惠谷昇平(えたに・しょうへい)|第35期・陸上自衛隊

惠谷昇平(恵谷昇平)は昭和43年7月23日生まれ、大阪府出身の陸上自衛官。

防衛大学校第35期の卒業で91幹候、職種は機甲科だ。

平成29年8月(2017年8月) 第3師団司令部幕僚長・1等陸佐

前職は自衛隊滋賀地方協力本部長であった。

大阪府出身の惠谷だが、陸上自衛隊入隊以来そのキャリアは北海道で培われ、生粋の機甲屋らしい経歴となっている。

防衛大学校を卒業した後、初任地は第73戦車連隊(南恵庭)。

恵庭市は札幌の南に位置し、千歳市に隣接する内陸部で、そのまま南に下ると道央自動車道一本で苫小牧港に出られる南北に移動しやすい要衝の街だ。

そのため同連隊の所属戦車は南西方面への転地演習を習熟し、必要に応じて民間フェリーで搬送、危機に駆けつけることも想定した運用がなされており、その練度の高さは我が国の危機に際し、最前線に立つことを常に求められ続けている部隊になっている。

所属も、我が国で唯一の機甲師団である第7師団隷下で、名実ともに戦車乗りの聖地にある部隊であるといえるだろう。

さらに、幹部学校を経て所属になったのが同じ恵庭市の北恵庭に所在する第72戦車連隊でこちらも第7師団隷下の、90式戦車で編成された精鋭部隊だ。

そして連隊長職も、第11普通科連隊という徹底ぶりである。

第11普通科連隊も第7師団隷下の部隊になっており、機甲師団隷下の普通科連隊として我が国で唯一となる完全機械化歩兵連隊を編成している。

すなわち第11普通科連隊は、基本的には普通科でありながら全中隊に配備されている装軌装甲車で機動性を高め、第7師団全体として高い機動力を持ち、危機に際し直ちに最前線に駆けつけられる編成が取られていることを特徴とする。

戦車と歩兵が常に高い機動力をもち随伴して戦闘を行うことにより、職種のメリットを高めあい、デメリットを消し合うことが出来る組み合わせになっており、第7師団を機甲師団と言わしめる所以である。

また、第11普通科連隊はその隷下所属の隊員数が1500名だ。

通常の連隊が800名前後で編成されてことを考えれば、あるいはその規模の大きさを理解してもらえるかもしれない。

また、同じ第7師団隷下で、2017年3月に久しぶりに団編成に復活した第3施設団の定員は1600名である。

もちろん団編成なので団長は陸将補職で、なおかつこの施設団の規模は全国に5つある施設団の中で最大の規模を誇る。

すなわち第11連隊とは我が国で唯一の完全機械化歩兵であり、なおかつ団編成並の規模をもつ極めて特別な普通科連隊であって、その連隊長職も特別なものであるといえるだろう。

機甲科の高級幹部としてぜひとも経験したいポストであり、そのポストを経て第3師団の幕僚長に就任した惠谷には、大きな期待がかけられているといえる。

(なお、連隊長就任当時の写真では頭髪はここまで気の毒ではなかった・・・よほど過酷な連隊長職であったのだろう。。)

その惠谷が第11普通科連隊長の後職として就任したのが滋賀地方協力本部長。

そしてその後職が第3師団の幕僚長であるが、滋賀県は今津駐屯地に饗庭野演習場を有し、第3師団隷下にあって、この方面に所属する機甲科部隊の演習場となっている。

また第3師団は、第1師団とともに政経中枢師団、すなわち政治と経済の中心地を警備区域とする師団に分類されており、その装備は軽装備であって、敵性勢力による都市型攻撃に対応することを主眼としている。

都市型攻撃とはすなわちテロであり、また少数精鋭の部隊による潜伏あるいは強襲攻撃を想定した脅威であって、これに対処するには重武装で強力な火砲ではなく、精鋭部隊による速やかな展開と鎮圧が必要となる。

まさに、生粋の機甲屋でありながら第11普通科連隊で磨いたその機動力をどのように政経中枢師団の中で活かすことが出来るのか。

あるいはその隷下にある機甲科をどのようにして速やかに、脅威に対して投入することが出来るのかを立案・計画し、饗庭野演習場において繰り返しその演習を重ねる上で、惠谷ほどの適任者はいないといえるだろう。

