青木伸一(あおき・しんいち)|第32期・陸上自衛隊

青木伸一は昭和41年3月生まれ、宮崎県出身の陸上自衛官。

防衛大学校32期の卒業で幹候69期、出身職種は普通科だ。

平成27年12月(2015年12月) 西部方面総監部幕僚副長・陸将補

前職は情報本部計画部長であった。

2018年3月現在、西武方面総監部で幕僚副長を務める青木だ。

現職での任期が2年3ヶ月に及ぶため、おそらく2018年3月の人事で異動になることが予想されるが、あるいは3月に実施される陸自大改革に際して、陸上総隊での要職に就くことも予想される。

青木の歩んできたキャリアがまさに、中央即応集団を発展的に廃止させ新編される陸上総隊で、要職を務めるのにふさわしいものであるからだ。

青木は平成24年4月から中央即応集団幕僚副長を務めていたが、その前任は、陸自の中でも異彩と特別な存在感を放つ、特殊作戦群長。

特殊作戦群は、駐屯地祭など各種行事でも目出し帽をかぶって登場し、その所属隊員について、名前も顔も一切公表されていない。

公表されるのは群長のみだ。

その役割や装備なども一切公表されている資料はないが、中央即応集団隷下において特殊作戦を行う部署であることから、少数部隊による潜入工作や後方撹乱、あるいは強襲攻撃や侵入破壊など、あらゆる特殊戦に関する訓練を積んでいるのは間違いないだろう。

なお青木は、この特殊作戦群の3代目群長であったが、初代群長はすでに陸自の伝説にもなっている荒谷卓。

防衛大学校ではなく、東京理大から陸上自衛隊に入隊するものの、その圧倒的な能力で昇任を重ね、遂に陸上自衛隊に特殊作戦群を1から創設することを任された男だ。

そして荒谷は、特殊作戦群を「真に戦える組織」にするため、全国の将官クラスが直接推薦をしたような入群希望者も容赦なく片っ端から落とし、トラブルになることもあった。

また陸幕ともその教育方針で大きく対立する場面があり、本気で特殊作戦群を作りたかった荒谷の思いと、中央の意識には当時大きな乖離が在ったと指摘する元幹部もいる。

その荒谷が目鼻を付けた戦闘集団を継いだのは、2代目の古田清悟(第29期)であり、そして3代目が青木であった。

荒谷のような男が作った組織を引き継ぐのは大きなプレッシャーであったかもしれないが、このポストでもしっかりと結果を残したと言うことであろう。

後職では中央即応集団幕僚副長に着任し、軽武装高機動の部隊を指揮する経験値を次々に積み上げていった。

なお荒谷は、この特殊部隊を創設後、研究本部に異動を命じられると一旦は異動に応じるものの、わずか1年で退官を決め、陸上自衛隊を辞めてしまった。

1等陸佐での退官であり、これからさらに我が国の特殊作戦群を、より重い責任を負う立場で使いこなす役割を嘱望されていただけに、当時関係者には相当な驚きを持って受け止められた。

なお余談だが、陸自の特殊作戦群といえば、その創設に先立つこと3年、2001年創設の海上自衛隊特別警備隊にも少し触れおきたい。

その初代隊長は後に呉地方総監も務めた山口透(第22期)。

一方で、実際に警備隊の組織づくりに7年に渡り携わり、実質的に海上自衛隊の特別警備隊を作ったと言われているのは伊藤祐靖・元2等海佐だ。

伊藤も荒谷と同じ一般大学卒業(日体大)であり、さらに伊藤は一般隊員、2等海士から海上自衛隊のキャリアを始めるという相当変わった経歴を持っている。

そして伊藤も、7年に渡り特別警備隊の創設に関わりながら、その道半ばで異動を命じられたことに怒り狂い、すぐに自衛隊を辞めてしまうという荒谷と同じような行動を取っている。

おそらく特殊戦の世界で生きてきたもの、生きようとしたものには、もはや自衛隊といえでも、通常の部隊勤務が体に馴染まないほどに研ぎ澄まされてしまったということなのだろう。

