれたのならそれに応えようと大隊の勝利への貢献を優先した。
     体力さえあれば誰でも出来ると思う方がいるかもしれないがとんでもない。きつさは同じである。その時に他人の背嚢を持ってやる人は”かみさま”である。私がバテた時、背中を押し励まし続けてくれた同期は”かみさま”であった。それだけでも”かみさま”であった。爾来そいつが何かやるときは協力を惜しまなかった。それどころかの好成績には大きな意味がある。足を引っ張る者が逆に牽引車となるプラスの力を引き出したに違いない。体力だけではない推されるに値する力が既に備わっていたのだ。

    終わりに

     「大いなる精神は静かに忍耐する」のおおいなる精神とはここで述べたフォロワーシップである。最後の砦として、いざに備え黙々と務めを果たし続ける国家のフォロワーたる陸上自衛隊の使命とそれを自己の精神の琴線とした心ある陸上自衛官の心映えである、と私はこの記事をみて思った。
     また二つの金言提示は自分の専門外の専門家のそれに反応し、心に響いたことを、ミリタリーの専門家として他の分野の方々に対し発信するというスタイルである。防衛基盤をより新しくより大きくするという点で関心の向け方や発信力の在り方について鷲田式辞にある自分の専門外の専門家に対する、外向きの、説明の在り方に通じるものがあると思った。
     最後にこの読者は自衛隊の門を叩くかもしれない若者である。その若者に大きな志や気概を、自らの背中で示した。大変印象に残る、含蓄のある言葉のプレゼントで。