第3師団の幕僚長として、政経中枢師団の在り方を大きく変える可能性のある配置であり、その成果には非常に大きな期待がかかっている。

なお余談だが、滋賀県と言えば内陸部に位置し、日本で数少ない海無し県である。

その為、当たり前だが海上自衛隊の基地はなく、航空自衛隊の基地も饗庭野演習場に隣接する形で饗庭野分屯地を擁するのみで、滑走路などは存在しない。

ちなみにお隣の奈良県も同様に海無し県だが、こちらは更にひどく、日本で唯一陸上自衛隊の駐屯地がなく、もちろん海上自衛隊の基地もなく、航空自衛隊幹部学校の建物と運動場があるだけである。

そんな滋賀県だが、戦前は実は海軍の基地が置かれていた。

なんで内陸部の滋賀県に海軍があるんや・・・と思われるかもしれないが、滋賀県にはもちろん琵琶湖が在り、波も穏やかな上に十分な広さがあることから水上機の訓練に極めて適している非常に魅力的な環境であった。

そのため下阪本地区から際川地区(現在の大津駐屯地所在地)には滋賀海軍航空隊が、別所(大津市役所の所在している地域)には大津陸軍少年飛行兵学校が設置され、それぞれ航空兵の育成を担った。

敗戦後、これら基地にほど近い場所にあり、昭和天皇もお召になったことで知られる琵琶湖ホテルは米軍将校専用宿舎として接収され、これら陸海軍の基地も全て進駐軍の基地となり接収されてしまった歴史を持つが、我が国の主権回復と共に昭和32年11月から33年7月にかけて返還され、その跡地一部に大津駐屯地が編成されることになる。

大阪府出身でありながら、なぜか北海道と陸幕に張り付くキャリアとなった惠谷だが、そんな歴史を持つ滋賀に2015年、滋賀地方協力本部長を任され初めて赴任し、近畿に帰ってきた。

そして2017年8月からは故郷の大阪も警備管轄区域に含む第3師団の幕僚長に就任したわけだが、その思いもまたひとしおであろう。

ちなみに第3師団司令部は兵庫県伊丹市にあるので、懐かしの故郷勤務というわけには今回もいかなかった。

とは言え、伊丹市にある空港は「大阪空港」という名称であるように、その経済圏は完全に大阪であって、大阪府は目と鼻の先だ。

おそらくまたすぐに、陸幕の要職に就任するか、あるいは次は、第7師団か北部方面総監部での要職につき、ますます機甲屋としてのキャリアと見識を積み上げることになるかもしれない惠谷である。

あるいは我が国の安全保障環境の厳しさを考えると、その見識を活かして、平成23年に就任した西部方面隊の防衛課以来となる西部方面隊への配属も考えられるだろうか。

何れにせよ、国防の最前線では常に惠谷の知識と経験を必要している。

今後もさらに、 髪が薄く 忙しくなることだけは間違いないだろう。

◆惠谷昇平(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
3年3月 防衛大学校卒業 (第35期)

3年 第73戦車連隊(南恵庭)
12年 幹部学校付(目黒)
14年 第72戦車連隊(北恵庭)
16年 陸上幕僚監部防衛部運用課(市ヶ谷)
18年 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課(市ヶ谷)
20年 陸上幕僚監部教育訓練部教育訓練計画課(市ヶ谷)
21年 幹部学校付(目黒)
21年 統合幕僚学校付(目黒)
22年 富士学校主任教官(富士)
23年 西部方面総監部防衛部防衛課(健軍)
24年 陸上自衛隊研究本部研究員(朝霞)
25年 第11普通科連隊長(東千歳)
27年 自衛隊滋賀地方協力本部長(滋賀)
29年 第3師団司令部幕僚長

◆姓名判断

人間的な魅力に溢れ、常に援助者の支持を集めることから、政治家として成功する人物に多く見られる相。

行動力があり、また才能にも恵まれることから大きな組織においては責任あるポストを任されることが多い。

基礎運も非常に高く、姓名判断の上では穴がない理想的な配列になっている。

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第3師団公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/cs.html

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする