高橋洋二(たかはし・ようじ)|第37期・陸上自衛隊

高橋洋二は昭和46年3月12日生まれ、熊本県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第37期の卒業で幹候74期、職種は野戦特科だ。

平成29年3月(2017年3月) 第34代第2特科連隊長・1等陸佐

前職は東部方面総監部防衛部訓練課長であった。

なお、第2特科連隊長としての指導方針は以下の通り。

【連隊長統率方針】

「即動必遂」

【連隊長要望事項】

「有言実行」「一致団結」

2018年5月現在、第2特科連隊長を務める高橋だ。

第2特科連隊は、富士学校と武器学校を除き北海道にしか配備されていない99式自走155mm榴弾砲を主力とする部隊であり、かつては我が国最大の規模を誇った野戦特科部隊である。

素人目には戦車にも見える、それで居ながら背が高い特徴的なフォルムは富士総火演でもおなじみであり、見覚えのある人も多いだろう。

その第2特科連隊が所在するのは、北海道の旭川駐屯地。

特科連隊としては最北に位置する部隊だが、旭川は北海道西部の守りの要である留萌駐屯地の東、対ソ連(ロシア)戦闘の最前線と位置づけられた名寄駐屯地の南に位置する。

つまり、ロシアの北海道侵攻が始まった際には、その防衛戦において直ちにこれら前線に駆けつけ、防衛戦争の主力として位置づけられていた部隊ということになる。

では、野戦特科は一体どういう働きをするのか。

照準射撃をせず、点ではなく面で遠距離射撃をする部隊が戦場でどういう働きをするのか、ピンとこない人も多いかも知れないが、近現代の陸戦においては、この野戦特科がその勝利を決定づける戦いをする。

例えるならば、イラク戦争でアメリカ軍がみせた、地上戦の前の空爆に相当する働きだ。

野戦特科はまず、広く敵が存在しているであろうエリアに強力な榴弾砲を撃ち込み、目標エリア一帯を無力化する役割を担う。

面攻撃なので全ての敵勢力は撃滅できないが、目標エリアに展開する敵勢力を叩き、まともな作戦行動ができなくなるようにダメージを与えるだけでももちろん有効だ。

そのため陸戦初期では通常、この野戦特科部隊同士による遠距離砲撃で、敵の展開地域を制圧する闘いとなる。

そして野戦特科部隊が戦いを有利に進められれば、当然歩兵や戦車といった照準射撃で敵を制圧する部隊が有利に戦いを進められ、最終的に敵の制圧に成功する。

陸上自衛隊の師団や駐屯地祭に出かけたことがある人であれば、模擬戦闘を見たことがある人も多いだろう、あの通りの流れだ。

また時に、野戦特科の榴弾砲は不要であるという意見を専門家の書き物でもよく見かけるようになった。

確かに、わかりやすい正面戦争であれば海空自衛隊が敵性勢力を排除することを期待して、野戦特科の活躍の場は想定しづらいかも知れない。

しかし、小~中規模程度の敵性勢力が奇襲攻撃の形で我が国の沿岸部や島嶼部に対し攻撃を仕掛けてくることを想定した場合、迎撃する我が国に強力な野砲が存在しないということは、それだけで上陸勢力にとってはコストが安くなることを意味する。

すなわち、強力な野砲に依る上陸阻止は想定する必要がなくなることから、攻撃側の部隊編成と攻撃の自由度が高くなるということだ。

我が国は、目の前にいる敵への反撃以外は何もしてはならないという クレイジーな  とても尊い考えを持つ国なので、現実的に国土を防衛するためには、敵性勢力が取れる作戦の幅を狭め、予め自由度を失わせておく必要がある。

その意味では、自衛隊の役割が戦争ではなく抑止力である以上、まさに野戦特科は、精強に存在しているだけで120%、その仕事を果たしていると言って良いだろう。

予算削減の煽りを受け縮小を続けてしまっている野戦特科だが、国土防衛上の必要性という観点では、その重要性は何一つ変わっていない。

なお余談だが、第2特科連隊にはかつて、「サトウの切り餅」のCMなどテレビで活躍していたタレント、福島和可菜が2001年から2005年まで、2期4年勤務していた。

昔はよくテレビで見たのだが、最近(2018年現在)全く見なくなってしまった・・・。

さて次に、その高橋のキャリアについて見てみたい。

高橋が陸上自衛隊に入隊したのは平成5年3月。

初任地は北熊本の第8特科連隊であったが、その後、第5・第1地対艦ミサイル連隊でも任務を経験。

地対艦ミサイル連隊は、同じ野戦特科でも榴弾砲を中心とした火砲部隊とはかなり役割が異なり、誘導弾を用いて  中国人民解放軍の 敵の艦船等、海上勢力を駆逐するのが主な役割だ。

