深谷克郎|第31期相当・海上自衛隊

深谷克郎は広島県出身の海上自衛官。

出身は広島大学であり、1987年海上自衛隊入隊なので、防衛大学校第31期相当ということになる。

なお、2017年8月の阪神基地隊指令着任時に53歳と発表されているので、着任年度から推定し昭和39年(昭和39年度)の生まれであると推定される。

平成29年8月(2017年8月) 阪神基地隊指令・一等海佐

前職は舞鶴教育隊司令であった。

2017年8月現在、深谷が補職されている阪神基地隊は呉地方隊に所属し、掃海艇の基地としてその名を知られる。

日本の掃海艇、掃海隊群は海上自衛隊のみならず自衛隊、そして我が国の国民が誇るべき歴史ある部隊であり、戦後、国際社会に復帰し自衛力を再整備する段階において、もっとも早くその軍事力を回復した実力部隊だ。

すなわち、公然の秘密として日本は、国連軍による占領統治下にあった1950年から国連軍の要請により朝鮮戦争に掃海艇を派遣し、海上を機雷で封鎖した北朝鮮軍に対しその除去と航路啓開の任にあたる。

結果として、北朝鮮近海の海において多くの機雷を取り除き、国連軍に航路を啓開した我が国掃海艇群の活躍は戦争の帰趨に影響をあたえるほどの成果を挙げ、日本の再武装と国際社会復帰に大いに貢献する端緒となったが、一方でこの掃海作業では、判明しているだけで50名以上が殉職。

そもそもとしてこの掃海作業は、「敗戦国の敗残海軍兵に当たらせる」という位置づけの任務であったことから、連合国(米軍)の対応は極めて苛烈で、日本人の生命を極めて軽視するような危険な任務を要求し続けた事実がある。

このような歴史を持つ我が国の掃海隊群の戦後史だが、我が国の経済活動が再興するにつれ海上交通の発達に伴いその航路啓開任務は極めて重要なものとなり、海上物流を影から支える存在となって、戦後復興に大いに貢献することとなった。

そして時代は平成の末期である2017年現在。

陸海空自衛隊の最大の仮想的であり、現実の脅威として対処能力を上げ防衛能力を整備しているのが南西方面であり対中国軍だが、その中で掃海隊群は新たに、島嶼防衛の中で強襲揚陸部隊の運営を任されることになった。

すなわち掃海隊群への第1輸送隊編入であり、上陸用エアクッション艇であるLCAC搭載の輸送艦「おおすみ」「しもきた」「くにさき」は掃海隊群の隷下として離島防衛の任務に当たる。

高機動車などの機動車両はもちろん、10式戦車も搭載・運搬可能なLCACは今後、西部方面普通科連隊と密接に連携を取り、訓練を繰り返しながら我が国の離島防衛戦力要の一つとなっていく。

航路啓開と実力部隊の先導部隊として、ますますその重要性を増しているのが掃海隊群であり、深谷が任された阪神基地隊とは、そのような掃海隊群隷下の母港であって、また瀬戸内海から紀伊水道までを広く警戒・監視に当たる基地となっている。

一方で、その阪神基地隊指令に着任した深谷のキャリアは潜水艦乗りとしてのものであり、我が国の国防を文字通り海の底から支え、我が国に対し侵略の意図を持つ敵性勢力に対し、その意図を挫けさせ、容易に近寄れない存在として恐れられてきた戦力の指揮官である。

あきしお水雷長、なだしお機関長、はましお副長、さちしお艦長と、深谷が相棒として共に戦った海の古強者たちは既に退役し解体され、前時代のものとなってしまったが、いうまでもなくこのような傑作艦の積み重ねと、乗組員たちによる弛まぬ努力の結晶として、今の潜水艦技術がある。

我が国の潜水艦技術はどこまでその静粛性や潜水能力を高めていくのか想像もつかないほどだが、これらも全て敗戦から立ち直り、かつては「海の中を太鼓を鳴らしながら潜水している」と揶揄されることもあった、我が国の未熟な潜水艦技術から一つ一つ積み上げて得てきたものだ。

深谷以下潜水艦搭乗員の士気の高さとその献身的な国防に対する貢献により、今日の我が国の安全保障は担保されている。

そして、詳細は別に譲るが、このような誇り高い潜水艦搭乗員の高い士気と誇り高い勤務ぶりも、大元をたどれば第六潜水艇遭難事件の際に潜水艦乗りとしての誇りを見せた艇長・佐久間勉大尉以下14名の存在も大きいであろう。

その潜水艦搭乗員のDNAは今も鮮明に深谷以下、我が国の精鋭たちに引き継がれており、敵性勢力に対し脅威となり続けている。

一方で、さちしお艦長を務め上げ陸(おか)にあがった深谷はその後、一転して米太平洋艦隊司令部連絡官(平成16年)や、米中央軍司令部連絡官(平成20年)と、軍人外交のキャリアを重ねることになる。

元々、協調性とチームワークの固まりのような男でなければ潜水艦乗りが務まらない時代を駆け抜けてきた男だ。

人懐こい笑顔で相手の懐に入り込んでしまうセンスは誰よりも高かったのであろう。

なおかつ、深谷が米太平洋艦隊司令部連絡官の任にあった時は2004年であり、イラク戦争が勃発したのはその前年の2003年。

2008年に就任した米中央軍司令部連絡官の任と合わせ、アメリカが戦争遂行中という極めて重要な時期に、同盟国との連絡官を歴任したことになる。

この時期の連絡官がもたらす情報の精度は、我が国の安全保障政策を変えてしまうほどの重要なものになり兼ねないものであったことを考えると、その任に深谷が抜擢されたことは、海上自衛隊のみならず防衛省全体の信頼の高さ故のものであると言えるだろう。

このようなキャリアを経て阪神基地隊の指令に着任した深谷。

31期相当であればあるいは現職が最後の仕事となるか、あるいは2年後に将補に昇任し栄転して、次の任務が最後である年齢となってしまった。

シーマンシップに溢れ、スマートでクールな潜水艦乗りである男の最後の任務が近づいているようで寂しい限りだが、今はただ、この男の活躍を静かに、そして熱く見守っていきたい。

◆深谷克郎(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
62年3月 海上自衛隊入隊(第31期相当)

平成
7年3月 潜水艦あきしお水雷長
9年3月 潜水艦なだしお機関長
11年3月 海上幕僚監部防衛課
13年2月 潜水艦はましお副長
15年3月 潜水艦さちしお艦長
16年8月 米太平洋艦隊司令部連絡官
20年7月 米中央軍司令部連絡官
24年12月 第1潜水隊司令
26年3月 自衛隊鹿児島地方連絡本部長
28年3月 舞鶴教育隊司令
29年8月 阪神基地隊指令

◆姓名判断

損得勘定を考えずに部下の面倒を見て、また自分の手柄も全て部下の手柄にするような剛毅な強さを兼ね備えたリーダーに多く見られる相で、人望も極めて厚い。

一方で筋の通らない命令や指示には相手がどれほどの上位者であっても従わない信念の強さがあり、組織の中では必ずしも出世上手とはいえない側面も。

基礎運が極めて高いので、運が悪いと感じるような局面はほとんどない人生になる。

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 阪神基地隊公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/hanshin/about/message/index.html

防衛省海上自衛隊 写真ギャラリー公式Webサイト(ゆうしお写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/formal/gallery/ships/ss/yuushio/580.html

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