星野浩幸|第31期・陸上自衛隊

星野浩幸は昭和39年5月14日生まれ、三重県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第31期卒業で幹候68期、職種は野戦特科だ。

平成29年3月(2017年3月) 自衛隊長野地方協力本部長・1等陸佐

前職は第5特科隊長であった。

戦闘団のトップと違い、地本長にある自衛官は執務室をわかりやすく公開してくれている事が多いが、星野もまたなかなかオープンな写真を公開してくれている。

ものものしく錠前で固定されたPCはお役所独特のものだが、連隊トップ以上になると、執務机のPCとは別に、作業用?のPCのようなものが置かれていることが多いようだ。

1台はインターネットに繋がっており、もう1台は自衛隊内部のネット接続用なのだろうか。

職業柄仕方がないこととはいえ、非常に面倒くさそうである。

さて、陸上自衛隊入隊以来、野戦特科でキャリアを積み上げてきた星野が2017年10月現在で補職されているのは長野地方協力本部長。

平成22年7月から務めた自衛隊愛知地方協力本部以来、2度目の地本業務だ。

地方協力本部長は自衛隊と民間を結ぶ「窓口」であり、自衛隊に入隊する若者にとっては「入り口」でもあり、そして自衛隊を退役する幹部曹士にとっては「出口」の役割を果たす。

なおこの説明は、長野地方協力本部の公式Webサイトで、星野が書いている紹介文の受け売りである。

わかりやすいので、そのまま使わせてもらった。

地方協力本部に複数回補職される高級幹部はたまに見掛けるが、恐らく1回目の業務で相当優秀な成績をおさめたのであろう。

自衛官にとっては「営業」を伴うような不慣れな業務だが、それすらも器用にこなすというのはやはり自衛隊にとっては稀少であり、得難い人材であるということになりそうだ。

そして星野も、その一人である。

なお、その星野の本職は野戦特科であるが、陸上自衛隊に入隊し最初に配属になったのは第125特科大隊。

今で言う第1地対艦ミサイル連隊だが、その後、正式に第1地対艦ミサイル連隊に編成替えとなった後を含め8年間、初級幹部としての基礎を地対艦ミサイル連隊で着実に積み上げた。

しかしながら、その後、今からは想像がつかないことであるが、地対艦ミサイル連隊はその必要性が急速に失われたかのように解釈され、存在感を失った時代が続く。

なお、地対艦ミサイル連隊は文字通り、地上に配備され我が国に害をなそうと近づこうとする敵性艦船に攻撃を仕掛けようとするものだが、海上自衛隊の護衛艦や航空自衛隊の攻撃機と違い、そのユニットコストは極めて安価であり、なおかつ予算と兵站が続く限り、いくらでも撃つことができる。

さらに敵に捕捉される恐れが低く、陣地転換しながら撃ち続ければどのような手段を使っても無力化される恐れが少ないことから、「専守防衛」で戦わざるを得ない我が国にとっては、切り札ともなり得る兵科だ。

これまでは、ソ連の侵攻を阻止する目的で北部方面隊隷下に集中配備されていたが、12式地対艦ミサイルの開発と併せ、石垣島及び宮古島に陸自の駐屯地が設置されることにより、これら地域への戦力シフトが進んでいくことになっている。

これはいうまでもなく尖閣諸島を始めとした島嶼部防衛の切り札だが、別の側面として、沖縄本島及び南西方面の島嶼部に地対艦ミサイル連隊を置くことで、いわゆる「第1列島線」の内側に、中国を封じ込めてしまうことが可能になるという意味合いも極めて大きい。

第1列島線とは、我が国の鹿児島から沖縄本島を始めとした島嶼部を結び、またその延長で南に延びる線であり、中国はこの「目障りな防衛ライン」を無力化することを長期の国策として掲げているが、12式地対艦ミサイル連隊がこれら島嶼部に配備されることにより、我が国はこの海域に「制海権」といっても良い盤石の守りを築くことが可能だ。

だからこそ、中国を利することで利益がある、極めて特殊な一部の「市民団体」は自衛隊の沖縄基地新設と、地対艦ミサイル連隊及び高射特科隊の配備に反対しているわけだが、逆に言うとこの施策は本当に都合が悪いということなのだろう。