特に2018年現在の情勢では、12式地対艦誘導弾を導入したこれら部隊の迎撃能力は凄まじく、我が国の島嶼防衛にとって切り札とも言える強烈な防衛力が期待されている。

そのため、予算削減が続く野戦特科を始めとした陸自の中において、部隊増強と兵装の更新が積極的に行われている数少ない部隊だ。

2000年代前半であったが、小泉政権下においてこの地対艦ミサイル連隊は不要と考えられ、実際に第6地対艦ミサイル連隊が廃止されるという痛恨の防衛政策のミスを我が国は経験しているが、その考えが180度転換されて久しい。

しかし、にわかにはその幹部曹士の育成が進まないのが軍事組織だ。

そういった状況において高橋は、若き幹部であった時代に地対艦ミサイル連隊で指揮を執った経験は非常に大きい。

或いは今後、これら部隊の増強が続けられる中で、再び地対艦ミサイル部隊を含むポジションで、指揮官として活躍する局面も予想されるだろう。

また別途、その高橋のキャリアの中で目を引くのは、やはり平成18年8月、第11師団司令部の3佐であった時代に第22次ゴラン高原派遣輸送隊の隊長を務めたことだ。

この任務はイスラエルとシリアの停戦を監視し、兵力を引き離す国連PKOの一つであるUNDOF(国連兵力引き離し監視軍)の一環であり、我が国は1996年から2013年まで後方支援輸送隊を派遣し続けた。

高橋はこの22次隊の隊長であり、幸いにして任期中「武器使用を考えなければいけない場面はなかった」と高橋自ら後日振り返ったように、任務に集中して大きな成果を挙げることができ、部下の隊員とともに無事帰国を果す。

ちなみにこのゴラン高原輸送隊の初代輸送隊長は、現参議院議員の佐藤正久(第27期)である。

そしてゴラン高原での大役を果たした高橋は、帰国後、統幕運用第2課国際協力室に異動し2佐に昇任。

PKO任務で得た経験を広く共有し、国際貢献にあたる任務にあたることになった。

またこのポストでは、平成20年11月から派遣されたエジプト政府が主催する、アフリカ紛争解決・平和維持カイロ地域訓練センターへの派遣という極めて重要な役割を経験しているのも特筆事項だろう。

同センターは、紛争が絶えないアフリカ地域での国連PKO要員を育てる事を目的とした教育機関だが、自衛官がPKO教官として海外に派遣されるのは実に高橋が史上初であった。

そして高橋はこの時、ゴラン高原での経験を踏まえ、現地住民との関係構築方法について講義を行い、併せてアフリカ諸国10カ国の軍人、警察官、外交官ら30名余りを相手に様々な講義を行っている。

野戦特科の高級幹部として、現場指揮の経験が豊富なだけではなく、海外PKOでの実績とノウハウも蓄積している高橋である。

37期といえば、2018年夏の将官人事で最初の陸将補が選抜される年次にあたり、2020年代後半にかけて、我が国の平和と安全に対しもっとも重い責任を背負っていく世代だ。

高橋を含めて、その活躍には要注目であり、今後とも目を離さずに応援し続けたい。

本記事は当初2017年8月9日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年5月10日に整理し、改めて公開した。

◆高橋洋二(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
5年3月 防衛大学校卒業(横須賀)
年 月 第8特科連隊(北熊本)
年 月 第5地対艦ミサイル連隊(健軍)
年 月 富士教導団特科教導隊(富士)
年 月 第1地対艦ミサイル連隊(北千歳)
年 月 第11師団司令部(真駒内)
年 月 第22次ゴラン高原派遣輸送隊
年 月 統幕運用第2課国際協力室(市ヶ谷)
年 月 第7特科連隊(東千歳)
年 月 統幕運用第2課訓練班(市ヶ谷)
年 月 北方総監部防衛部訓練課(札幌)
26年1月 1等陸佐
年 月 陸上自衛隊幹部学校(目黒)
年 月 東方総監部防衛部訓練課長(朝霞)
29年3月 第2特科連隊長

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第2特科連隊公式Webサイト(プロフィール画像、着任式画像等)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/unit/butai/2a/29.3g/newpage1.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/kunnrenn/rireki/29nyutai/top.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/unit/butai/2a/syoukai/minami.html

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