髙田祐一(たかだ・ゆういち)|第30期・陸上自衛隊

髙田祐一(高田祐一)は昭和38年8月26日生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。

防衛大学校は第30期(国際)の卒業で幹候67期、出身職種は普通科だ。

平成29年8月(2017年8月) 第42代第4師団長・陸将

前職は東部方面総監部幕僚長であった。

なお、第4師団長としての指導方針は以下の通り。

【要望事項】

挑戦と創造

連携

さて、第30期組の出世頭にして、次の次の陸上幕僚長候補として既にその名を知られている、髙田祐一である。

陸上自衛隊の入隊は昭和61年3月。

1等陸佐に昇ったのは平成17年1月で、陸将補への昇任が23年8月だ。

さらに陸将昇任が29年8月で、いずれも同期1選抜(1番乗り)であり、自衛隊の人事制度上、これ以上のスピード昇任はない最速値での昇任であった。

さらに特筆するべきは、29年8月の陸将昇任の時期であろう。

通常、陸海空自衛隊では、同期の間で競わせ、切磋琢磨させるために1人だけを突出させて出世させることはしない。

1選抜であっても、全ての階級で必ず2名以上を同時に昇任させるのが通例だ。

そして髙田の場合も、29年8月のタイミングで他に30期から2名が陸将に昇任している。

以下の者たちだ。

野澤真(第30期)・第2師団長

髙田祐一(第30期)・第4師団長

小野塚貴之(第30期)・第7師団長

吉田圭秀(第30期相当)・第8師団長

(肩書はいずれも2017年11月現在)

ちなみにいずれも、1等陸佐への昇任は髙田と同じ1選抜である。

では何が特筆するべきことかというと、微妙な日時の差だ。

通常、昇任人事は余りバラけて発表されることはない。

同じ日付で発令され、同格のポストに同期が配備され、切磋琢磨する相手を認識することになる。

しかし29年8月の陸将昇任人事の場合、8月1日と8月8日付の2回に渡って発令され、なおかつ8月1日付けは髙田のみの昇任となった。

慣例とは異なる扱いにやや驚いたが、程なくして8月8日に、野澤と小野塚も陸将に昇任し、師団長に着任している。

あるいはこれは、2017年8月に発生したいわゆる南スーダン日報隠蔽問題の影響による大幅な人事異動によって、最後の最後にポストの調整がずれたのかもしれない。

しかし素直に考えれば、これは髙田を陸将としての先任にするものであろう。

極めて僅かな差ではあり、アドバンテージと言えるようなレベルではないが、しかし注目すべきは1週間早く着任させた人事権者の意図だ。

30期組の中心としての自覚を髙田に促し、なおかつ小野塚と野澤には奮起を促す。

そんな意図が込められている人事だと言えるのではないだろうか。

さて、その髙田が補職されているのは2017年11月現在、国防の最前線である第4師団の師団長職だ。

第4師団は九州北部の4件、すなわち福岡、大分、長崎、佐賀を担当する師団ではあるが、近い将来に沖縄方面に展開する地対艦ミサイル連隊の練成を行っている他、西部方面普通科連隊、すなわち日本版海兵隊部隊の母体となる部隊を指揮する部隊でもある。

すなわち、2018年3月の陸自大改革にあたり組織の移行期であって、もっとも困難な任務を背負っている師団の一つである。

そして新組織では、髙田の指揮能力や統率方針がそのまま、基礎になり持ち越されると言っても過言ではないだろう。

また朝鮮半島有事が発生した際には、何らかの軍事行動を余儀なくされる可能性が高いのが九州北部地域であり、また対馬であって、まさに陸上防衛の要となる最前線である。

対朝鮮半島、対中国人民解放軍をともに想定をした部隊の練成と、将来を見据えた幹部曹士の育成。

それを任されたのが、陸将に昇任したての髙田ということだ。

その期待の大きさが窺える人事であり、髙田が背負う責任は極めて重い。

ちなみに髙田は、連隊長職は第16普通科連隊(長崎・大村)であり、第4師団隷下の部隊であって、既にホットスポットして重要性が高まっている時期から、西方(西部方面隊)でのキャリを重ねてきたことになる。

