竹中信行 (たけなか・のぶゆき)|第36期相当・海上自衛隊

竹中信行は昭和44年12月9日生まれ、大阪府出身の海上自衛官。

龍谷大学を平成4年3月に卒業し、同年の海上自衛隊入隊なので、第36期相当の高級幹部ということになる。

平成29年8月(2017年8月) 舞鶴地方総監部幕僚長・海将補

前職は海上幕僚監部防衛課長であった。

2017年8月から竹中が幕僚長に補職されている舞鶴地方総監部ほど、あるいは歴史の中で、その重要性が変遷してきた地方隊(鎮守府)も珍しいかもしれない。

日本海軍の建軍以来、日本海側に拠点を持つ海軍唯一の基地として、対ロシア防衛の拠点としての役割が期待されたものの、鎮守府が本格的に稼働し始めたのは日露戦争の後。

その頃にはすでに、海軍の仮想敵国はロシアではなく米国になっていたこと、またワシントン海軍軍縮条約(1923年)の締結により日米英を始めとした海軍強国の戦艦保有総量が制限をされた影響で舞鶴には戦艦が不在になり、鎮守府から要港部へと格下げになった歴史を持っている。

また初代鎮守府司令長官は東郷平八郎。

まだまともに戦力化もされておらず、設備も整っていなかった当時にこの舞鶴の地に赴いたことからも明らかなように、日本海軍は当初、用兵者としての東郷平八を全く評価していなかった。

その東郷平八郎を抜擢し、世界三大提督の一人として人類史に長くその名が残るであろう活躍の場に引きずり出したのは、日本海軍近代化の父であり、その礎を築いたことで知られる山本権兵衛。

日露戦争当時の海軍大臣であり、人事権者であることを理由として相当大胆な抜擢人事を断行したわけだが、この際に常備艦隊司令長官(日露戦争開戦とともに連合艦隊司令長官に就任するポスト)を務めていた日高壮之丞を東郷と入れ替わりで舞鶴鎮守府司令長官にするようなことまでやっている。

容赦のない人事異動であったが、実は日高と山本は同郷であり、若年から共に海軍を作り上げてきた長年に渡る戦友でもあった。

にも関わらず、ロシアに勝つという目的のために日高に引導を渡し、常備艦隊司令長官の任から設置途上の舞鶴鎮守府の長官に異動させるという人事を決定したわけだが、このさい日高には、山本が自ら対面で、その内示を出した。

これを聞いた日高は激高し、山本の短刀を奪い取って自分に刃を向け、

「山本、俺を殺せ!!」

と怒り狂ったというエピソードがあるが、結局日高は山本の説得を受け入れ、東郷平八郎が常備艦隊司令長官に昇格。

その後、日本海海戦でロシアのバルティック艦隊を完膚無きまでに撃破し、日露戦争における日本の勝利を決定づけることとなった。

そんな歴史を持つ舞鶴鎮守府だが、戦後、そして近年、再びその重要性が高まりつつある。

すなわち、日米同盟を締結し太平洋方面での仮想的を想定した配置の必要性が低下し、また冷戦構造の中で対ロシア、中国、北朝鮮と言った東アジア諸国との緊張関係の高まりで、舞鶴地方隊として再出発したこの海上自衛隊基地は、危機に対する最前線の役割を担うことになった。

1999年(平成11年)には実際に、北朝鮮の不審船が我が国領海に侵入し、日本人拉致を実行していると思われる暗号通信を海上自衛隊が傍受。

直ちに、舞鶴を母港とするイージスシステム搭載艦みょうこうをはじめとした海自の最新鋭艦が追尾を開始し、能登半島沖でその船尾を捉えると実弾を発砲。

海上自衛隊に対し、我が国始まって以来の海上警備行動の命令が下る。

結局この事件では、海上自衛隊には未だに特殊警備隊も存在しない状況の中で発生した有事であったことから最終的に不審船を取り逃がし、多くの課題を残すこととなったが、この教訓を活かした組織の再編と装備の更新が行われるきっかけともなった。

2017年現在においても、竹中が幕僚長を務める舞鶴地方隊の重要性と緊張感は当時と全く変わっていない。

それどころか、北朝鮮の度重なる挑発的な軍事行動の影響で、あるいはもっとも有事に近い最前線の基地としての役割が高まっているといえるだろう。

なお余談だが、この記事をポストした日からおそらく1ヶ月ほど前(2017年6~7月頃)であろうか。

フリーアナウンサーの辛坊治郎氏が舞鶴地方隊を訪問し、停泊中であったイージス艦の中を見学させてもらうという番組が、日曜日のお昼であったと記憶しているが、放送されていた。

様々な質問を繰り返し、イージス艦の装備や性能について時に面白おかしく、時にシリアスに、エスコート役の海曹に付き従いながら艦内を移動し会話を重ねていくのだが、そんな時に辛抱が発した質問。

