岩村公史(いわむら・きみひと)|第29期・陸上自衛隊

岩村公史は昭和37年4月生まれ、鳥取県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候66期、出身職種は普通科だ。

平成29年8月(2017年8月) 第10代第12旅団長・陸将補

前任は富士学校副校長であった。

2018年1月現在、第12旅団長を務める岩村だ。

普通科出身で、米国海兵隊指揮幕僚大学にも学んだキャリアがあり、ゴラン高原派遣輸送隊、イラク復興支援隊長を務めるなど海外経験も豊富に持ち合わせる。

部隊勤務では、中央即応集団副司令官に第1空挺団長も歴任するなど、突破力の固まりのようなキャリアを誇る。

このキャリアの陸将補である。

空中機動旅団と呼ばれる、迅速な展開と打撃力で初期制圧を担う第12旅団長に着任するのは、まさに適任と言ってよい補職だ。

軽武装高機動力で敵性勢力の初動を叩き、その企図を阻止する尖兵を指揮する・・・というより、その先頭に立って突撃しかねない、猛将タイプの陸将補と言って良いだろう。

その経歴は、どれも印象深い補職ばかりだが、敢えていうとやはり、平成17年1月から務めたイラク復興支援隊長のポストは特に際立っている。

当時はイラク戦争が終結したばかりであり、まだまだ残存勢力に依る散発的な戦闘が起きていた頃合いだ。

岩村が隊長としてサマーワに出向いた頃も、陸自の宿営地にロケット弾が着弾するような政情下である。

さすがに岩村はこの任務に臨むにあたり、ご家族と令夫人に遺書を認めてから現地に向かったことを、帰国後に産経新聞のインタビューで語っていたことが印象的だ。

要旨その内容は、

・子供たちには国の役に立てるような仕事に就いて欲しい

・妻のこれまでの献身的な仕事に感謝している

・自分亡き後は、家族のことをよろしく頼む

と言ったようなものであったそうだ。

そして自分が死ぬまでは絶対に開封しないことを厳命して現地に向かったそうだが、無事帰国しても妻は遺書を返そうとしない。

どうやら開封し読んでしまったらしく、帰国後、妻の手料理が更に良いものになったと、堂々と惚気けているのが印象的であった。

命のリスクを賭けて任務に臨む自衛隊員たちにしか味わえない、家族との愛情あふれる一コマだ。

また岩村には、一つの信念がある。

それは、第1空挺団長時代の指導方針である「強靱無敵」という言葉に込められている。

岩村は常々、精強な部隊を日本刀の強さに例える。

日本刀は強く、そしてしなやかだ。しなやかであるゆえに折れない。

強い部隊もこれと同じであり、強靭な肉体と精神を支えるものは家族との絆であり、個人としての幸せそのものだと話す。

個人としての幸せが人の心をしなやかにして、初めて部隊は日本刀のような強さを備えることができる。

岩村はそう信じている。

またこの場合の「強靱無敵」とは、無類の強さで敵を蹴散らすという意味ではない。

敵を作らないこと、そして敵から攻撃を受けないよう環境を整えることこそが真の無敵であり強さであると、岩村は信じている。

このキャリアを誇り、見たまんま猛将タイプの強面の男の口から出る言葉とは思えないほどに、その指導方針は愛情深く、武力を究極の手段と捉える。

戦後我が国の平和と安全を支えた自衛隊の最高幹部らしい、その価値観を体現しているとても頼もしい陸将補だ。

さて、その岩村と29期組の最高幹部の状況について、少し見てみたい。

29期組である岩村は、陸上自衛隊に入隊したのが昭和60年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成16年1月なので、29期組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

陸将補に昇ったのは平成24年7月だったので、同期1選抜に比べここでは2年の遅れと言うことになった。

陸上自衛隊では、陸将補に1選抜で昇る4名程がそのまま陸上幕僚長の候補者となることが多い。

そういった意味では、岩村は陸幕長候補として陸将補に昇ったというよりも、軽武装のコンパクトな集団に依る高機動力を活かした打撃戦という、今の陸上自衛隊が目指す一つの戦闘の方向性を完成させるため、陸将補に昇ったと言って良いのではないだろうか。

キャリア一覧を見ても、岩村の役割はまさにその役割を任されるために歩んできたようなものになっている。

ゲリラなどによる都市攻撃でも、中国人民解放軍に依る我が国の島嶼部に対する攻撃においても、このような陸自の部隊の能力は絶対に必要不可欠なものだ。

岩村にはぜひ、この空中機動旅団をさらに精強なものに育て、機動戦闘力のより一層の飛躍に尽力して欲しい。

なお、その29期組の陸幕長レースだが、最終出走馬はすでに決まっており、以下の陸将たちと言って良いだろう。

本松敬史(第29期)・統合幕僚副長

上尾秀樹(第29期)・防衛大学校幹事

高田克樹(第29期)・陸上幕僚副長

柴田昭市(第29期)・第1師団長

山内大輔(第29期)・陸上自衛隊関東補給処長

清田安志(第29期)・第6師団長

納富 中(第29期)・第9師団長

※肩書はいずれも2018年1月現在

中でも、実質的には本松、上尾、高田の3名に絞られたと言ってよい。

いずれこの3名はいずれかの方面総監に昇り、タイミングが合うようであれば、その3名の中から陸上幕僚長が選抜されることになる。

29期組であり、50代も半ばを超えた岩村だ。

長かった自衛官生活もゴールが見えてくるところとなったが、最後までその活躍には注目し、そして応援していきたい。

【第12ヘリコプター隊について】

2018年1月23日午前、群馬県の北西部にある草津白根山が突然噴火を起こしました。

この突然の噴火では、火口付近で雪中訓練にあたっていた第12ヘリコプター隊に所属する自衛官の多くが巻き込まれ、1名が死亡、2名が重体になるという極めて痛ましい事態となっています。