陸上自衛隊には是非、慎重の上にも着実に、計画を進めて欲しい。

ただその上で一つ心配になるのは、地対艦ミサイル連隊に関わる幹部曹士のキャリア及び人数不足だ。

星野の場合も例外ではなく、入隊以来、地対艦ミサイル連隊でキャリアを積んだにも関わらず、大隊長経験は真駒内の第133特科大隊長である。

平成16年(2004年)3月からのことだが、実はこの時期が、先述したように、地対艦ミサイル連隊が過大であると見做され、6個あるミサイル連隊を3個まで半減させることが決定された時期に当たる。

2005年に策定された中期防(中期防衛力整備計画)の中に明記されている事項であり、あるいはこの影響であったのだろう、星野が着任したのも上記のように第133特科大隊であり、第133特科大隊が運用するのは榴弾により面制圧を行うことを目的としたMLRS(多連装ロケット弾システム)。

MLRSは直接照準で敵を制圧する武器ではないので、或いはこの時期、地対艦ミサイル連隊をキャリアとしてきた幹部曹士の多くが、別の部隊へ職種変換を余儀なくされたのであろう。

(なお2017年現在では、MLRSは洋上に在る上陸部隊を広く制圧する運用が実用段階に入っているものの、話が拡散するのでそれは別稿に譲る)

そして、実際に廃止されてしまった第6地対艦ミサイル連隊でキャリアを積んでいた多くの曹士は、同じ宇都宮駐屯地内に所在した中央即応連隊や、近隣の普通科に職種転換の上で配置換えとなっている事実がある。

このように2000年代に入ってからの5~10年間は、地対艦ミサイル連隊にとって冬の時代が続いたのだが、もっとも懸念されるのは、繰り返しになるが練度が高いその幹部曹士の絶対数の不足であろう。

幹部にも、地対艦ミサイル連隊でキャリアを積み上げたにも関わらず、連隊長(相当職)経験はFH-70などを運用する部隊で経験したものが多い。

地対艦ミサイル連隊の重要性と有効性が高まったからといって、「失われた10年」の間に減ってしまった、経験豊かな幹部曹士をまた簡単に養成することは困難であり、この失策は我が国の安全保障政策上で、近年最大の失敗の一つとなった可能性が高い。

政治主導で行われたのか、或いは財務省主導で行われたのかは分からないが、参考までに2005年の中期防で地対艦ミサイル連隊の半減を決定した際の総理大臣は小泉純一郎。

2001年から2006年まで総理を務めているので、この政策は小泉政権下で為されたといって良い。

ちなみに、2005年の中期防が発表された時期に防衛庁長官を務めていたのは、元大蔵官僚の大野功統であり、在任期間は2004年5月から2005年10月31日。

さらにその前任が石破茂であり、2002年9月から2004年9月である。

地対艦ミサイル連隊が過大な戦力であり、不要であるという政治判断をしたのは、どうやらこの3人であると言うことになりそうだ。

後知恵で恐縮だが、この政策の転換により、中国人民解放軍が南西方面の島嶼部で自由度を高めたことは、疑いようがない。

そして今はさらに政策転換が行われ、地対艦ミサイル連隊の拡充が急がれている状態だが、このような時期にあたり、星野を始めとした、地対艦ミサイル連隊でキャリアを積んだエキスパートの知見は極めて重要になる。

ぜひ星野には、現場を知り尽くすベテラン1佐として、さらに野戦特科の充実と後進の指導に力を発揮してもらうことを期待したい。

そして一人でも多くの国民が防衛政策に関心を持ち、予算を削減するべきもの、予算を削減してはならないものを見極めて、防衛政策にも声を上げることが重要になっていくだろう。

◆星野浩幸(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
62年3月 陸上自衛隊入隊(第31期)
62年10月 第125特科大隊(北千歳)

平成
4年3月 第1地隊艦ミサイル連隊(北千歳)
7年8月 富士学校特科部(富士)
9年8月 幹部学校(目黒)
11年8月 防衛大学校訓練部(横須賀)
13年8月 陸上幕僚監部(市ヶ谷)
16年3月 第133特科大隊長(真駒内)
18年3月 中央情報隊準備隊(市ヶ谷)
19年3月 情報処理隊副隊長(市ヶ谷)
20年3月 西部方面総監部防衛部(健軍)
22年7月 自衛隊愛知地方協力本部(名古屋)
24年8月 東北方面総監部総務部(仙台)
26年8月 第5特科隊長(帯広)
29年3月 自衛隊長野地方協力本部長

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省 長野地方協力本部公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/pco/nagano/nagano/pcoco.html

防衛省陸上自衛隊 第1特科団公式Webサイト(第1地対艦ミサイル連隊写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/1ab/topic/topiccontent/topic254161ssmsengi/topic254161ssmsengi.html

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする