古田清悟(ふるた・せいご)|第29期・陸上自衛隊

古田清悟は昭和38年3月生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。

防衛大学校は第29期、幹候は66期の卒業だ。

平成29年8月(2017年8月) 富士教導団長・陸将補

前職は第10師団副師団長兼ねて守山駐屯地司令であった。

陸自の将官の中で、極めて存在感のあるキャリアを持つ古田だ。

陸将補にあるエリートとして、極めて重要なポストを歴任してきたことは間違いないが、なかでも目を引くのは1等陸佐時代の平成19年3月から2年9ヶ月務めた、特殊作戦群の群長であろうか。

特殊作戦群は、海上自衛隊の特別警備隊と並ぶ我が国の数少ない特殊戦部隊の一つだが、深掘りする前に、まずは古田のキャリアと、同期である29期組の動向を見てみたい。

古田が陸上自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成16年7月なので、同期1選抜から半年遅れということになる。

陸自で将官にまで昇るものは、ほとんどが1選抜で1佐に昇任していることから、1佐時代の巻き返しが凄かったということであろう。

特殊作戦群群長や統合幕僚監部の特殊作戦室室長、それに研究本部勤務など、要職を歴任し非常に充実した1等陸佐時代であった。

陸将補に昇ったのは平成27年8月であり、こちらは同期1選抜から5年の遅れとなったが、そもそも陸将補に昇れるのがエリート中のエリートのみであり、その能力の高さは疑いようがない。

そして陸将補のポストでは、第10師団副師団長を経て、2017年11月現在で富士教導団長を務めている。

このようなキャリアからわかるように、古田は全軍を俯瞰する指揮官というよりも、極めて特別な仕事を深掘りして成果を上げることで昇任してきた将官だ。

そのため、陸上幕僚長レースとは無縁の出世コースを歩んできた幹部ではあるのだが、同期の動向ということで紹介すると、29期組では既に、陸上幕僚長の最終候補は出揃っている。

今から、別のものが名乗りを上げることはまず無いであろう、29期組の陸将は以下の通りだ。

柴田昭市(第29期)・第1師団長

山内大輔(第29期)・陸上自衛隊関東補給処長

清田安志(第29期)・第6師団長

納富 中(第29期)・第9師団長

本松敬史(第29期)・統合幕僚副長

上尾秀樹(第29期)・防衛大学校幹事

高田克樹(第29期)・陸上幕僚副長

※肩書はいずれも2017年11月現在

形の上では、これら陸将全員が陸幕長候補者と言っても良いが、実質的には本松、上尾、髙田の3名に絞られていると言って良い。

この3名は既に師団長職を経験し、その格上のポストに着任し、成果を挙げているからだ。

恐らく、第36代陸上幕僚長・山崎幸二(第27期)の後任は、タレントが揃っている28期組から選ばれることは間違いないだろう。

そのため、この3名の中から陸上幕僚長に着任するものが出るとすれば、それは恐らく2021年頃になるのではないだろうか。

今のところ、本松がやや有利かと思われるが、ほぼ横1線の並びであり、さすがに誰が頭一つ抜け出すことになるか。

その予想は現時点では難しい。

さて、その古田が補職されていた特殊作戦群についてである。

陸上自衛隊の組織としては異例の、厳重な情報管理下に置かれている特殊作戦部隊で、対テロ戦や特殊戦を想定した厳しい訓練を行うことで知られている。

群長以外のものは決して顔を出すことがなく、式典においては総員が黒の目だし帽を着用。

所属隊員の名前も明かされず、特殊作戦群の規模すら公表されていないことから、装備や戦力の実態は全くわかっていない。

一方で、イラクにおける自衛隊の復興支援業務に関する成果として、同部隊には陸幕長2級賞状が授与されていることから、特殊作戦群もイラク入りし、要人警護や危険業務に従事していたことが推察される。