そして、この訓練中に殉職をされたのは、岩村率いる第12旅団隷下、第12ヘリコプター隊に所属する伊澤隆行・3等陸尉49歳(伊沢隆行・陸曹長:殉職により2階級特別昇任)。

並外れた強靭な肉体と精神力を誇り、2014年に発生した御嶽山での噴火災害では、先頭に立って救助活動を行ったのもこの第12ヘリコプター隊でしたが、その精鋭部隊の現場を中心になり支えた伊澤3尉の殉職に心からの哀悼の意を捧げるものです。

国防に対する献身的な活躍。

いかなる状況にも冷静沈着に対応されて、数多くの災害現場で多くの国民の命を救われた類まれな勇気と高潔な志。

その自衛官人生に心からの感謝を捧げ、ご冥福をお祈り申し上げます。

なお読売新聞の報道に依ると、伊澤3尉は、負傷し動けなくなった部下を庇うためその体に覆いかぶさり、その背中を噴石が直撃して致命傷を負われたことが、直接の死因になったそうです(2018年1月25日Web版)。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20180125-OYT1T50087.html

そして伊澤3尉に守られ、軽傷で済んだ部下が直ちに被害状況を把握し現場を掌握すると、ふもとで待機する別班に連絡。

民間人を含むスムーズな救助活動に繋がったというのが、読売新聞が報じている事故の一報ということになっています。

この報道が事実であれば、伊澤3尉は、身を挺してかばった部下、一時重体に陥った別の2名の隊員の命を救ったことはもちろん、民間人の命をも、その勇気ある行動で救ったことは疑いありません。

自らの命をかけ、多くの部下と民間人の命を救った伊澤3尉の勇気。

打算なく、ただ純粋に人の命に対して敬意を持ち、いったん事が起これば身を挺してでも自らの使命と信じることに身を投じる高潔な魂。

改めて、我が国を守る自衛官はこんなにも凄い存在であると。

伊澤3尉の殉職は、強烈なメッセージとなって国民の心に残り続けることでしょう。

改めまして、伊澤3尉とご遺族様に、心からのお悔やみを申し上げます。

そしてご家族様には、自衛官のご家族として、その任務を支え続け共に戦って来られた人生に対しても、併せて感謝と敬意を表します。

「家族との時間を大事にする」ことを何よりも推奨し、「個人の幸せ」をその指導方針とする岩村旅団長の隷下部隊でこのような事故が起きたこと、本当に残念でなりません。

今はただ、ケガをされた隊員の一日も早いご回復をお祈りし、伊澤3尉のご冥福をお祈り申し上げます。

伊澤3尉の生前のご活躍に、改めて心からの敬意と感謝を申し上げます。

本当に有難うございました。

本記事は当初2017年8月15日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年1月27日に整理し、改めて公開した。

◆岩村公史(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 陸上自衛隊入隊(第29期)
60年9月 第44普通科連隊小隊長、運用訓練幹部

平成
4年3月 富士学校普通科部戦術教官
5年8月 幹部学校付第39期指揮幕僚課程学生
7年8月 化学学校教育部運用教官
8年1月 3等陸佐
9年1月 陸上幕僚監部防衛部付
9年1月 ゴラン高原国際平和協力隊UNDOF先任兵站幕僚
10年3月 第1空挺団普通科群第3中隊長
11年7月 2等陸佐
12年3月 米国海兵隊指揮幕僚大学学生
13年8月 陸上幕僚監部人事部人事計画課企画班総括
15年4月 兼内部部局人事教育局人事第1課
16年1月 1等陸佐
16年3月 陸上自衛隊研究本部研究員
17年1月 イラク復興支援隊長
17年12月 陸上幕僚監部防衛部防衛課編成班長
20年4月 第12普通科連隊長兼国分駐屯地司令
21年3月 陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛調整官
22年3月 西部方面総監部防衛部長
24年7月 中央即応集団副司令官 陸将補
25年12月 第1空挺団長兼習志野駐屯地司令
27年8月 富士学校副校長
29年8月 第12旅団長

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第12旅団公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/12b/aisatu/aisatu/aisatu.html

防衛省統合幕僚監部 災派記録公式Webサイト(御嶽山活動写真)

http://www.mod.go.jp/js/Activity/Disaster_relief/2609ontakesan.htm

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コメント

  1. このサイトに知り合いが数名居るオジサン より:

    伊澤さんの特別昇任は2階級ですよ。
    https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/29795

    このコメントは名前が公表されるのでしょうか?
    そう思い、匿名にしておきます。

    • ytamon より:

      コメントとご指摘、感謝します。本当にありがとうございました。
      やはりそうですよね・・・
      事故直後、おそらく共同通信だと思うのですが特別昇任を1階級と配信したようで、全国の地方紙などでは准陸尉に特別昇任となっているのです。
      https://www.hokkaido-np.co.jp/article/159186

      おかしいと思いつつも准陸尉としていましたが、3等陸尉にさっそく修正させて頂きます。
      ご指摘、改めてありがとうございました!