二瓶惠司(にへい・けいじ)|第36期・陸上自衛隊

二瓶恵司は北海道札幌市出身の陸上自衛官。

防衛大学校第36期の卒業で幹候73期、職種は普通科だ。

生年月日は判明しないが、36期であれば、ストレートであれば昭和44年度の生まれということになる。

平成30年3月(2018年3月) 陸上幕僚監部人事教育部人事教育計画課予備自衛官室長・1等陸佐

前職は第22普通科連隊長兼ねて多賀城駐屯地司令であった。

なお、第22普通科連隊長であった頃の指導方針は以下の通り。

【要望事項】

「基本に忠実たれ。」

「積極進取」

2018年5月現在、陸上幕僚監部人事教育部人事教育計画課予備自衛官室長を務める二瓶だ。

初任地は北海道の美幌に所在する第6普通科連隊であったが、その次の任地が第31普通科連隊。

第31普通科連隊は即応予備自衛官を主体とする部隊であることから、あるいは若き幹部であった頃から、予備自衛官を指揮監督するポストには縁があったということなのかも知れない。

その二瓶の前職は、第22普通科連隊。

宮城県の多賀城に位置する部隊だが、この普通科連隊はある意味で、伝説になった部隊と言えるだろう。

それほどまでに、東日本大震災において自衛官魂を余すこと無く見せつけてくれた、強くて優しい防人たちの部隊であることを自衛隊内外に強く印象づけた。

東日本大震災が発生したまさにその時刻は、第22普通科連隊は主力部隊が王城寺原演習場に射撃演習に出かけており、連隊長以下が留守であった。

責任者不在の状況であの未曾有の大災害に見舞われた多賀城駐屯地であったが、留守担当の責任者は震災が発生すると直ちに災害派遣の車列を整えグラウンドに整列。

救助に必要な物資の積み込みを終え、偵察隊を出し周囲の情報収集にあたる手際の良さを見せ、連隊長の國友昭(第29期)(当時)が駐屯地に戻った時にはいつでも災派(災害派遣)可能な状況を整える。

そこに大津波警報が発せられたのだが、第22普通科連隊が所在する多賀城駐屯地は海岸から2km以上も離れている上に、県の防災ハザードマップでは津波安全地域とされていた。

にも関わらず国友は帰隊すると直ちに全隊員に対し、屋上への避難を命令。

それから30分も経たない内に多賀城駐屯地は津波に飲み込まれ、災害派遣のために整列していた車列も全て海水に呑み込まれた。

第22普通科連隊は、その半数以上が地元出身者、90%以上が東北地方出身者であり、その家族も多くが周囲に居住しているまさに「郷土部隊」。

激しい揺れだけでなく大津波が内陸部までをも襲い、間もなくして仙台港の石油コンビナートが炎上・爆発するような異常事態が相次いで起きる中で、家族のことを気にかけない隊員など皆無であろう。

そしてこの震災では実際に、自衛隊員の死亡者だけでなく、陸海空併せ自衛隊員の家族160名以上が犠牲になっている。

そのような中、津波による水かさの増勢が収まると隊員たちは、「ボートで行くぞ!」と、車を諦め直ちにボートを漕ぎ出し、周辺被災者の救助活動を開始。

自らとその家族も救助が必要なほどの被災者であるにも関わらず、果敢に自衛隊員としての任務を果たし、そして多くの人命を救い、負傷者を助け出した。

この時に第22普通科連隊が見せた、人としての能力を超越したかのような救助活動と力強さ、そして優しさは被災者たちの口伝てで自然発生的に広がることとなり、やがて後日、テレビなどのメディアを通じて広く万人が知ることとなったが、我が国の自衛隊員がどれほど国民の誇りであり、精強な防人であるのか。

第22普通科連隊がまさに、それを体現してくれたと言えるだろう。

なお後日、第38代東北方面総監に就任した山之上哲郎(第27期)が第22普通科連隊を初度視察した際、訓示でまず口にしたのは、震災時に見せた同部隊の勇猛果敢さ、勇気と優しさに対する感謝と賞賛の言葉であった。

東日本震災で伝説的な働きをみせた部隊は数多くいるが、その中でも第22普通科連隊は特に目覚ましい活躍を見せたこと、今後とも長く自衛隊と国民の間で語り継がれるだろう。

さて次に、そのような誇り高い部隊を率いた二瓶のキャリアについて見てみたい。

二瓶が陸上自衛隊に入隊したのは平成4年3月。

見た目はどこか、どこにでもいそうなおっちゃんに見えるが、今も10kmマラソンを走り込む健脚ぶりで、2015年には地元のマラソン競技会10kmの部に参加し、50分31秒で完走している。

当時はおそらく45歳前後と思われるが、さすがに衰えを感じさせない鍛え方だ。

ちなみにそのマラソン大会で優勝したのは、同じ多賀城駐屯地所属の坂下喜章で、記録は34分38秒。

フルマラソンであれば3時間を切る可能性がある大記録で、さすがにこの速さは反則である。

半端ではない鍛え方に、こんなところにも22普連の精強さを垣間見ることが出来る。

なお、36期といえば2017年夏の将官人事で最初の陸将補が選抜された年次にあたる。

その際に36期1選抜で陸将補に昇任したのは4名いるはずだが、まだ最新版の自衛隊年鑑が出ていないために詳細が不明であり、確認できるだけで以下の2名がとりあえず、36期1選抜将補となっている。

松永浩二(第36期)・沖縄地方協力本部長(2017年8月)

德永勝彦(第36期)・第2施設団長(2017年8月)

※肩書は全て2018年5月現在。( )は陸将補昇任時期。

二瓶については、中央と現場を交互に行き来するキャリアが目立つことから、後職ではまた現場指揮にあたる要職に着任すると思われるが、なんせ36期の幹部だ。

2020年代後半にかけて、我が国の平和と安全を中心になって担っていく世代であり、ますますその活躍の幅を広げてくれるだろう。

今後もその動向には注目し、そして応援していきたい。

本記事は当初2017年8月8日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年5月12日に整理し、改めて公開した。

◆二瓶惠司(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
4年3月 陸上自衛隊入隊(第36期)
5年3月 第6普通科連隊(美幌)
9年3月 第31普通科連隊(朝霞)
12年8月 富士学校普通科部(富士)
14年8月 幹部学校(目黒)
16年8月 第26普通科連隊(留萌)
18年3月 陸上幕僚監部防衛部(市ヶ谷)
22年3月 陸上幕僚監部人事部(市ヶ谷)
23年7月 1等陸佐
23年8月 幹部学校(目黒)
24年7月 研究本部(朝霞)
24年11月 富士学校普通科部研究課長(富士)
26年3月 陸上幕僚監部防衛部(市ヶ谷)
27年8月 第22普通科連隊長(多賀城)
30年3月 陸上幕僚監部人事教育部人事教育計画課予備自衛官室長(市ヶ谷)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第22普通科連隊公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/unit_hp/22i_hp/rentaisyoukai/rco/rco.html

防衛省陸上自衛隊 第22普通科連隊広報誌(演習時記念撮影)

http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/unit_hp/22i_hp/pr/ibuki/ibuki.html

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