その任務内容も行動も明かされることはないので非常に謎が多い部隊だが、PKO活動などにも積極的に出動していることは間違いないようだ。

そして、その特殊作戦群を陸上自衛隊に創設したのは、もはや伝説の陸上自衛官と言ってもいいであろう、荒谷卓氏である。

海上自衛隊の特別警備隊とともに特殊戦の専門集団だが、実はその荒谷氏は、防衛大学の卒業ではなく、東京理科大学の卒業というのが驚きだ。

「お前は軍人の顔をしているから自衛隊に行け」と恩師から言われたことをきっかけに陸自に入るが、入隊時からその各種成績は群を抜いていた、超一流のエリートであった。

荒谷氏が指揮を執っていた特殊作戦群では、10m離れた的の横に隊員を立たせ、なおかつ移動をしながら的を射抜くというかなりクレイジーな訓練をしていた風景を別の陸自幹部が目撃し、ド肝を抜かれたという逸話が残っている。

要人を襲撃するテロリストを想定してのものだが、安全を何よりも重要視する自衛隊の高級幹部としてはかなり異例の訓練だ。

そのような組織を荒谷氏から引き継ぎ、2代目群長に着任したのが古田である。

偉大な初代群長の後を継いだプレッシャーは相当なものであったと思うが、2代目群長を務め上げた後は統合幕僚監部特殊作戦室室長に異動し、さらに研究本部の主任研究開発官などのポストを歴任した。

このように特殊戦の世界に頭までどっぷりと浸かったにも関わらず、平成25年には第1師団の幕僚長に、そして第10師団の副師団長に着任するなど、「こっちの世界」に戻ることに”成功”した珍しい幹部である。

特殊作戦群を創設した荒谷氏にしても、海上自衛隊に特別警備隊を作り上げた伊藤祐靖氏にしてもそうだが、特殊戦部隊を作り上げた創設者は2人とも「こっちの世界」に戻ってくることが出来ず、特殊戦の部隊から異動を命じられると程なくして、自衛隊を去っている。

荒谷氏と伊藤氏に共通している退職の理由は、「上層部はこの特殊作戦部隊を使いこなせない」と、その用兵や本気度に疑問を持った、というものだ。

精鋭中の精鋭を取りまとめ、過酷な訓練を実施し、日本最強の特殊戦集団を作り上げることが出来るような男たちは、どう考えても普通の人間ではない。

そのような男たちが急に通常任務に戻されると、どうしても馴染めなかったということなのだろうか。

常人には通常の自衛隊生活すら1日もたずに逃げ出してしまう過酷な世界であるにも関わらず、特殊戦の世界を経験すると、通常勤務の自衛隊を生ぬるく感じるようになってしまうようだ。

ちなみに海上自衛隊に特別警備隊を作り上げた伊藤祐靖氏は、特別警備隊を創設するにあたり陸自のレンジャー訓練に参加した経験を持つが、

「大して苦しくもなく、初歩的な技能を学ぶだけのレンジャー訓練なのに、皆、苦しそうな演技をしている」と、かなり大胆なことをその著書、「国のために死ねるか」の中に記している。

やはりどこか、ネジがネジ切れているクレイジーな人物でないと、特殊戦を一から作り上げることなどできないようだ。

そういう意味では、荒谷氏から2代目群長を引き継いだ古田の苦心と苦労が、目に浮かぶようである。

自衛隊現役屈指の特殊戦指揮官である古田だ。

事が起これば真っ先に、もっとも危険な場所に赴くことになる熱い男である。

その活躍には、今後も注目して追っていきたい。

本記事は当初2017年7月24日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年12月4日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

◆古田清悟(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 陸上自衛隊入隊(第29期)

平成
8年1月 3等陸佐
11年7月 2等陸佐
16年3月 幹部学校付
16年7月 1等陸佐
17年3月 研究本部研究員
19年3月 特殊作戦群群長
21年12月 統合幕僚監部特殊作戦室室長
24年7月 研究本部主任研究開発官
25年12月 第1師団司令部幕僚長
27年8月 第10師団副師団長兼ねて守山駐屯地司令 陸将補
29年8月 富士教導団長

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 守山駐屯地公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/butai/sta/moriyama/p1.htm

防衛省陸上自衛隊 中央即応集団公式Webサイト(特殊作戦群写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/pa/organization/01.html

防衛省陸上自衛隊 滝ヶ原駐屯地公式Webサイト(訓練写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/takigahara/kunnrenn.html

防衛省統合幕僚監部 災害派遣公式Webサイト(訓練写真)

http://www.mod.go.jp/js/Activity/Disaster_relief/2609ontakesan.htm

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