大内田憲治(おおうちだ・けんじ)|第28期・陸上自衛隊

大内田憲治は昭和37年2月19日生まれ、鹿児島県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第28期の卒業で幹候65期、出身職種は機甲科だ。

平成28年7月(2016年7月) 第3師団副師団長兼ねて千僧駐屯地司令・陸将補

前職は中央業務支援隊長であった。

陸上自衛隊の将官の中で、中枢を担う世代である第28期の大内田だ。

2017年11月現在、陸上幕僚長は1期上の山崎幸二(第27期)が務めており、28期組はその2番手として活躍している世代にあたる。

なお山崎が陸上幕僚長に着任したのは2017年8月。

慣例で考えると、その任期は恐らく2019年夏までか、長くとも2019年12月辺りまでとなるだろう。

つまり28期組の将官は、その後任として同期からいずれか1名が陸上幕僚長に昇るか、もしくは29期以降の将官から陸幕長に昇るものが現れた場合、全員退役することになる。

28期組の誰かが陸幕長に着任した場合も、おそらく多くの将官は早期退職勧奨を受け退役となるだろう。

なお、28期組で陸将のポストに在り、次期陸上幕僚長に昇る可能性がある者は、2017年11月現在で以下の通りだ。

岸川公彦(第28期)・中部方面総監 施設科出身

湯浅悟郎(第28期)・西部方面総監 普通科出身

住田和明(第28期)・東部方面総監 高射特科出身

田浦正人(第28期)・北部方面総監 機甲科出身

岩谷要(第28期)・陸上自衛隊研究本部長 施設科出身

いずれが勝ち残るのか。その予想は別の記事、

【コラム】次期陸上幕僚長人事予想|第37代・2017年10月予想

で詳述しているのでここでは割愛するが、陸上自衛隊は3自衛隊の中で世代交代がもっとも早く進んでいる。

そのため、27期の山崎の後には28期組を着任させる余裕があり、この5名の中から次の陸上幕僚長が選ばれると見て、まず間違いないだろう。

そしておそらくそれは、住田になるものと予想している。

次に大内田についてのキャリアだ。

2017年11月現在、大内田は陸将補の階級に在り、陸上幕僚長レースからは別ルートでのポストを歩み、要職を歴任してきた。

陸上自衛隊に入隊したのが昭和59年3月。

第9戦車大隊(岩手)を皮切りに機甲科の現場で指揮を執り、またその間、ルワンダ難民救援国際平和協力隊本部の第2科長として現地に赴くなど、困難な任務も高い精度でこなしてきた実績を持つ。

そのような功績が認められ、1等陸佐に昇ったのが平成15年7月。

同期1選抜(1番乗り)でのスピード出世であり、同期の誰にも負けない現場指揮能力の高さで実績を積み上げ、富士学校機甲科部主任教官や京都地方協力本部長などの要職を歴任し、平成26年8月に陸将補に昇任した。

なお、大内田が陸将補に昇り最初に補職されたポストは中央業務支援隊の隊長。

中央業務支援隊は一般企業で言う「総務部」や「管理部」に相当し、隊舎の維持管理や補修、隊員の健康診断の実施や給食の供給を行うなど、部隊活動が問題なく遂行されるためのあらゆる支援を行う部隊だ。

「Best ServiceとQuick Responce」が理念であり、陸自の組織の中でもかなり異彩を放つ部隊と言えるだろう。

同部隊には武官だけでなく、事務官や技官もそれぞれ同数程度で配属されており、また中央業務隊は陸自だけでなく海上自衛隊・航空自衛隊の支援も行っているため、調整力やコミュニケーション能力の高さが求められる組織だ。

京都地本長の要職を任されたことと併せ、大内田の調整能力の高さ、コミュニケーション能力の高さ、人間的魅力の高さが感じられるキャリアになっており、その人柄を窺い知ることが出来るものになっている。

なお大内田は、広報用資料だけでなく、自衛隊の準機関紙である防衛ホーム新聞や雑誌「MAMOR」で見かける表情でも、いつもにこやかで穏やかな笑顔を絶やさない。

厳しい訓練をくぐり抜けてきた機甲科幹部としての厳しい顔を見ることはほとんどなかったが、一方で上記の画像だ。

この画像は、第3師団副師団長着任後に滋賀県・饗庭野で行われたオリエントシールド(日米共同実動訓練)における一コマを切り取ったもの。

さすがにこの時ばかりは一転、機甲科出身幹部としての厳しい表情が見られ、大内田の別の表情を知ることができた。

同訓練にはFH-70や74式戦車など、多くの特科や機甲科が参加していたので、機甲科としての血が騒いだということなのかもしれない。

機甲科幹部として、我が国の国防最前線である第8師団隷下、第8戦車大隊長や第8師団第3部長などを歴任した、現場経験豊富な陸将補だ。

陸幕では、調整役や裏方など、非常に重要でなくてはならない要職を歴任したキャリアも充実しており、なんでもこなせる器用な将官と言っていいだろう。

しかしながらそのキャリアも、もしかしたら冒頭のような理由で、後2年ほどで終わりになるかもしれない。

あるいは次の異動が、陸自人生最後の異動になるかもしれないが、その異動先は恐らく教育系の要職になるのではないだろうか。

どんな優秀な自衛官にも必ず退役の時が来るとは言え、大内田のような誰からも愛される将官が自衛隊を去るのは、ひときわ寂しい思いだ。

その活躍には最後まで注目し、今後もしっかりと追っていきたい。

本記事は当初2017年6月29日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月23日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年6月に公開した当時のものをそのまま残している。

◆大内田憲治(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
59年3月 防衛大学校卒業(横須賀)
59年9月 第9戦車大隊(岩手)

平成
3年 月 幹部学校(第37期指揮幕僚過程)(市ヶ谷)
5年 月 富士学校機甲科部(富士)
6年 月 ルワンダ難民救援国際平和協力隊本部第2科長(ルワンダ)
7年1月 3等陸佐
7年 月 檜町駐屯地付・伊藤忠商事研修(檜町)
8年 月 陸上幕僚監部防衛部(檜町)
10年7月 2等陸佐
10年8月 第8戦車大隊長(玖珠)
12年3月 陸上幕僚監部調査部調査課(檜町)
14年8月 幹部学校付
15年7月 1等陸佐
15年8月 第8師団第3部長
17年4月 富士学校機甲科部主任教官(富士)
18年3月 陸上幕僚監部総務部総務課企画班長(市ヶ谷)
20年4月 京都地方協力本部長(京都)
21年12月 陸上幕僚監部人事部募集・援護課調整官(市ヶ谷)
23年8月 中部方面総監部人事部長(伊丹)
26年8月 中央業務支援隊長(市ヶ谷) 陸将補
28年7月 第3師団副師団長兼ねて千僧駐屯地司令(伊丹)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第3師団公式Webサイト(顔写真、着任式、式典画像)

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/vcg.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/prmagazine.html

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