阿部仁一(あべ・まさかず)|第32期・陸上自衛隊

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阿部仁一は昭和40年9月22日生まれ、熊本県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第32期の卒業で幹候69期、職種は野戦特科だ。

 

平成28年3月(2016年3月) 自衛隊旭川地方協力本部長・1等陸佐

前職は陸上自衛隊幹部学校教育部であった。

 

阿部は、ある意味で自衛隊のとてもレアキャラな一面を持つ1等陸佐だ。

先述のように卒業年次は第32期であるものの、出身は今はなき少年工科学校(現・高等工科学校)第27期生であり、こちらも今では存在しない3等陸士の階級で自衛隊生活を始めた男である。

 

少年工科学校では、その前期教育を終えると配属予定部隊での教育を経た上で、3等陸曹として実際の部隊配備となる人事制度を採っていた。

然しながら毎年、人数としては極めて僅かだが防衛大学校に進むものもいて、阿部もその一人であったということだ。

少年工科学校出身であり、さらに防衛大に進んだので、15歳から既に37年間(2017年現在)を自衛官として過ごしていることになる。

(正確には、防衛大学校時代の4年間は防衛庁職員ではあるが)

星の数より飯の数、というが、まさに防衛大学校第32期組の中で、もっとも長く自衛隊でメシを食ってきた男の一人であるといえるだろう。

 

その阿部が、2017年10月現在で補職されているのは旭川地方協力本部長。

数々の要職を歴任し、現場を知り尽くし、自衛隊の教育を知り尽くす男が就くポジションとしてはまさに適任のポストだ。

また、長年に渡り自衛隊に奉職し、我が国の平和と安全に貢献し続け、定年を迎え自衛隊を去る自衛官についても、その第2の人生をお世話する要職である。

少年工科上がりと言えば鬼の陸上自衛官というイメージしか無いが、「営業活動」も器用にこなしてしまう一面も、非常に評価が高いことの証左だ。

 

 

なお、その阿部の本職は野戦特科であり、FH-70や203mm自走榴弾砲など、現代の陸戦において、その勝敗を決すると言っても良い重火砲のスペシャリストである。

これら面制圧の火器は、わかりやすく例えれば、イラク戦争でアメリカ軍がみせた巡航ミサイル攻撃のようなものだ。

まず敵の部隊や施設をあらかた無力化した上で、歩兵を中心とした直接制圧部隊を投入したように、榴弾砲による遠距離射撃であらかた敵を無力化した上で直接制圧の部隊を投入する。

 

各地の駐屯地開設記念祭や師団創立記念祭の際に見られる演習では、まず偵察隊が状況を把握。

そしてFH-70(戦車じゃない大きな大砲)でドーーンと何発か撃って、その後に普通科(歩兵)と機甲科(戦車)が、敵陣になだれ込み制圧するというストーリーになっている。

適当な流れに見えるかもしれないが、まさにこれが現代の陸戦の流れである。

 

しかし一方で、このような面制圧の火器は必要ないではないか、という声も根強い。

島国である我が国では、このような重火砲を敵勢力に向かって撃つ戦闘などまるで想定できないではないか、というのがその主な理由だ。

実際に近年(2017年時点での近年)、野戦特科は地対艦ミサイル連隊を除き、特にFH-70を扱う部隊は縮小され続けている。

 

しかし一方で、このような重火砲が我が国に存在しないとなると、上陸側は極めて軽装で、軽武装のまま上陸をしても、十分戦えると言う条件を与えてしまうことになる。

軽装で軽武装ということは、レーダーでは検知しにくい小さな船舶に分乗して海岸線に近づくことが可能ということであり、攻め手側に無用の自由度を与えてしまうことに他ならない。

自由度を得た敵への対処法は、何十通りもの対応策を準備しなければならないことから、結局のところ高くつくという結果をもたらすわけだ。

 

その為、縮小傾向が続くとは言え、これら野戦特科の重火砲がなくなることは絶対になく、恐らく2017年現在の趨勢のように、方面隊隷下にある全ての野戦特科を方面隊直下として再編し、ひとまとめの強力な集団として再編することが、当面の間の流れになるだろう。

 

人員と装備を削られてしまいながら機能を維持するためには、集約をした上で機動展開する能力を高める以外に方法はない。

このような苦労は、今の陸上自衛隊を見ていると気の毒になるほどだが、かつて地対艦ミサイル連隊も同じような冬の時代を、2000年~2010年頃にかけて経験した。

それが今や、新装備への更新予算と新部隊の新設予算まで付く有り様である。

 

予算削減の折、何かと苦労が絶えない野戦特科だが、その中で戦力を維持向上させるという矛盾する要求をともに満たすことが出来るのは、現場を知り尽くし、そして高級幹部にも昇り詰めた阿部のようなエキスパートだけだ。

ぜひ、その大仕事をしっかりとこなしてもらいたい。

今はその器用さを買われ地本長を務めているが、本職の指揮官に戻った際は、あるいは将官に昇り詰めた際には、ぜひさらに、その辣腕を振るってくれることだろう。

 

◆阿部仁一(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
56年4月 少年工科学校(第27期)
59年4月 防衛大学校(第32期)
63年9月 第3特科群

平成
8年8月 富士学校特科部
12年8月 幹部候補生学校教育部
14年8月 幹部学校教育部
14年12月 陸上幕僚監部教育訓練部訓練課
16年3月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課
17年3月 第104特科大隊長(上富良野)
18年8月 西部方面総監部防衛部防衛課
21年8月 第13旅団司令部第3部長
23年8月 第12特科隊長兼宇都宮駐屯地司令
25年8月 第5旅団司令部幕僚長(帯広)
27年8月 幹部学校教育部
28年3月 自衛隊旭川地方協力本部長

 

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省 旭川地方協力本部公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/pco/asahikawa/engo29.4.19.html

http://www.mod.go.jp/pco/asahikawa/engo29.1.19.html

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