吉田圭秀(よしだ・よしひで)|第30期相当・陸上自衛隊

吉田圭秀は昭和37年10月30日生まれ、東京都出身の陸上自衛官。

東京大学工学部(都市工学科)の出身であり、出身職種は普通科だ。

昭和61年3月の陸上自衛隊入隊であることから、第30期相当の幹候67期ということになる。

平成29年8月(2017年8月) 第36代第8師団長・陸将

前職は内閣官房国家安全保障局内閣審議官であった。

東大出身の吉田が陸上自衛隊に入隊したのは、昭和61年(1986)3月。

バブル経済の頂点に向けて日本中が浮かれ、世界が日本を羨んでいた時代だ。

日経平均が史上最高値を付けたのが1989年12月27日の大納会の日であることから、そこに向かって好景気の坂を駆け上っている時期である。

株を買えば儲からない銘柄はなく、土地を買えばすぐに大儲けでき、銀行の長期金融商品の利息は8%を越え、100万円預ければ1年に8万円の利息がついた。

大学生の就職活動は1人5社10社の内定は当たり前であり、毎年6月1日の内定解禁日には企業による内々定学生の「拘束」が行われ、高級寿司店で内定パーティーのもてなしを受け、帰りはタクシーチケットが振る舞われる。

そんな時代だった。

もちろん、東大工学部出身である吉田にも同様に、多くの企業から入社のラブコールが殺到し、所属ゼミからは有名大企業への斡旋があったであろう。

それらの企業では、20代で1000万円プレイヤーが当たり前という待遇で吉田を迎えようとしたはずだが、吉田は陸上自衛隊の入隊を選んだ。

この頃、東大卒業生が自衛隊を選ぶというのは、そんな数々の誘惑には目もくれず、国家の役に立ち、国防に身を捧げる強い意志を持った男でなければできないという、そんな時代であった。

なおかつ、1980年代といえば左翼勢力が全盛期の時代だ。

朝日新聞を筆頭とした歪んだ左翼メディアによる「従軍慰安婦」「強制連行」「創氏改名強制」「教科書問題」といった捏造が横行し、「自衛隊叩き」が苛烈を極め、そして国民はそのようなメディアを支持し、国会では社会党が自民党の半分の勢力を持っていた。

自衛隊に入隊する経済的メリットが皆無であり、なおかつ職業が自衛隊であると言えば近所から白い目で見られ狂信的右翼か変人と見做された時代。

そんな時代に東大生が、防大生に比べ明らかにハンディキャップがある状況で自衛隊に入隊するというのは本当にすごい決断だ。

22歳の若者であった吉田が自衛隊に入隊した時の覚悟とはそのようなものであり、そしてその覚悟に応えるかのように自衛隊は吉田に活躍の場を用意。

吉田もそれに応え、次々と成果を挙げ、ついに第8師団長・陸将まで昇り詰めた。

堂々とした陸将の勇姿で記者会見を行い、着任式をこなした吉田の自衛隊入隊には、そんな経緯がある。

それにしても、容赦がないというのはまさにこういうことであろうか。

吉田が幹部候補生学校を卒業し、最初に命じられた赴任地は北海道の留萌駐屯地(第26普通科連隊)。

北海道の西端に位置し、最北に所在する第3普通科連隊とともに、ソ連の着上陸目標最前線の陸自連隊であって、冷戦構造が崩れつつあった時代とはいえソ連の脅威は圧倒的な緊張感とともに、すぐそこにある危機であった。

ソ連の崩壊は1991年なので、吉田が赴任した当時、1987年当時であれば常時臨戦態勢にある極めて緊張感の高い状態で、気合いの入った連隊長による気合いの入った演習が連日続いていたであろう。

あるいは、大きく育てたい吉田を最初から、容赦のない厳しい現場に放り込もうと考えた人事権者の考えであったのであろうか。

その後の吉田のキャリアは、普通科のそれというよりも陸幕を中心とした、制服組であっても官僚型の経歴が目立つものになっている。

外務省に出向し、北米局日米安全保障条約課での勤務を皮切りに、陸幕人事部、装備部、防衛部と一通りの主要部署を渡り歩き、陸幕幹部としてのキャリアを設計された任務が続く。

その間、平成9年8月から第34普通科連隊中隊長を、平成21年3月から第39普通科連隊長(弘前)をそれぞれ1年づつ、通算で2年間現場の指揮を執ったキャリアはあるが、ほとんどの時間を市ヶ谷か目黒で過ごした。

