深澤英一郎(ふかざわ・えいいちろう)|第30期・航空自衛隊

深沢英一郎は昭和38年3月5日生まれ、福岡県出身の航空自衛官。

防衛大学校卒業第30期の卒業で幹候76期、出身職種は飛行で戦闘機パイロット上がりの空将補だ。

平成28年12月(2016年12月) 航空幕僚監部監理監察官・空将補

前職は北部航空方面隊副司令官であった。

2017年11月現在、航空幕僚監部監理監察官に補職されている深澤だ。

監理監察官は、事故や様々な不祥事に際し、組織内の職務が適正に遂行されているのか、もしくはいたのかなどの監査を行うポストだが、一般企業で言えば内部監査室というポジションがもっとも近いかもしれない。

その深澤が航空自衛隊に入隊したのは昭和61年3月。

戦闘機パイロットとして、第8航空団でのデビューを皮切りに、第3航空団飛行群司令、第7航空団司令など、エリートパイロットとしてのキャリアを積み上げる。

そして1等空佐に昇ったのは、なぜか平成16年6月。

昇任1佐人事としては時期外れな上に、30期の1選抜である平成17年1月より、半年以上も早い。

これは、平成16年6月から深澤が外務省に出向し、イスラエルに赴任することになったためで、人事の慣行として、赴任中に1佐に昇任することが確実であったための措置と思われる。

そのため部内的には、1選抜での1等空佐昇任という理解で良いだろう。

1等空佐時代は、第3航空団飛行群司令のポストを除き、ほぼ空幕での勤務が続く。

中でも総務系の要職を多く経験し、組織運営や調整で知見を積んだ上で、平成26年3月に空将補に昇任した。

こちらは、同期1選抜から2年半遅れの空将補昇任ということなので、その分、1等空佐として現場指揮経験を十分に積んだ上での将官への昇任ということになる。

なお、深澤と同期である30期は、2017年夏の将官人事で初めての空将が誕生した年次にあたる。

この際に空将に昇った者が、やはり航空幕僚長候補レースでは大きなアドバンテージを握ることになるが、それは以下の2名だ。

金古真一(第30期)・中部航空方面隊司令官

井筒俊司(第30期)・西部航空方面隊司令官

(※肩書はいずれも、2017年11月現在)

2017年冬か、2018年春にはもう1名、30期から空将に昇るものが選抜されるだろう。

そしてその3名が、30期組としての、空幕長最終候補者と言うことになる。

さて、その30期組の中で独特の存在感を放つ深澤だが、その印象的なキャリアと言えば、やはりイスラエル防衛駐在官のポストだろうか。

上記画像は、防衛白書の中から発掘した防衛駐在官当時の深澤(右端)だ。

平成16年から3年間の補職であったので、当時は40代前半にあたる。

50代半ばになっても若々しさを保っている深澤だが、やはり当時はさらに若々しい。

深澤はこの3年間の中で、ゴラン高原のUNDOF(兵力引き離し監視隊)に派遣されている自衛隊員の視察を行った他、湾岸戦争において、イスラエルがスカッドミサイルの被害を受けた経緯や、その教訓の分析など様々なことを調査し、あるいは研究した。

北朝鮮からのミサイル防衛構想が大きな安全保障上の課題である我が国にとって、その際に深澤がもたらした教訓は、非常に大きな財産になって今日に活かされているだろう。

しかしそれにも増して、深澤にとっては、イスラエル国民の国防に対する意識の高さ、現実認識能力の高さがもっとも印象的であったようだ。

常に国家の滅亡と隣合わせに生きてきたイスラエルの人々の強さやしたたかさ。

その現実的な脅威に対する対抗策。

究極の危機意識の中で人々はどのように安全保障政策を考え、国家の運営を考えているのか。

このあたりに印象深さを残した3年間になったようだが、恐らくその際の経験もまた、我が国の国防政策として今日の果実となっていることであろう。

30期組はこれからの5~7年間において、自衛隊の最高意志決定を下していく世代にあたる。

その中で独特の強みを持ち、現実的な国防を組み立て考える能力にかけては、深澤は群を抜いた知見を持ち合わせている。

その活躍には特に注目し、活躍を心から応援したい。

本記事は当初2017年7月14日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年12月5日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

深澤が第7航空団司令兼百里基地司令を務めていたのは、2014年10月。

この年は、防衛省・自衛隊60周年記念の節目に当たる航空観閲式が開催された年だ。

この大イベントを、深澤は基地司令として迎えるという大役を担ったわけだが、おそらく自衛官人生の中でもっとも緊張したイベントだったのではないだろうか。

当日深澤は、齊藤治和(第22期)・航空幕僚長(当時)とともに百里基地で内閣総理大臣の安倍晋三を迎え、滞りなく式次第を進めることができたが、この際に印象的だったのは、安倍の訓示だった。

安倍は、隊員だけでなくその家族にまで言葉をかけ、

「大切な伴侶やお子様、ご家族を、隊員として送り出して下さっていることに、最高指揮官として、感謝の念で一杯です。本当に、ありがとうございます。」

と、家族の労を労う。

我々国民は、当たり前だが自衛官の活躍にばかり注目しがちだ。

しかし、命の危険を伴う任務でPKOに従事し、また災害派遣で人々の命を救いながら危険に晒されている自衛官の家族もまた、心身を疲労させ、危険に晒されている事を忘れてはならない。

隊員が危険にさらされているということは、その何倍もの人々が、身を削る思いで無事の帰りを祈り、待ち続けていることであり、常に自衛官とともに戦ってくれている事実を忘れてはならない。

そんな家族の心中を察した安倍の訓示はきっと、ご家族の心にも届いたであろう。

こんな気の利いたことが言える最高指揮官と防衛大臣に、常に恵まれたいものである。

◆深澤英一郎(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 航空自衛隊入隊(第30期)

平成
元年5月 第8航空団
9年1月 3等空佐
8年3月 幹部学校付
12年2月 航空幕僚監部運用課
13年1月 2等空佐
15年3月 航空中央業務隊付
16年6月 イスラエル防衛駐在官 1等空佐
19年7月 航空幕僚監部総務課渉外班長
20年8月 統合幕僚監部運用第2課運用調整官
21年8月 第3航空団飛行群司令
23年4月 航空幕僚監部総務部広報室長
24年12月 航空幕僚監部総務部総務課長
26年3月 第7航空団司令兼百里基地司令 空将補
27年12月 北部航空方面隊副司令官
28年12月 航空幕僚監部監理監察官

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 車力分屯基地公式Webサイト(視察写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/shariki/page/topics2.html

防衛省航空自衛隊 防衛駐在官の勤務状況公式Webサイト(視察写真)

http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2006/2006/html/i32c6000.html

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