森脇良尚(もりわき・よしなお)|第31期・陸上自衛隊

森脇良尚は昭和40年1月生まれ、兵庫県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で幹候68期、出身職種は判明しないが、おそらく普通科と思われる。

平成28年12月(2016年12月) 第2師団副師団長兼ねて旭川駐屯地司令・陸将補

前職は陸上自衛隊幹部学校教育部長であった。

2018年4月現在、第2師団副師団長を務める森脇だ。

第2師団は、第7師団とともに機甲科を中心とした戦闘力が充実した北の守りの要であり、北鎮師団とも称される精鋭集団である

その隷下にある第2戦車連隊では、我が国で唯一となる74式戦車、90式戦車、10式戦車の3世代運用がなされており、これら主力戦車を1箇所で見学することができるのは上富良野駐屯地だけになっている(2018年4月現在)。

そのため上富良野駐屯地の記念イベントでは、装備品展示の見学は絶対に外せない人気のコーナーだ。

その精鋭集団・第2師団の副師団長を務める森脇だが、連隊長は第44普通科連隊(福島駐屯地)で経験。

44という数字の響きから44獅子(しし)連隊と呼ばれる、精強で知られる東北の曹士の中でも特に士気と練度の高さで知られる部隊だ。

そして森脇は、ここ福島駐屯地で、生涯忘れ得ぬ大きな任務にあたることになる。

森脇が44普連長に着任したのは平成22年3月。

そして着任から初めてとなる正月を迎えた平成23年1月11日には、正月恒例となる44普連伝統の騎馬戦が行われ、森脇は

「平成23年は挑戦の年と位置づけ、隊員諸君にはより一層の精励精進を期待する」

と激を飛ばす。

あの未曾有の惨劇は、そのちょうど2ヶ月後だった。

2011年3月11日、東日本大震災だ。

森脇が指揮する第44普通科連隊が所在する福島駐屯地は、まさに激甚災害を受けたど真ん中に位置する部隊だ。

福島県や福島市にも混乱が広がり、自衛隊員やその家族にも被害が及ぶ中、森脇はいち早く災派(災害派遣)出動の準備を下令し、被災者たちの救出に向かう。

そしてその際、出動した地域の一つが、すでに爆発を起こし極めて危険な状態に陥っていた福島第1原発付近であり、その中には双葉町や浪江町も含まれていた。

しかし周辺一帯は、すでに津波が破壊し尽くして一面瓦礫の荒野。

全てが破壊され失われてしまった光景に森脇は言葉に尽くせない胸の痛みを感じたことを後日述懐しているが考えている暇はない。

要救助者は森脇以下、助けに来てくれるであろう44普連の精鋭だけが最後の拠り所であると、その到着を待ちわびている。

そのことをよくわかっていた森脇は、隊員たちとともに危険を顧みず、瓦礫を取り除き生存者を探して回った。

さらに初動の救助活動が終わると、次に森脇以下に与えられた任務は、原発30km圏内に居住する住民への個別訪問とその保護だ。

そして周辺一帯の除染活動を行い、避難者が帰還できるための復興作業も長期に渡ったが、放射線測定装置は警報を鳴らしっぱなしという過酷な環境。

それでも森脇は、

「郷土に根付いた部隊として誇りを持って取り組んでいる」

と獅子部隊の精鋭たちを鼓舞し、自らも現場で先頭に立ち続けた。

その危険な活動は1年近くにも及んだが、森脇以下44普連隊員たちの奮闘ぶりは国民の誰もが知るところになっていた。

そして隊員たちが車列をなし任務に、あるいは帰還する時には、住民の多くが手を振り、プラカードをもって

「ありがとう」「おかえりなさい」

と声をかける。

駐屯地からほど近い国道114号線沿いでは、毎日必ず自衛隊を迎えるために立ち続けた小学生の姉弟が、マスコミの話題になった。

その手には、「おかえりなさい」「おつかれさまです」と書かれた、小さな体に似つかわしくない大きなプラカード。

小さな体の子供たちが一生懸命隊員たちに手を振り、応援する様子を見て、どれだけ多くの自衛隊員たちが勇気づけられただろう。

被災し傷ついた小さな子供たちもまた、自衛隊に声援を送り一緒に戦っていたのかと思うと、自分たちにももっとできることはないのかと、福島の復興を思わずにはいられない。

なおこの際、44普連には、歌手の長渕剛氏がその活躍をたたえ、2011年4月16日に慰問コンサートに訪れている。

そして、

「日本中が絶望に沈み、もうだめだと思ってる時、自衛隊の皆が立ち上がってくれた。自衛隊の勇姿がこの国を救ってくれた。隊員の皆さんは日本の誇り、僕の誇りです!」と絶叫すると隊員たちのボルテージは最高潮に。