その後伊藤は、フィリピンのミンダナオ島に渡り相当危ない生活を送り、刺激的な毎日を満喫した後に日本に帰国。

2012年には尖閣諸島に上陸し日章旗を掲げるなど、破天荒な人生を送っている。

ある意味でそのような「特殊な人達」しかできないのが特殊作戦群の創設であったのだと思うが、青木もきっとこの部隊を率いた事は、一般部隊とは違う、相当大きな経験になったのではないだろうか。

そしてその経験を買われ陸将補に昇任し、最初に着任したのが西部方面総監部幕僚副長。

わが国初の「日本版海兵隊」を運用する方面隊であり、水陸両用車を用い、あるいは海上自衛隊の第1輸送隊とも連携しながら、南西方面の島しょ部における有事が発生した際には、一番に殴り込みを行う方面隊において、幕僚副長という要職を務めている。

そして就任早々、2016年2月には隷下部隊300名とともにアメリカ西海岸に渡り、デビッド・コフマン准将率いる海兵隊と共同での島嶼部上陸作戦訓練を実施。

その日本側指揮官として訓練を統率し、水陸両用車に乗り込み、あるいはオスプレイとも協働して戦う戦闘スタイルを繰り返し訓練した。

特殊作戦群長を務めた青木にとって、まさに適任のポストであり、また西部方面総監部幕僚副長の役割であるといえるだろう。

さて最後に、その青木と同期である32期の人事の状況についても見ておきたい。

青木が陸上自衛隊に入隊したのは昭和63年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成19年1月であったので、32期組1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

陸将補に昇ったのが平成27年12月であったので、こちらは同期1選抜から2年4ヶ月の遅れということになる。

そして32期組で2018年3月現在、陸将補にある32期組幹部は以下の通り。

32期組から最初の陸将が選抜されるのは2019年なので、出世頭のエリート名簿ということになる。

梶原直樹(第32期)・統合幕僚監部防衛計画部長(2013年8月)

大塚裕治(第32期)・陸上幕僚監部装備計画部長(2013年8月)

森下泰臣(第32期)・陸上幕僚監部人事教育部長(2013年8月)

堀井泰蔵(第32期相当)・第5旅団長(2013年8月)

中村裕亮(第32期)・陸上自衛隊研究本部幹事兼企画室長(2014年3月)

田尻祐介(第32期)・陸上自衛隊航空学校長兼ねて明野駐屯地司令(2014年8月)

鬼頭健司(第32期相当)・陸上自衛隊幹部候補生学校長(2014年12月)

木口雄司(第32期)・陸上自衛隊開発実験団長(2015年8月)

青木伸一(第32期)・西部方面総監部幕僚副長(2015年12月)

池田頼昭(第32期)・第10師団副師団長兼守山駐屯地司令(2016年3月)

※肩書はいずれも2018年3月現在。( )内は陸将補昇任時期。

※上記以外に、2017年12月に陸将補に昇任した斎藤兼一が32期と思われるものの、詳細不明のため一旦割愛する。

まずは梶原、大塚、森下、堀井が抜け出し、それを中村、田尻、鬼頭が2番手グループで付いている形だ。

青木については、中央即応集団、特殊作戦群、そして離島奪還作戦を担う西部方面総監部での幕僚副長のキャリアを活かし、我が国の国防を中枢で担う、より重い責任を背負っていくことになるだろう。

その活躍からは目が離せず、より一層注目しながら、そして応援していきたい。

本記事は当初2017年9月8日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年3月4日に整理し、改めて公開した。

◆青木伸一(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
63年3月 陸上自衛隊入隊(第32期)

平成
11年1月 3等陸佐
14年7月 2等陸佐
19年1月 1等陸佐
19年8月 幹部学校付
20年8月 中央即応集団付
21年12月 特殊作戦群長
24年4月 中央即応集団幕僚副長
25年4月 陸上幕僚監部総務課庶務室長
27年3月 情報本部計画部長
27年12月 西部方面総監部幕僚副長 陸将補

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省関東防衛局 公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/rdb/s-kanto/20_Second_level/04_event/01-bouei-semina/bouei-semina1.html

防衛省陸上自衛隊 西部方面隊公式Webサイト(顔写真及び集合写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/chinzei/28chinzei/28chinzei.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/kakusyukatudou/koudou/3mef/3mef.htm

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