二川達也(ふたかわ・たつや)|第32期・海上自衛隊

二川達也は昭和40年11月生まれ、神奈川県出身の海上自衛官。

防衛大学校第32期の卒業で幹候39期、出身職種はTACCO(戦術航空士だ)。

平成29年3月(2017年3月) 第31航空群司令・海将補

前職は海上自衛隊幹部学校副校長であった。

海上自衛隊入隊以来、一貫して空に在り続けた海の番人である。

P-3C哨戒機のTACCOとして我が国近海の平和と安全を守り続け、そして将官に昇ってからは航空群司令を歴任していることはもちろん、幹部学校の副校長を務めるなど、後進の指導育成にも当たる。

その出世は極めて早く、1等海佐に昇ったのが平成19年1月。

海上自衛隊の入隊が昭和63年3月なので第32期1選抜(1番乗り)での1等海佐昇進だ。

また海将補に昇ったのも平成25年8月であり、1等海佐に昇って6年での昇進であることから、こちらも現在の将官昇任制度では最短での出世ということになる。

2017年10月現在で32期のトップを走っており、将来の海上幕僚長候補の一人であると言えるだろう。

なお、32期組は2017年10月現在では、まだ海将を誕生させる年次に達していないため、最高階級は海将補ということになるが、その海将補には以下のものがあり、二川とともに切磋琢磨している。

伊藤弘(第32期)・内閣審議官(国家安全保障局担当)

小座間善隆(第32期相当)・潜水艦隊司令部幕僚長

梶元大介(第32期)・第3護衛隊群司令

柴田弘(第32期相当)・防衛装備庁長官官房艦船設計官

白根勉(第32期)・ 海上幕僚監部総務部副部長

二川達也(第32期)・第31航空群司令

中村敏弘(第32期)・第1航空群司令

それぞれが海将補に昇った時期を見てみると、

25年8月・・・伊藤、二川

26年12月・・・白根

27年3月・・・小座間

27年8月・・・柴田

28年12月・・・梶元

29年8月・・・中村

という事になっており、あくまでも2017年10月現在の状況だが、伊藤と二川が32期組の出世レースで大きなアドバンテージを取っていることになる。

あるいはこのどちらかが、6~9年後くらいの海上幕僚長に就任していることがあるかもしれないという状況であり、二川はその一方のスーパーエリートである。

さて、その二川であるが、第4航空群司令を務めていた40代後半頃は非常に若々しく、まるで30代の若き幹部のような見た目だったのだが、なぜかこの写真、幹部学校副校長時代の写真は、年齢相応に見えるようになってしまった。

あるいは海将補という激務は、それほどまでに人の心身をやせ細らせるものなのかもしれないが、エリートであるものは仕方がない。

その副校長職もわずか8ヶ月で異動になり、第31航空群司令に着任している。

なおこの際、同様に第31航空群司令に着任して僅か3ヶ月の畠野俊一(第28期)と交代という、不自然な形での両者の異動になっているのだが、詳細は畠野のページで触れているのでここでは割愛したい。

それにしても、自衛官まで狙い撃ちにするとは、なかなかにゲスい週刊誌があったものである。

狙われるような事実があったとすれば、それはそれで困ったものなのだが・・・。

さて、そのスーパーエリートである二川が2017年10月現在で補職されているのは第31航空群司令だが、この航空群はP-3C派生型であるEP-3やUP-3Dといった電子戦に投入される固定翼機を運用していることで知られている。

また、我が国が世界に誇る飛行艇・US-2を運用する71飛行隊も隷下に収めているので、あるいはそちらの方でこの名を聞いたことがある人も多いかもしれない。

なお71飛行隊のUS-2は、辛坊治郎氏が盲目のヨットマン、岩本光弘氏とともに太平洋横断航海中に遭難した際に、4mを越える大荒れの外洋に着水を成功させ、2人を救出することに成功した部隊である。

こちらもまた、救難飛行隊のスーパーエリートであり、精鋭中の精鋭部隊だ。

性能限界の大荒れの海に着水を成功させ、要救助者2名を救出するその心身の強さ、鉄の心と鋼の肉体はまさに自衛隊のみならず、我が国にとっての宝だ。

この部隊を指揮する二川にとっても、非常に印象に残る、栄誉ある任務になるのではないだろうか。

辛坊治郎氏の言葉を借りれば、

「日本に自衛隊があってよかった、この国の国民でよかった」

とまで言わせるほどの、強く、そして心優しい防人たちが日夜、二川とともに任務に励んでいる。

なお辛坊が救助された際、帰路US-2の機内で、

「名前だけでも教えてくれないか」

と、自分たちを救助してくれた救難員に訪ねたそうだが、

「名前は教えられませんが、代わりにこれをお持ち下さい」

といって、71飛行隊のワッペンを渡されたそうである。

今時、去り際にこんなベタなカッコイイことをする正義のヒーローは子供向けアニメにも登場しねーぞ!と、ツッコミを入れたくなるほどだが、カッコよすぎて言葉にならない。

そして辛抱は、救助後に行われた記者会見の最中、そのワッペンを大事そうに、そしてしっかり握りしめていた。

職務に誠実に向き合い、本気で生きている防人たちを率いることができるのは、同様に職務に誠実に向き合い、本気で生きている指揮官だけである。

そして二川がこのポストに補職されたのも、まさにそういうことなのであろう。

将来、海上自衛隊を率いることになるかもしれない二川の活躍を、今後も注目して追っていきたい。

◆二川達也(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
63年3月 海上自衛隊入隊(第32期)

平成
11年1月 3等海佐
14年7月 2等海佐
19年1月 1等海佐
20年8月 海上幕僚監部防衛課業務計画班長
22年7月 第2航空隊副司令
22年12月 第2航空隊司令
24年4月 海上幕僚監部総務課総務調整官
24年8月 海上幕僚監部総務課長
25年8月 大湊地方総監部幕僚長 海将補
26年8月 第4航空群司令
28年7月 海上自衛隊幹部学校副校長
29年3月 第31航空群司令

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 第4航空群公式facebook(離任式写真)

https://www.facebook.com/jmsdf.4aw.pao/

防衛省海上自衛隊 幹部学校公式Webサイト(レセプション写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/seminars/28apncs/28apncs01.html

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