小野塚貴之(おのづか・たかゆき)|第30期・陸上自衛隊

小野塚貴之は昭和37年6月4日生まれ、東京都出身の陸上自衛官。

防衛大学校第第30期(国際関係)の卒業で幹候67期、出身職種は施設科だ。

平成29年8月(2017年8月) 第35代第7師団長・陸将

前職は統合幕僚監部防衛計画部長であった。

長身痩躯で非常にスマートな、一見すると白い海自の制服が似合いそうな、潮風を感じさせるような風貌の陸将だ。

汗にまみれ泥を被る施設科出身らしからぬスマートさで、声もどこか佐々木功を思わせる低音で重みのある魅力的な美声の持ち主である。

その風貌と魅力的な声を活かし、2009年7月からは陸幕広報室長に抜擢されていたことがあるが、見た目の良さと声の美しさも、補職の理由であったのではないだろうか。

この間、各種メディアへの露出がとても多かったが、スマートな体躯から優しく、そして力強く発せられるメッセージは陸自の歴代広報マンの中でも一際印象的な仕事ぶりであった。

一方で小野塚は、第7師団長に着任してから数ヶ月、どこか急にやせ細ってしまった印象がある。

もともと痩身の幹部であったが、さらにやせ細ったことが伝わる顔の細さがやや心配だ。

健康上の問題ではなければ良いのだが・・・。

さてその小野塚の補職は、2018年1月現在で第7師団長だ。

2017年8月に陸将に昇任し、最初の補職が我が国最強の火力を誇る機動師団である第7師団長。

施設科出身の機動師団長というのはやや意外であったが、あるいはこの補職は2017年6月21日、前任であった田浦師団長指揮の下で起きた、非常に悲しい事故の影響かもしれない。

その事故は、本当に突然のことだった。

この日、北海道大演習場恵庭地区で行われていた第73戦車連隊の訓練において、レーザーを用いた戦闘訓練中に一輌の90式戦車が進軍中に突然転覆。

車長であり、砲塔部で指揮を執っていた小島政貴・2等陸曹(※1)が地面と戦車の間に挟まれ、直ちに病院に搬送されるも、そのまま殉職を遂げるという痛ましい事故になってしまった。

享年38歳の、まさに我が国の平和と安全を支える中心的役割を果たす世代のリーダーであり、非常に悲しく心から悔しく、残念でならない。

演習中の戦車が転覆し殉職者が出るという事件は、第7師団はもちろん、北部方面隊始まって以来の大事故であったが、あるいはこの影響で、施設科出身の小野塚が第7師団を預かる事になったという側面もあるのではないだろうか。

というのも、演習場の整備や維持管理に、施設科出身である小野塚の知見が必ず活きるはずであり、それが事故の再発防止と、小島2曹に対し陸自が組織として為しうる、最大の弔いであるからだ。

ちなみに、下記の画像は平成29年度第二次集中野営(演習場の整備や維持・充実作業)に臨み、指揮を執る小野塚だ。

その顔は真剣そのものであるのはもちろん、どこか鬼気迫るものを感じさせる師団長ぶりである。

おそらくこの際、小野塚の脳裏には、小島2曹の事故のことが繰り返し思い出されていたであろう。

故・小島2曹の国防に対する尊い志、任務必遂に掛ける誰よりも強い意志、そして何よりも、ご遺族の想いに応えるためにも、小野塚が取り組まなければならない任務は非常に重大であり、何よりも重い。

※1

故・小島政貴2等陸曹の実名について。

事故直後の陸幕発表では、所属と階級しか明らかにされなかったが、ご遺族が公表に同意をされ正式に氏名年齢が発表されたので、実名記載で記事を更新しました。

小島政貴2等陸曹の、生前の我が国の平和と安全に対する貢献に心からの敬意と感謝をあらわしますとともに、ご遺族様にも、心からのお悔やみを申し上げます。

強い意志と怯みなき勇気、類まれなリーダーシップに溢れていた小島2曹は我が国の誇りであり、一国民として心から誇りに思います。

さて、その小野塚のキャリアについてだ。

小野塚のキャリアは、どこか2018年1月現在で陸上幕僚長を務めている山崎幸二(第27期)に似たものを感じる。

同じ施設科出身であり、同様に米国留学経験を持つ知米派で、施設科の現場を渡り歩きキャリアアップして来た。

コミュニケーション能力の高さ、表現力の豊かさも際立ち、統幕防衛計画部長であった2016年3月には、「トモダチ作戦5周年」の感謝を伝えるために渡米し、米国防総省で開かれた式典にも、日本の幕僚を代表し出席した経験も持つ。

