小谷琢磨(こたに・たくま)|第32期・陸上自衛隊

小谷琢磨は昭和40年1月生まれ、和歌山県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第32期の卒業で88幹候、出身職種は施設。

平成29年8月(2017年8月) 第31代第4施設団長 兼ねて大久保駐屯地司令・陸将補

前職は陸上幕僚監部防衛部施設課長であった。

なお、第4施設団長及び駐屯地司令としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】

任務完遂

【要望事項】

基本基礎の確行

明るく逞しく

【駐屯地司令要望事項】

地域から信頼される大久保駐屯地

2017年8月から小谷が補職されている第4施設団は中部方面隊隷下にあり、京都府宇治市の大久保駐屯地に所在している。

近鉄電車京都線の大久保駅すぐ目の前に広がる広大な駐屯地で、近畿圏に所在する陸上自衛隊の基地としては例外的に駅のど真ん前にあり、駐屯地正門まで徒歩1分と、交通の便は極めて便利だ。

近畿圏では戦後、左翼勢力が強い影響力を持ち、今でも大阪10区では旧社民党の時代から辻元清美氏が根強く当選を続けるなど、全国的にも左派系の代議士を多く排出してきた。

また奈良県は日本で唯一、陸上自衛隊の駐屯地が無く、その招致運動が盛り上がるたびに左翼勢力の激しい反対運動で頓挫してきた経緯がある。

大久保駐屯地が設置されている京都も伝統的に左翼勢力が強い土地柄だが、その中にあって昭和32年に新設された比較的新しい大久保駐屯地がこの駅前至便の一等地に、これだけの存在感を放ちながら違和感なく溶け込んでいるというのは、それだけ第4師団を始めとした部隊が地域に溶け込む努力を重ねているということであろう。

その大久保駐屯地に所在する第4施設団だが、わかりやすく言うと工兵の部隊だ。

築城や施設の破壊、地雷原の掃討や地雷の敷設などを担当し、また演習場の整備や各種重火砲の陣地設営などの支援といった業務も行っており、施設科が存在しなければいかなる戦闘職種であっても、演習すらまともにすることができない。

各種災派(災害派遣)でも人命救助、瓦礫の除去、インフラの復興といった役割の中で、工兵としての知識と豊富な重機の運用ノウハウを元に、中心的な役割を果すことが多い。

災害派遣任務が重なり、あるいはその存在感の大きさが目立ってきているからであろうか。

近年はどうも、施設科出身の最高幹部が多く生まれ、特にこの第4施設団長経験者は飛び抜けて出世する傾向にある。

第4施設団は小谷が第31代だが、5代前まで遡り見てみると、第26代の団長が山崎幸二(第27期)

言うまでもなく2017年8月現在の陸上幕僚長であり、あるいは統合幕僚長にも昇ろうかという状況にある。

第27代が岩谷要(第28期)

第40代第4師団長を経て、2017年8月現在で陸上自衛隊研究本部長を務める陸将だ。

第28代が小野塚貴之(第30期)

統合幕僚監部防衛計画部長を経て、2017年8月現在で第35代第7師団長・陸将を務めている。

第29代が髙田祐一(第30期)

東部方面総監部幕僚長を経て、2017年8月現在で第42代第4師団長・陸将に昇った。

第30代で小谷の先代にあたるのが同期の小林弘樹(第32期)。

後職では東部方面総監部幕僚副長の要職を務めている。

そして第31代の施設団長に小谷が就任したわけだが、ある意味で陸将以上が担う役職への最短距離にあるかのようにも思えるここ10年の第4施設団長の存在感であり、今後の小谷のキャリアについても、否応にも注目が集まるのは必至であるといえるだろう。

小谷個人のキャリアを見てみると、やはりそのキャリアが最も生きたのは、東日本大震災での活躍であったといえるだろうか。

もちろん、このような活躍は無い方が国民にとって幸せであるという、防衛大学校1期生の卒業式で吉田茂元首相がスピーチした内容そのままであるのだが、こと自然災害の発生は防ぎようがない。

起こってしまった自然災害に対し、震災直後に第11施設群長(福島市)に就任した小谷は、隷下部隊を率いて福島の沿岸部における行方不明者の捜索やご遺体の収容、瓦礫の撤去など、施設科が持ちうる能力を最大限投入し、力を尽くした。

東日本震災にあたっては、震災翌日に被災地入りした別の施設出身の高級幹部の証言が生々しい。

「私たちは正直、ほとんどの自然災害に自衛隊の施設科で対応できると思っていたが、東日本震災はあらゆる想定を越えていた。」

いわく、津波によって破壊され積み上げられた瓦礫の山があらゆるインフラを破壊し道路を埋め尽くしているので、震災発生から24時間以内に現地に入りしたにも関わらず、生存者の捜索活動に入れない。

まず瓦礫をどけないことには捜索担当地域に入ることもできないなど、自衛隊の施設科をもってしても、その行く手を阻まれる事態が発生していたことを語ったものだが、それほどまでにあの、人類の有史以来最大級であった地震のもたらした被害はどうしようもないものであったのであろう。

しかしそのような中でも、10万人を超える陸海空自衛隊員が一丸となって被災地に入り、直ちに復興作業に着手が始まったことは記憶に新しい。

あの震災以降、自衛隊に対する国民世論の考え方は明らかに大きく変化したが、自衛隊という組織の規律の高さ、職務に誠実な指揮官とその隷下部隊の曹士、高潔で誇りある全ての自衛隊員の活躍。

その全てが、何を語るわけでもなくその働きぶりの背中で語った結果であり、今日の自衛隊人気に繋がったのであろう。

その為、以前なら自衛隊音楽祭や総火演(総合火力演習)のチケットも、それほど入手が難しくなかったのだが、今やプレミアム化してしまい、なかなか思うように手に入らなくなってしまった。

それはそれでもちろん嬉しいのだが、しかし総火演の駐車場付きチケットが欲しいのも正直なところである。

そんな与太話はどうでも良いとして、いずれにせよ施設科のエキスパート出身である小谷。

32期の陸将候補として、今後も順調に出世を重ねていくであろう。

注目をして、そのキャリアを追っていきたい。

◆小谷琢磨(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
63年3月 陸上自衛隊入隊(第32期)

中部方面総監部防衛部防衛課長
陸上自衛隊研究本部研究員
陸上自衛隊幹部学校教官
陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課器材・演習場班長
第11施設群長
陸上自衛隊幹部学校学校教官
陸上自衛隊幹部学校主任教官
陸上幕僚監部防衛部施設課長
第4施設団長

◆姓名判断

頭がよく、若年より幅広い分野に様々な才能を発揮し注目を集める、華やかな人物に多い相。

一方で、几帳面で細かなところまで自らチェックする性格の持ち主が多く、大きな組織のトップというよりも、参謀やトップリーダーの補佐役としてその才能が最も活きる事が多い。

有能な天才肌であるがゆえに部下に仕事を割り振ることを苦手とする人物も多いが、その方向の能力を磨くことで、一つ突き抜けられる可能性がある。

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第4施設団公式Webサイト(顔写真及び災派写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/4eb/4ebhp/bcg.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/4eb/4ebhp/act.html

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