そんな吉田のキャリアの中でもっとも目立つものと言えば、やはり平成27年から2年間の、内閣官房国家安全保障局での内閣審議官ポストであろう。

このポストは国家安全保障会議、いわゆる日本版NSCに設置された役職であり、安倍晋三内閣が国家の安全保障体制を構築する上で中核と位置づけている組織だ。

前身の安全保障会議を発展的に再編し、2014年1月に設置されたばかりの比較的新しい組織であるが、吉田はその組織に自衛隊制服組を代表して送り込まれた、初代審議官というポジションであった。

いわば、制服組の専門知識を活かし、制服組を代表して国家の安全保障体制の構築に参画する要職と言えるが、吉田はこのポストを2年間に渡り勤め上げ、2017年8月に陸自に戻り陸将に昇任。

そのまま第8師団長に着任したという流れになっている。

なお2018年1月現在で、吉田の同期である30期の陸将には以下の幹部たちがいる。

30期組は、2017年夏の将官人事で最初の陸将が選抜されたばかりの年次であり、まさに極めて近い将来においての、陸上幕僚長候補たちだ。

髙田祐一(第30期)・第4師団長(2017年8月)

野澤真(第30期)・第2師団長(2017年8月)

小野塚貴之(第30期)・第7師団長(2017年8月)

吉田圭秀(第30期相当)・第8師団長(2017年8月)

田中重伸(第30期)・第3師団長(2017年12月)

※肩書はいずれも2018年1月現在。( )は陸将昇任時期。

上記のように、吉田は一般大学(東京大学)卒業生でありながら、1選抜(1番乗り)のスピード出世で陸将に昇ったスーパーエリートだ。

厳密には、同じ2017年8月の陸将昇任でも、高田のみが数日早く、野澤、小野塚、吉田の3名がそれに続いて陸将に昇った。

それを2017年12月、田中が陸将に昇り追いついた形だ。

普通に考えれば、1選抜で陸将に昇り師団長に着任したエリートは、後職では陸幕副長や統幕副長、防衛大学校幹事と言った要職を経て方面総監に昇り、総監ポストで最後の陸幕長レースを競うことになる。

2018年3月には、陸上総隊と陸上自衛隊教育訓練研究本部の新設があるので、この人事の流れは大きく変わる可能性があるが、あるいは30期組からこの新ルートでの出世コースが適用されることになるのではないだろうか。

吉田については、国防の最前線である第8師団長を任されたことから、その期待値の大きさが非常に大きいことがよくわかる補職だ。

”先任陸将”であり、同様に国防の最前線を任された高田と併せ、まだまだ30期組は先の読めない人事が続くことになるだろう。

東大出身ということと併せて、今後の吉田の活躍から目を離さず、注目し応援していきたい。

◆吉田圭秀(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 陸上自衛隊入隊(第30期相当)
62年3月 第26普通科連隊(留萌)

平成
2年8月 防衛大学校(小原台)
4年3月 普通科教導連隊(滝ヶ原)
5年8月 幹部学校指揮幕僚課程(39期)(目黒)
7年8月 外務省北米局日米安全保障条約課(霞ヶ関)
9年8月 第34普通科連隊中隊長(板妻)
10年8月 陸上幕僚監部人事部(市ヶ谷)
12年3月 陸上幕僚監部装備部(市ヶ谷)
15年3月 陸上幕僚監部防衛部(市ヶ谷)
17年1月 1等陸佐
17年8月 防衛研究所一般課程(目黒)
18年8月 研究本部(目黒)
19年4月 陸上幕僚監部防衛部防衛課業務計画班長(市ヶ谷)
21年3月 第39普通科連隊長(弘前)
22年3月 陸上幕僚監部防衛部防衛課長(市ヶ谷)
23年8月 陸将補
24年3月 統合幕僚監部報道官(市ヶ谷)
25年8月 西部方面総監部幕僚副長(健軍)
27年8月 内閣官房国家安全保障局内閣審議官(永田町)
29年8月 第8師団長 陸将

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第8師団公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/8d/kisikawadcg/kisikawadcg.html

防衛省陸上自衛隊 第1特科団公式Webサイト(演習写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/1ab/topic/topiccontent/topic257253ssm3co/topic257253ssm3co.html

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