この式典は、米軍音楽隊の演奏に合わせ陸自の歌姫が「花は咲く」を熱唱するなど非常に感動的なイベントであった。

このような場で、自衛隊を代表して小野塚が挨拶をするという役割を考えても、小野塚に対する防衛省の期待の高さは間違いないものであろう。

なお、それもそのはずであり、小野塚は第30期組のトップエリートで、1等陸佐、陸将補、陸将の全ての階級において、1選抜(1番乗り)で昇任した、極めて近い将来の陸上幕僚長候補である。

小野塚が陸上自衛隊に入隊したのは昭和61年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成17年1月、陸将補に昇ったのが23年8月、陸将に昇ったのが29年8月と、絵に描いたような昇任の経歴だ。

陸上自衛隊に限らず、陸海空自衛隊において、1選抜昇任のモデルケースそのままに陸将に昇り詰めたキャリアになっている。

知性を感じさせる美声の持ち主、小野塚は、近い将来に陸自のトップに昇りつめる可能性が極めて高いエリートの一人ということだ。

なお2018年1月現在の状況だが、第30期組の陸将には、以下の最高幹部がある。

髙田祐一(第30期)・第4師団長(2017年8月)

野澤真(第30期)・第2師団長(2017年8月)

小野塚貴之(第30期)・第7師団長(2017年8月)

吉田圭秀(第30期相当)・第8師団長(2017年8月)

田中重伸(第30期)・第3師団長(2017年12月)

※肩書はいずれも2018年1月現在。( )は陸将昇任時期。

この5名のうち、近い将来の陸上幕僚長候補としてアドバンテージを握っているのは、やはり田中を除く高田、野沢、小野塚、吉田の4名だ。

中でも本命は、何と言っても高田であろう。

というのも、厳密に言えば30期の1選抜(1番乗り)は高田1名だけで、同じ2017年8月の昇任でも、高田のみが2017年8月1日の昇任で、他の3名は8月8日付けだからだ。

1週間だけ、高田が”先任陸将”ということになるが、これもまた人事権者の意志ではないだろうか。

国防の最前線である第4師団を任されたことからも、まずは高田を中心に第30期組の陸上幕僚長候補レースが繰り広げられるのは、間違い無さそうな状況だ。

一方で、施設科出身でありながら我が国の最大の火力部隊を任された小野塚も、当然のことながら近い将来の陸幕長候補であることは疑いようがない。

東大出身の1選抜であり、高田と同様に我が国の国防最前線である第8師団長を任された吉田と併せ、30期組の1選抜陸将はタレント揃いであり、本当に楽しみな最高幹部ばかりだ。

その活躍と今後の異動は本当に楽しみであり、注目して応援をしていきたい。

本記事は当初2017年8月16日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年1月20日に整理し、改めて公開した。

◆小野塚貴之(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 陸上自衛隊入隊(第30期)
62年3月 第10施設大隊(春日井)

平成
3年3月 第9施設大隊(八戸)
5年3月 第9施設大隊中隊長(八戸)
9年1月 1等陸佐
12年7月 2等陸佐
13年3月 第304施設隊長(出雲)
17年1月 1等陸佐
17年3月 中央資料隊付(米国陸軍戦略大学留学)
18年8月 研究本部研究員
18年12月 陸上幕僚監部防衛部防衛班長(市ヶ谷)
20年8月 第5施設群長(高田)
21年7月 陸上幕僚監部監理部広報室長(市ヶ谷)
23年8月 第10師団副師団長(守山) 陸将補
24年8月 第4施設団長(大久保)
26年3月 統合幕僚監部防衛部副部長(市ヶ谷)
27年8月 統合幕僚監部防衛計画部長(市ヶ谷)
29年8月 第7師団長 陸将

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第7師団公式Webサイト(顔写真及び演習写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/7d/dcg.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/7d/katudou/29.11.1.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/7d/katudou/29.11.22.html

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