上記の画像はその時、平成19年当時の若き1等陸佐であった髙田のものだ。

意外にもほとんど顔立ちが変わっていない。

その後、第36代陸幕長である山崎幸二(第27期)も務めた、「出世の登竜門」である第4施設団長(京都・大久保)などを歴任。

島嶼部防衛では欠かすことができない、普通科と施設科の連携を肌感覚として身につけ、さらに「政経中枢師団」を指揮する東部方面総監部の幕僚長を経て、陸将に昇任した。

早い話が、あらゆる切り口から21世紀の陸自トップに必要な能力を全て経験してきた最高幹部だといえるだろう。

尖閣を始めとした離島防衛も、朝鮮半島有事に備えた防衛体制も、都市型テロへの備えも全て経験していることになる。

ここまでくれば、程なくして後職で、統合幕僚副長か陸上幕僚副長、防衛大学校幹事といった要職に着任することは確実である。

もしくは、2018年3月に新設される陸上総隊。

その幹部ポストの扱いが未だに判明しないので予想できないところがあるが、敢えて髙田に不足しているものを挙げると、中央即応連隊などの即時性を持った危機対処部隊の指揮経験がないことだ。

そのため、陸上総隊への異動も考えられるかもしれない。

さすがに総隊司令官はいきなりはありえない。

その幕僚長ポストが師団長クラスより格上の扱いとなるようであれば、あるいは考えられるのではないだろうか。

そして、程なくして西部方面総監に着任しそうなキャリアの流れである。

ここまでくれば、陸幕長へのルートが一気に開けることになるが、おそらくそれは3~5年度のことであろう。

ぜひ注目して、この30期組スーパーエリートの異動と活躍に、注目してもらいたい。

本記事は当初2017年8月19日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月5日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年8月に公開した当時のものをそのまま残している。

髙田は第16普通科連隊長時代、北部九州地方を襲った「平成21年7月中国・九州北部豪雨」災害を経験している。

この災害は連日降り続く大雨により山体崩壊や川の氾濫が発生、死者31名・負傷者50名超を越えるという大惨事であった。

あるいは老人ホームに土石流が流れ込み、多くのお年寄りが犠牲になった映像が繰り返しメディアで流されたので、記憶に新しいという人も多いのではないだろうか。

髙田はこの際、大村駐屯地から隷下部隊を率いて災派(災害派遣)に出向き行方不明者の捜索や瓦礫の撤去、インフラ再建に尽力し最前線で指揮を執った経験を持つが、この間に行われていたレンジャー訓練課程を見事修了し、駐屯地に帰還した隊員たちを出迎えることができなかった。

レンジャー訓練をやり遂げ帰ってきた隊員を迎えるのは連隊長としても大きな喜びだが、その場にいることができなかったのは、やはりある意味で無念であったであろう。

その後、京都・大久保に所在する第4施設団において工兵団の指揮を経験するが、あるいはこの時、施設科の機械力と普通科の連携については、多くの事を考えるきっかけとなったのではないだろうか。

◆髙田祐一(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 陸上自衛隊入隊(第30期)

平成
9年1月 3等陸佐
12年7月 2等陸佐
17年1月 1等陸佐
17年3月 幹部学校付
18年3月 陸上自衛隊幹部学校学校教官
18年8月 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練課教育班長
19年7月 第16普通科連隊長
21年12月 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課長
23年8月 陸将補
24年1月 東北方面総監部幕僚副長
26年3月 第4施設団長
27年8月 東部方面総監部幕僚長
29年8月 第4師団長 陸将

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第4師団公式Webサイト(顔写真及び災派写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/4d/dcg/dcg.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/4d/beppu/activity/activity-b/a-b.html

防衛省陸上自衛隊 第16普通科連隊公式Webサイト(歴代連隊長写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/4d/oomura/reki/reki.html

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コメント

  1. 貝澤 より:

    お邪魔します
    この方、佐官時代から既に優秀も良いとこでして、3佐昇任してすぐに外務省出向し防衛駐在官(3等陸佐)として勤務なさっていました。
    その後即指揮官職を拝命し念願であった北海道勤務を熱望され、第2師団第26普通科連隊で中隊長を平成10年8月に拝命、平成12年8月に中央へ幕僚待遇で復帰しますが、転属1ヶ月前の平成12年7月1日に2佐に昇任(同期一選抜)、1ヶ月間とはいえ2佐で転属なさっています。
    その後5年程度で1佐に昇任した後はwikiで遡れますので省きますが、色々と優秀な方としてのエピソードもいくつかありまして、複数の言語による会話が成立出来る程の能力があり、防衛駐在官時代及び共同訓練時等では米国等の各外国部隊との交流は通訳を不要としていました。
    また26連隊時代、名簿上の序列は他中隊長よりも下(昇任時期の関係)であったにも関わらず、その知識と経験から発言力が強く他の中隊長や連隊幕僚を差し置いて部隊の運用に関して優先的に発言されていたそうです。

    中隊長時代には、気さくに隊員とふれあい交流を深めていたそうで、当時の北海道勤務時の部下の方へは今でも電話でカニなどの海産物を求められるそう。
    宴席ではプロレス技をかけられても気さくに対応し、かけてきた張本人を後日人事交流の名の下に転属させたという話も・・・

    以上、長々と失礼しました。

    • ytamon より:

      貝澤様
      髙田陸将に関するとても興味深いエピソードをありがとうございます。
      さすがに師団長まで昇り、おそらくこの後、さらに要職に昇るのが確実な最高幹部になる人物は豪快ですね。
      30期組を見ると、第2師団長の野澤陸将と第4師団長である髙田陸将、第7師団長の小野塚陸将、それに東大出身である第8師団長の吉田陸将が横一線の出世競争といったところですが、この4人はおそらく最後まで同格の職を歴任し、陸幕長候補として残るのではないでしょうか。
      健康に気をつけ、皆さんさらに切磋琢磨されますことを。
      貴重な情報を、本当にありがとうございました!

  2. 貝澤 より:

    再度のコメント失礼します。
    高田陸将が中隊長として26連隊某中隊に着任する前から、既に26連隊のRHQやCoHQでは「将来の陸幕長候補たる秀才が中隊長として着任する」との事で、部隊側としても受け入れ体制を整えていたそうです。
    聞くところによれば、3佐昇任は同期一選抜、外務省出向も類い稀なる才能から外務省側からの要望で防衛駐在官として出向したと聞いています。
    3佐昇任後最短の4年で2佐(うち、2年を防衛駐在官・2年を中隊長)に昇任していますし、北海道勤務も当時の人事担当は西方を推してたそうですが、本人曰く「最前線部隊長勤務を希望する」との事で北海道第2師団の部隊勤務を熱望されたそうです。
    米国との共同訓練時、先方の大隊長(少佐)とのやりとりも一切の通訳を介さず普通にやりとりし、場合によってはこちらの意見を明確かつ論理的に説明し納得させた事もあるとか。
    切れ者とされ、指揮官(中隊長・後の連隊長)時代は部下との信頼関係も相当厚かったと聞いています。
    現7師団長たる小野寺陸将と幹部名簿における序列上は同一格だそうで、ほぼこの二人が将来の陸幕長候補との見方を中央勤務の知人からも聞いています。

    • ytamon より:

      お聞きすればするほど、早くから将来を嘱望されていたことが良く分かる人物ですが、その意味ではやはり、第4施設団のポストは直近、エースの指定席になっているのでしょうね。
      ちなみに第4施設団が所在する京都の大久保駐屯地は、自衛隊の駐屯地としては相当異例の、駅前徒歩1分の場所にあります。
      とてもきれいに整備された駐屯地で、周囲は通勤通学の社会人や学生で賑わっているのですが、通り掛かりには駐屯地内で厳しく鍛錬している隊員の姿をいつも見かけます。