山頭彰(さんとう・あきら)|航空学生第37期・航空自衛隊

山頭彰は島根県出身の航空自衛官。

航空学生第37期の卒業で、職種はもちろん飛行だ。

生年月日は判明しないが、航空学生37期であれば、ストレートであれば昭和37年度の生まれ(※)にあたる年次である。

平成27年8月(2015年8月) 第12飛行教育団司令兼ねて防府北基地司令・1等空佐

前職は航空幕僚監部運用支援調整官であった。

※トクホ様、ご指摘ありがとうございました!

エリートパイロットの登竜門にして、超難関試験を突破したものしか着任することができない航空学生出身の1等空佐である。

採用者数は2017年現在で毎年40名前後であるが、受験者数は3000名近くにもなり、難関というレベルではない。

航空自衛隊パイロットのおよそ70%がこの航空学生出身で、意外に思われるかもしれないが防衛大学校(あるいは一般大学)を卒業し、幹部学校修了後にパイロット教育を開始する飛行幹部の方が少数派となっている。

山頭はそのような狭き門をくぐり抜け、そして訓練、学科、心身の強さなどあらゆる場面で最高の結果を出し続け、F-15戦闘機のパイロットとして活躍した。

なお、山頭の頃の航空学生は2017年現在と違い、冗談ではないほどに身体検査が厳しかった時代である。

視力基準もおそらく裸眼遠距離で1.5以上という時代であろう。

身体基準もかなりハードルが高く、学力が有りながら目も良くなくてはならず、また視力が落ちると戦闘機を降りざるを得なかったことから、山頭の時代のパイロットは、テレビも見ないと言う人が多かった。

それ程までにストイックな自己管理が求められ、なおかつ心の強さと学力の高さを兼ね備え、さらに冷静沈着でクレバーな性格が要求されるのである。

そんな人間、どこにいるんだと思わなくもないが、山頭がまさにそうであった。

ちなみに2017年現在、航空学生の受験資格にある裸眼遠距離の視力基準は、0.1である。

0.1・・・。

本当にこれで良いのかと思わなくもないが、目視に頼りオペレーションをするような時代ではないと言うことなのだろうか。

メガネをかけたF-15戦闘機パイロットも、そのうち誕生するのかも知れない(さすがにそれは無理か・・・)。

さて、2017年12月現在で山頭が補職されているのは、その航空学生を預かり、育てる第12飛行教育団司令の要職だ。

まさにこれから10年あるいは15年、我が国の国防における最前線に立ち、空の安全を守っていく若者を育てる、非常にやりがいがあり、なおかつ重い責任を背負うことになる要職である。

千歳や小松など、最前線の基地で指揮を執り、様々な知見を積み上げてきた元イーグルドライバーには、これ以上無い名誉ある仕事だ。

若者たちは、自衛官生活のスタートを切ったこの地で学んだことを一生忘れることはなく、自衛官としての矜持や考え方も、山頭の影響を大きく受け、巣立っていくことになるだろう。

なお山頭は、航空学生37期であれば2017年12月現在、おそらく55歳あたりの年齢と思われる。

第12飛行教育団司令を務めた1等空佐は、後職に就かず退役となることが多いのだが、あるいは山頭も定年を意識すると、このポストが最後の補職になるかもしれない。

未来ある若者を育て、最後の大仕事をする山頭の活躍には、最後まで注目して追っていきたい。

◆山頭彰(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
56年3月 航空自衛隊入隊(航空学生第37期)

平成
18年8月 飛行教導隊(新田原)
19年8月 第2航空団
21年8月 幹校付
22年8月 中部航空方面隊防衛課長
23年8月 航空幕僚監部厚生班長
24年10月 第6航空団飛行群司令
26年8月 航空幕僚監部運用支援調整官
27年8月 第12飛行教育団司令兼ねて防府北基地司令

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 防府北基地公式Webサイト(顔写真及び行事写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/hofukita/from_commander.html

http://www.mod.go.jp/asdf/hofukita/topics/291012.html

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