遠藤充(えんどう・まこと)|第35期・陸上自衛隊

遠藤充は昭和43年12月生まれ、山形県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第35期、幹候は72期の卒業だ。

平成29年12月(2017年12月) 第3施設団長兼ねて南恵庭駐屯地司令・陸将補

前職は東部方面総監部幕僚副長であった。

第35期のトップエリートである遠藤。

陸上自衛隊に入隊したのが平成3年3月で、1等陸佐に昇ったのが22年1月だ。

さらに陸将補に昇ったのが28年7月なので、共に35期の1選抜(1番乗り)となるスピード出世である。

さらに、陸将補に昇り最初の補職は東部方面総監部幕僚副長であったが、2017年12月には第3施設団長に異動。

一際、その存在感の大きさを感じる最高幹部として、順調に要職を歴任している。

なお、2018年1月現在で遠藤が補職されている第3施設団は、ある意味で特別な存在だ。

というのも、第3施設団は予算縮小の煽りを受け、2008年に一度廃止(縮小・再編)され、北部方面施設隊へと格下げになった歴史を持つからだ。

中期防(中期防衛力整備計画)2005で定められた方針に依るものだが、この中期防、明らかに中長期的な視点を欠いたものであり、おかしな点が目立つものであった。

指摘したい点はいくつもあるが、ここでは2点だけ、特に挙げておきたい。

1点目はこの第3施設団の廃止であり、もう1点は、地対艦ミサイル連隊半減方針の決定である。

どちらも極めて短絡的であり、中長期的な視点を欠く施策で、結局第3施設団はその必要性から2017年に早々に団編成で復活。

地対艦ミサイル連隊も、第6地対艦ミサイル連隊こそ廃止されてしまったものの、縮小方針が180度転換し、2018年現在では、装備・部隊数ともに増強の方針に転じている。

ちなみに、中期防2005を策定した時の内閣は小泉純一郎政権であったが、これは小泉の肝いりの政策というよりも、当時の財務省の強い意志であったという評価が一般的だ。

そしてこの時、財務省で防衛予算を担当する主計官を務めていたのが現参議院議員の片山さつき。

自らも、そのWebサイトなどで防衛予算の圧縮に成功した、官僚時代の成果を売りにしているが、この時の施策が後世に残した禍根は極めて大きい。

明らかに、削減してはならない領域に踏み込んで、我が国の防衛政策に大きな遅れをもたらしたと言ってよいのではないだろうか。

今でこそ、タカ派の政治家として通っている片山だが、財務省時代は防衛省(防衛庁)の天敵と言ってもよいほどに防衛費を圧縮することで存在感を示した経歴を持っているということだ。

また、防衛予算の増額を要求する防衛省(防衛庁)を繰り返し強い口調で非難するなど、その存在感も極めて大きいものだった。

財務官僚のポジショントークとして、片山がそのように振る舞ったのか。

あるいは国会議員になって宗旨変えをしたのかは定かではないが、いずれにせよ片山がその作成に大きく関与した中期防2005における政策変更。

その内容を受け2008年に廃止された第3施設団であったが、2017年に復活をみたばかりの組織で、2代目の団長を任されたのが遠藤だ。

そして第3施設団は復活早々、我が国施設団で最大の規模を誇る陣容で再出発を果たした。

この極めて重要な大所帯を任されることは、将官として極めて栄誉あることだ。

35期のエースとしてこの大事な第3施設団を、さらに大いに発展させるために尽力してくれることだろう。

なお、その遠藤について、35期のライバルとなる同期について見てみたい。

2018年1月現在、35期組で陸将補にある出世頭は以下の通りだ。

井戸川一友(第35期)・沖縄地方協力本部長(2016年7月)

上田和幹(第35期)・北部方面総監部幕僚副長(2016年7月)

遠藤充(第35期)・第3施設団長(2016年7月)

戒田重雄(第35期)・西部方面総監部幕僚副長(2016年7月)

坂本雄一(第35期)・中部方面総監部幕僚副長(2017年3月)