「北朝鮮のミサイルが発射されたことを察知した時、イージス艦は、停泊中であれば停泊中の状態でこれを迎撃するのか」

という趣旨の質問に対し案内役の海曹は、

「出港して迎撃する」と回答する。

さらにこれに対し、辛抱が、

「どこまで沖合に展開して、迎撃をするのか」と質問を重ねたところで、広報担当の幹部自衛官が突然テレビ画面にフレームインし、その質問には回答不可であることを告げるシーンがあった。

その質問に答えることはつまり、北朝鮮のミサイル発射を察知してから日本のイージス艦が対応可能な時間はどれほどであるのかを発表するようなものであり、各艦によって性能差と停泊地の地形による影響はあるものの、少なくとも、公にするべきものではなかったであろう。

各港に停泊中の艦種は、少し自衛艦に詳しいものであれば誰でもわかる上に、配置によって迎撃時間の詳細が割り出せるというのは、極めて好ましくない軍事情報を北朝鮮に与えることになる。

このような質問に対し、直ちに回答を打ち切らせた幹部自衛官の対応もさすがであったが、同時に舞鶴地方隊が持つ最前線としての緊張感を感じさせる、印象深いやり取りでもあった。

竹中が幕僚長に就任した舞鶴地方隊はこのような歴史を持つが、一方で舞鶴にはまた、潜水艦乗りである竹中にとってはある意味で楽しみにしていたであろう事情がある。

それは、日本のみならず世界中の潜水艦搭乗員から尊敬を集めている佐久間勉艇長の出身地が福井県若狭町であり、舞鶴地方隊においては毎年4月15日、佐久間艇長殉職の日を記念した追悼行事を支援していることだ。

上記の画像はこのイベントにおいて、空に向けて礼砲を放つ舞鶴地方隊の自衛官。

第6潜水艇遭難事件に関しては、その概略に触れるだけでも多くのスペースを要するので別に譲るが、黎明期にあった潜水艦の実験・開発段階において、任務の途中で沈没・着底し乗組員総員が殉職することとなった事件である。

この事件に際して、艇長であった佐久間は事故の経緯と沈没・着底後の艇内の様子を事細かに時系列で記録。

死を迎えるまさにその時まで、最後の任務を果たし、そして最後の最後に薄れゆく意識の中で、判読困難な文字で記していたのは以下の2点。

・潜水艇は極めて可能性のある艦種であり、この事故をきっかけとして実験が滞ることがないように、心から願う。

・事故の原因は全て小官(佐久間)にあり。部下たちの遺族に対し、特別の計らいを望む。

そして佐久間以下全ての乗組員は2名を除き、死を迎えるその時まで冷静に、自分の持ち場を守った場所で息絶えていた。

残りの2名は、最後まで機関を再起動させようと故障区画の修理にあたっており、その場所で最後の時を迎えていた。

後日、着底した第6潜水艇をサルベージし艦内を調査した海軍関係者は、その余りに見事な最後と、佐久間艇長の最後の任務たる事故記録の一切、そして遺言に驚くことになるが、この事件にもっとも驚き、また海軍軍人の精神を見たのは英国海軍であったかもしれない。

当時英国海軍は、佐久間の最後に関する詳報を直ちに海軍内で共有。

海軍軍人の鑑であると顕彰することになるが、おそらくその影響であろう。

事故(1910年)から100年以上が経つが、今も佐久間艇長の顕彰式典には、在日英国大使館付きの武官が出席し、スピーチを行うことが慣例となっている。

そんな、潜水艦乗りとしての精神的支柱とも言える佐久間艇長の地元、舞鶴で幕僚長に就任した竹中。

今後も潜水艦艇出身の高級幹部としてキャリアを重ねていくことは間違いないが、その原点を見つめ、任務に対する熱い思いを再確認することになったのではないだろうか。

◆竹中信行(海上自衛隊) 主要経歴

平成4年3月 海上自衛隊入隊(第36期相当)

潜水艦やえしお副長
潜水艦なるしお艦長
海上幕僚監部 補任課
海上幕僚監部 防衛課業務計画班長
第5潜水隊司令
海上幕僚監部 防衛課防衛調整官
海上幕僚監部 防衛課長
舞鶴地方総監部 幕僚長

◆姓名判断

頭がよく、広く与えられた仕事を高いレベルでこなすが、全体を俯瞰して仕事をするよりも、特定の仕事やミッションに集中し成果を挙げる職人的な人物に多く見られる相。

そのため、トップリーダーよりもその補佐や2番手としてのポジションが、もっともはまり役になる事が多い。

基礎運には抜群の強さを持つため、人生を通じ運の悪さを感じることはほとんどない。

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省会場自衛隊 舞鶴地方隊公式Webサイト(顔写真及び追悼行事写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/maizuru/about/message/1bakuryoutyou.html

http://www.mod.go.jp/msdf/maizuru/dekigoto/dekigoto.html

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