曽根勉(そね・つとむ)|第38期・陸上自衛隊

曽根勉は香川県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第38期の卒業で幹候75期、職種は普通科だ。

生年月日は判明しないが、第38期であれば、ストレートであれば昭和46年度の生まれということになる。

平成29年8月(2017年8月) 第28代第35普通科連隊長・1等陸佐

前職は第12旅団司令部第3部長であった。

なお第35普通科連隊長としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】

「事態即応・任務完遂」

【要望事項】

「明朗 闘魂 実行」

2018年3月現在、第35普通科連隊長(守山)を務める曽根だ。

そのキャリアは、呆れるほどに国際色が豊かなものになっており、PKOでの海外任務、米軍との連携、ドイツ連邦軍指揮幕僚大学留学、駐オーストリア防衛駐在官と、絵に描いたようなエリートの経歴になってる。

いずれも特筆すべきキャリアばかりだが、やはり印象深いのはオーストリア防衛駐在官(コソボ・マケドニア・セルビア・モンテネグロ兼轄)の任務であろうか。

オーストリアはドイツの南、イタリアの北にあり、スイスを挟んでフランスの東側に位置する。

もちろん東側には、スロバキアやハンガリーなどの小国を挟んではいるが、20世紀の世界の脅威であったソビエト連邦も控えている形だ。

つまり、欧州列強のど真ん中に位置するわけだが、その地理的条件から、歴史上激しい戦争を幾多と経験し、1938年にはドイツに併合され、国を失った歴史を持つ。

第二次世界大戦後には独立を回復するが、この際にオーストリアは永世中立国を宣言。

そのようなこともあり、冷戦期には東西の諜報員が情報収集にあたり、諜報戦を繰り広げる舞台となったことで知られるが、2018年現在でも、外形上は永世中立国を維持している。

曽根が赴いたのはこのような背景を持つ国家であり、欧州の政治・軍事に関する情報収集の拠点としては今なお重要な価値のある国となっている。

歴史的にも、強国の狭間で独立を維持し展開すべき外交を学ぶ上で大変価値のある国となっており、曽根に与えられた任務は極めて重要なものであったことが、おわかり頂けるのではないだろうか。

なお、その曽根がオーストリアに赴いたのは平成24年6月。

第38期の1選抜(1番乗り)1等陸佐は、平成25年1月に選ばれているが、曽根の名前はこの時の人事だけでなく、以降1等陸佐に昇任した人事の記録が防衛省の資料には一切残っていない。

これはおそらく、1選抜よりも早い24年6月に、予め1等陸佐に昇任してからオーストリアに赴いたためと思われるが、防衛駐在官の身分は防衛省職員ではなく外務省職員(出向)となる。

そのため防衛省の人事ではなく外務省の身分で辞令を受けたものと思われるが、いずれにせよ実質的に、1選抜で1等陸佐に昇っているエリートと考えて間違いないだろう。

また曽根については、第43普通科連隊の中隊長時代に、第8次イラク復興業務支援群要員(運用訓練幹部)として、イラク戦争後のサマーワに赴いた経験も持ち合わせている。

なお、イラク復興業務支援隊とイラク復興業務支援群は、わずか1文字違いだが、同時期にイラクで活動し、それぞれ違う1等陸佐の隊長を持つ違う組織になっており、注意して欲しい。

上下関係のない組織で、こんな紛らわしいネーミングは珍しいようにも思えるが、支援隊の初代隊長は「ヒゲの隊長」でお馴染みの佐藤正久(第27期)で、支援群の初代隊長は番匠幸一郎(第24期)。

規模も支援隊が100名程度で支援群が500~600名程度であり、隊長の格も部隊規模も群のほうが上であった。

そして、復興支援隊の役割はイラク政府や日本外務省と復興支援業務について調整・交渉を主な役割とする部隊であり、復興支援群は道路補修や給水、施設建設といった実際の支援業務を行う部隊である。

曽根はその後者、復興支援群の要員としてイラクに赴き、生命の危険を肌で感じながら運用訓練の幹部を務め、任務を完遂し帰国している。

なおこの頃のイラクは、日本国内で思われているほど治安の良い場所ではなく、宿営地には連日ロケット砲が撃ち込まれるなど、いつ戦闘状態になるとも知れない状況であった。

復興業務支援隊の第2次隊長であった田浦正人(第28期)・北部方面総監(2018年3月現在)などは赴任中、宿営地に7度ロケット弾を撃ち込まれるなど、その緊張の現地情勢を帰国後に語っている。

自衛隊にけが人や、最悪の場合犠牲者が出てもおかしくないほどの情勢であった文字通りの戦地であったが、曽根はこの過酷な任務を、30代前半の若い頃に経験しているということだ。

おそらくこの時の活躍や働きも大きく評価されてのことであろう。

帰国後はすぐに、陸幕の運用支援・情報部に異動になり、在日米海兵隊陸上連絡官として米軍との緊密なパイプを構築。

以降、国際色豊かなキャリアを駆け上がっていくことになる。

38期組から最初の陸将補が選ばれるのは、2019年夏の将官人事だ。

そして陸上自衛隊では、1選抜で陸将補に選ばれる4名が実質的に、将来の陸上幕僚長候補に勝ち残っていることを意味し、以降はその4名を中心とした最高幹部人事が展開されていくことになる。

曽根についても、これほど見事なキャリアである以上、その候補に挙がっていないとはとても思えないので、要注目となるだろう。

いずれにせよ、その国際色豊かなキャリアを活かし、大きな存在感を持つ幹部として、これからも活躍していくことだけは間違いない曽根である。

その動向からは目を離さず、そして応援していきたい。

本記事は当初2017年8月26日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年3月19日に整理し、改めて公開した。

◆曽根勉(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
6年3月 陸上自衛隊入隊(第38期)
6年10月 普通科教導連隊(滝ヶ原)
9年3月 霞ヶ浦駐屯地業務隊付・筑波大学大学院修士課程(霞ヶ浦)
11年3月 第13普通科連隊(松本)
14年3月 防衛大学校小隊指導教官(横須賀)
16年8月 第43普通科連隊中隊長(都城)
17年10月 第8次イラク復興支援群第3科 運用訓練幹部(サマーワ)
18年3月 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課運用支援班 在日米海兵隊陸上連絡官(沖縄)
19年8月 統合幕僚監部防衛計画部防衛課防衛班(市ヶ谷)
21年8月 中央情報隊付(ドイツ連邦軍指揮幕僚大学留学)(ハンブルグ)
23年8月 陸上幕僚監部運用支援・情報部情報課付(市ヶ谷)
24年6月 在オーストリア日本大使館防衛駐在官(コソボ・マケドニア・セルビア・モンテネグロ兼轄) 欧州安全保障協力機構(OSCE)軍事顧問(ウィーン)
27年8月 第12旅団司令部第3部長(相馬原)
29年8月 第35普通科連隊長(守山)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第35普通科連隊公式Webサイト(顔写真及び着任式画像)

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/butai/butai/35i/index.htm

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/butai/butai/35i/06.htm

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/butai/butai/35i/01.htm

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