※肩書は2018年1月現在。( )は陸将補昇任時期。また、2017年12月の将官人事で昇任した期別不明の将補がいるため、追記する可能性あり。

特徴的であったのは、35期1選抜で将補に昇った同期の中で唯一、2017年12月の将官人事で異動になったのが遠藤であったことだ。

1年程度で異動させ、要職を多く経験させるのは将来を嘱望されているトップエリートによく見られる傾向だが、ほどなくして他の35期組も異動になるだろう。

まずは遠藤が第3施設団長という大所帯に異動になったことは、35期組の陸幕長候補レースを占う上で、特筆するべきことと言えそうだ。

とは言え1佐以降、我が国のホットスポットである西部方面での補職がない遠藤なので、トップに昇りきるためには同方面への異動があるかどうか。

そのあたりも大きな注目点になるだろう。

「若手将官」である35期の活躍と異動は、まさに今が一番楽しみなところだ。

上記高級幹部には是非注目して、応援して欲しい。

本記事は当初2017年8月29日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年1月9日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年8月に公開した当時のものをそのまま残している。

その遠藤が連隊長を務めていたのは、第25普通科連隊長(北海道遠軽)。

遠軽は、その地域柄、地域住民との関係がとても良好だ。

地元経済は、自衛隊が雇用の受け皿となっている側面もあり、そのため隊員の多くが地元出身者で顔見知りの多い街になっている。

遠軽のメインストリートは別名「連隊通り」とも呼ばれ、地元の祭りも多く支援するなど、地域住民も積極的に自衛隊と関わりを持つ。

また自衛隊以外には、まとまった若年層を動員できないという地域事情もあり、地域独特の災派(災害派遣)が行われていることも特徴的な連隊だ。

・鴻之舞ヘドロ流出事故 災害派遣
・遠軽町内のトウキビ農家の収穫支援
・上湧別町のビニールハウス倒壊、曹友会が除雪支援

などのような災派は、ちょっと都市部では考えられず、いかにも25普連の地域柄を表しているといえるだろう。

そのような人情味と地域との繋がりに恵まれた25普連で連隊長を務めた遠藤だが、その経験はきっと、「地域とともに」という自衛官としての価値観にも、大きな影響を与えたのではないだろうか。

また遠藤は、3等陸佐であった2004年から半年間、UNDOF(国連兵力引き離し監視軍)の第17次派遣輸送隊長としてゴラン高原に赴任した経験を持つ。

UNDOFはシリアとイスラエルの停戦を監視し、その両軍を引き離して平和を回復・維持させる国連PKO活動の一環だ。

我が国からは、現地で要人警護などにあたるUNDOF司令部要員と、UNDOFの活動に必要な物資の補給や道路の整備・復旧などを行う派遣輸送隊の2つの任務に自衛隊員を派遣したが、遠藤はこのうち、派遣輸送隊の隊長を務めた。

ゴラン高原への自衛隊派遣は2013年、現地の治安情勢悪化によりその任務が打ち切られ自衛隊も撤退したが、逆に言えばそれほど危険な情勢の中で任務を遂行していたということだ。

脆弱な装備のみを携行し、また政治の怠慢でまともな法整備も行われていない中での派遣であり、自衛隊員にとっても非常にリスクのある任務であった。

にも関わらず、この困難な任務をやり遂げ、自衛隊の規律、能力の高さを世界に示したことを、ぜひ一人でも多くの国民の知るところになって欲しい。

国内の災派だけでなく、自衛隊員はPKO活動でも命と体を張って、我が国の国益と国民のために死力を尽くしている。

◆遠藤充(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
3年3月 陸上自衛隊入隊(第35期)
14年1月 3等陸佐
17年7月 2等陸佐
22年1月 陸上幕僚監部運用支援課 1等陸佐
22年3月 幹部学校付
23年4月 陸上幕僚監部装備計画課企画班長
25年4月 第25普通科連隊長
26年8月 陸上幕僚監部装備計画課長
28年7月 東部方面総監部幕僚副長 陸将補
29年12月 第3施設団長兼ねて南恵庭駐屯地司令

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第2師団公式Webサイト(レンジャー訓練帰還式写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/kunnrenn/rireki/rkikann/newpage2.html

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