藤岡登志樹(ふじおか・としき)|第31期・陸上自衛隊

藤岡登志樹は昭和39年11月18日生まれ、福岡県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で幹候68期、出身職種は普通科だ。

平成29年8月(2017年8月) 陸上自衛隊富士学校副校長・陸将補

前職は第1師団副師団長であった。

31期のエリート自衛官であり、普通科一筋、王道ど真ん中を歩み続けてきた藤岡だ。

2017年11月現在、陸将に昇る1年前に当たる世代であり、最初に陸将に昇るものが2018年夏の将人事で誕生する年次にあたる。

必然的に、陸将補では最多人数ということになり、まさに石を投げれば31期にあたるというくらい、将補の中で31期が占める人数は14名と、多くの割合を占める。

その31期組の動向を見る前に、まずは藤岡のキャリアについてだ。

陸上自衛隊に入隊したのが昭和62年3月であり、1等陸佐に昇ったのが平成18年1月。

同期1選抜のスピード出世であり、充実した自衛官人生を過ごしキャリアを駆け上がってきた。

陸将補に昇ったのは平成28年3月なので、同期1選抜に比べて1年半遅れにあたる。

陸上幕僚長レースからは遅れを取った形だが、その分だけ、非常に充実した現場指揮経験を積み上げ、満を持して陸将補に昇った形だ。

中でも特筆するべきなのは、平成21年から指揮を執っていた第41普通科連隊(別府)・連隊長時代であろうか。

藤岡はこのポストにあるときに、未曾有の国難である東日本大震災を経験。

震災直後から直ちに連隊を率いて現地入りし、被災者のために身を呈した献身的な活動を展開している。

なおこの際、41普通科連隊の活動は被災直後の3月14日から5月14日までの2ヶ月に渡り、捜索、生活支援(給水、給食、入浴、衛生)物流支援、慰問演奏など、あらゆる方面で被災者を物心両面で支え、国民の信頼を勝ち取る。

また藤岡はこの被災地での活動に際し、

・被災者の前でものを食べない

・被災者の前で座らない

・飲酒は厳禁、発覚の場合は厳罰とする

・笑わない、笑い声を出さない

・被災地に商店や自販機があっても絶対に購入してはならない

など、非常に厳しい活動方針を策定し隷下部隊に下令し、厳守させた。

あれほど過酷な活動の中で、なおこのようにストイックな要望事項を部下に求め、さらに部下も連隊長方針に従い献身的に活動を行った第41普通科連隊。

国民の心から信頼を勝ち取り、また藤岡のもとで、ますます精強な組織としてまとまったことは疑いの余地が無いだろう。

なお気仙沼市では、この際の第41普通科連隊の支援に対して深い感謝の気持ちを表すため後日、市長自ら別府駐屯地創立54周年記念日行事に出席し、藤岡連隊長に感謝状を贈呈したエピソードがある。

震災という悲惨な出来事ではあったが、これもまた地域と地域を繋ぐ一つのきっかけになったのではないだろうか。

さて、その藤岡の卒業年次である31期についてだ。

31期組は、2018年夏に最初の陸将が誕生する世代であることは先述の通りで、まさに2017年11月現在の今が、人事考課の最後の佳境に差し掛かっている世代と言っていい。

陸上自衛隊の場合、最初に陸将に昇った者の中から、ほぼ間違いなく、陸上幕僚長候補が絞られる。

2番手で陸将に昇った者のディスアドバンテージは、海空自衛隊の比ではないほどに、致命的な遅れとなる。

その、もっとも熾烈なレースを繰り広げている31期の陸将補は、2017年11月現在で以下の者たちだ。

鵜居正行(第31期)・第3施設団長  兼ねて南恵庭駐屯地司令

沖邑佳彦(第31期)・陸上幕僚監部運用支援・訓練部長

片岡義博(第31期)・第1特科団長兼ねて北千歳駐屯地指令

亀山慎二(第31期)・中央情報隊長

竹本竜司(第31期)・第11旅団長

中野義久(第31期)・東部方面総監部幕僚長兼ねて朝霞駐屯地司令

野村悟(第31期)・中央即応集団副司令官

原田智総(第31期)・第15旅団長

蛭川利幸(第31期)・中部方面総監部幕僚長

藤岡登志樹(第31期)・陸上自衛隊富士学校副校長

前田忠男(第31期)・陸上幕僚監部防衛部長

眞弓康次(第31期)・陸上自衛隊武器学校長兼土浦駐屯地司令

森脇良尚(第31期)・第2師団副師団長

吉野俊二(第31期)・陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令

(肩書はいずれも2017年11月現在)

この中で、1選抜で陸将補に昇ったものは沖邑、竹本、原田、前田の4名。

いずれも平成24年7月であり、まずはこの4名が31期組の陸上幕僚長候補とみて間違いないだろう。

この中で前田については、2017年8月に発生したいわゆる「南スーダン日報隠蔽問題」で左翼系の論客から徹底的に叩かれ、また真偽は不明なものの、制服組の”クーデター首謀者”として散々に叩かれた経緯がある。

トップエリート故にいろいろ言われるのは仕方のないところであろうが、順調に出世を続けるのか、あるいはここで失脚し、事実上、ゴシップ記事の内容は正しかったことが間接的に証明されてしまうのか。

そこもまた、見どころの一つかもしれない。

藤岡に関しては、陸将補に昇ってまだ3年であり、2018年夏の段階でも4年。

陸将に昇るほどには、陸将補での経験を積んでいないので、ここでの昇任はないだろう。

順調に行けば、2019年夏あたりの人事で陸将に昇り、師団長に補職されるのではないかと推測している。

いずれにせよ、陸上自衛隊の最高幹部としてこれ以上はないほどに、心身ともに尊敬すべきものを多く持つ最高幹部であり、それでいて”陸軍首脳”らしい豪胆な肝の座った陸将補である。

そのさらなる活躍に期待し、重要な補職を重ねていくことを期待せずにはいられない。

是非注目して、応援して欲しい最高幹部である。

本記事は当初2017年6月28日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月25日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年6月に公開した当時のものをそのまま残している。

◆藤岡登志樹(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
62年3月 陸上自衛隊入隊(第31期)
63年3月 第39普通科連隊(弘前)

平成
4年3月 普通科教導連隊(滝ヶ原)
5年10月 装備開発実験隊(富士)
10年1月 3等陸佐
11年8月 第38普通科連隊 第2中隊長(多賀城)
13年7月 2等陸佐
16年3月 陸上幕僚監部防衛課
18年1月 1等陸佐
18年8月 幹部学校付
19年8月 陸上幕僚監部装計課(装備計画課)企画班長
21年7月 第41普通科連隊 連隊長(別府)
23年12月 北部方面総監部防衛部長(札幌)
26年8月 中部方面総監部幕僚副長(伊丹) 陸将補
28年3月 第1師団副師団長
29年8月 陸上自衛隊富士学校副校長

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第1師団公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/1d/about-1d/sidan.html

防衛省陸上自衛隊 富士学校公式Webサイト(訓練写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/fsh/index.html

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