そして涙する隊員たちもいる中で、肩を組み長渕とともに「とんぼ」や「乾杯」を熱唱。

大いに士気を上げることになったが、隊員たちは、「自分のできる限界が、さらに伸びる勇気をもらった」と話し、福島の復興に全力を尽くすことを誓った。

森脇自身も「長渕さんの手は温かかった。これを機にさらに頑張れる」と感激しながら話し、思わぬサプライズ慰問は隊員たちに大きな勇気を与えてくれる出来事になった。

東日本震災は確かに未曾有の国難であり、今もなおその傷は癒えたとは言えない。

その一方で、この国には自衛隊という誇らしい防人たちがいることを、最後の砦である自衛隊員たちはこれほどまでに精強であり強い武人であることを、私達国民に教えてくれる出来事になったことは間違いないだろう。

その事実から、私達国民が貰った勇気はとても大きい。

さて次に、その森脇と同期である31期組の動向について見てみたい。

森脇が陸上自衛隊に入隊したのは昭和62年3月。

1等陸佐に昇ったのが平成18年1月なので、31期組1選抜のスピード出世だ。

陸将補に昇ったのは28年12月だったので、こちらは同期1選抜に比べ4年余り後と言うことになるが、その分豊富な現場経験を積んだ上での、頼もしい陸将補昇任であった。

なお31期組は、2018年夏の将官人事で最初の陸将補が選抜される年次にあたる。

そのため陸将補が出世頭ということになるが、2018年4月現在で陸将補にある31期組は以下の通りだ。

沖邑佳彦(第31期)・陸上幕僚監部運用支援・訓練部長(2012年7月)

竹本竜司(第31期)・第11旅団長(2012年7月)

前田忠男(第31期)・陸上幕僚監部防衛部長(2012年7月)

原田智総(第31期)・第15旅団長(2012年7月)

蛭川利幸(第31期)・中部方面総監部幕僚長兼ねて伊丹駐屯地司令(2013年3月)

中野義久(第31期)・東部方面総監部幕僚長兼ねて朝霞駐屯地司令(2013年8月)

亀山慎二(第31期)・中央情報隊長兼ねて陸上総隊司令部情報部長(2013年12月)

小和瀬一(第31期相当)・第14旅団長(2014年3月)

藤岡登志樹(第31期)・陸上自衛隊富士学校副校長(2014年8月)

眞弓康次(第31期)・陸上自衛隊武器学校長兼土浦駐屯地司令(2015年2月)

片岡義博(第31期)・第1特科団長兼ねて北千歳駐屯地指令(2015年7月)

吉野俊二(第31期)・陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令(2015年12月)

森脇良尚(第31期)・第2師団副師団長(2016年12月)

鵜居正行(第31期)・防衛装備庁プロジェクト管理部プロジェクト管理総括官(2017年3月)

野村悟(第31期)・陸上総隊司令部日米共同部長(2017年3月)

※肩書はいずれも2018年4月現在。( )は陸将補昇任時期。

※2018年3月の人事で将補に昇任した幹部の期別は未確認のため、追記する可能性あり。

上記のような状況であり、まずは沖邑、竹本、前田、原田の4名を中心に、31期組の最高幹部人事は進んでいくことになるだろう。

2018年夏の将官人事では、この4名がそのまま31期組最初の陸将に選抜されることになるのでは無いだろうか。

森脇については、2016年12月の将補昇任なので当面の間、陸将補として責任あるポストを歴任していくことになるはずだ。

いずれにせよ、森脇を含め2020年代前半にかけて、我が国の平和と安全に対し、大きな責任を背負っていく世代である。

その活躍には注目し、そして応援していきたい。

本記事は当初2017年9月25日に公開していたが、加筆修正が重なったので2018年4月17日に整理し、改めて公開した。

◆森脇良尚(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
62年3月 陸上自衛隊入隊

平成
10年1月 3等陸佐
13年7月 2等陸佐
18年1月 陸上自衛隊幹部学校付 1等陸佐
18年8月 陸上自衛隊幹部学校教官
20年4月 陸上幕僚監部防衛課編成班長
22年3月 第44普通科連隊長
24年8月 第6師団幕僚長
26年8月 陸上自衛隊幹部学校教育部長
28年12月 第2師団副師団長 陸将補

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 福島駐屯地公式Webサイト(訓練写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/unit_hp/fukushima_hp/h24news.html

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