加治屋裕一(かじや・ゆういち)|第29期・陸上自衛隊

加治屋裕一は鹿児島県出身の陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業(機械)で幹候66期、職種は輸送科だ。

生年月日については判別しないが、29期組であれば昭和37年(度)の生まれであると思われる。

平成28年12月(2016年12月) 北部方面後方支援隊長・1等陸佐

前職は東北方面総監部装備部長であった。

さて加治屋は、自衛隊とはこのような凄い仕事師によって支えられているという、お手本のような高級幹部である。

輸送科のエキスパートであり、自衛隊にとって必要なあらゆる機材や物資をどこにでも完璧に運び、あるいは撤収させてきたプロ中のプロだ。

一般に輸送科といえば、

「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々蜻蛉(とんぼ)も鳥のうち」

と揶揄されたように、日本陸軍では軽視された部門であり、実際に兵站は軽視され、この部門に配属となった幹部はほとんど出世できないという散々な扱いをされた歴史がある。

その結果が日本陸軍の兵站の途絶であり、それがどのような悲惨な結果をもたらしたか、今ここで触れると議論が拡散するので割愛するが、おそらく皆さんもご存知のとおりだ。

あるいはその反省からなのであろうか、陸上自衛隊における輸送科の仕事ぶりは完璧であり、その幹部曹士の練度・士気は非常に高い。

先の東日本大震災においても、あれほど大混乱する現場において、力を発揮したのは加治屋であった。

震災当日、すでに都道府県や市町村の防災機能は完全崩壊していることを悟った政府は、直ちに自衛隊に対応を要請。

当時の北沢防衛相に集められた統合・陸・海・空の各幕僚長は、被災地に対しての人命救助活動はもちろん、必要な物資の輸送にも着手するよう命令を受けるが、このような事態は想定を越えるような困難な事態だ。

大臣・各幕僚長は効果的な方法を試行錯誤していたが、この時の加治屋が補職されていたポストは統合幕僚監部首席後方補給官付後方補給官。

あの大震災の混乱する現場にあって、輸送のプロ中のプロである加治屋が統幕に居たことが、まさに不幸中の幸いであったといえるだろう。

この時加治屋は一つの輸送案を具申し、その案は直ちに実行に移された。

詳細については割愛するが、全国の都道府県や企業から集められた必要な物資をまず陸上自衛隊の駐屯地をハブにして、集積する。

そして大きなハブを拠点にして小さなハブに輸送し、末端にまで行き渡らせようとするものだ。

ヤマト運輸などの輸送会社では当たり前にやっていることであると言えるかもしれないが、混乱する現場の中で、ハブとして機能させることができる数少ない拠点が陸自の駐屯地であること、そしてどの基地にどのような手段で運搬するのか、と言った効果的な方法の立案は、正に仕事師の領域である。

加治屋は各地の駐屯地や自治体と連絡を取り合い、そして迅速に、物流網が完全に崩壊した混乱する現場においてその再構築に成功し、多くの人々の命を救うことに貢献した。

極寒の現場で厳しい人命救助にあたっていた幹部曹士も、間違いなく私達国民にとってのヒーロでありヒロインであったが、一方でまた、こんな目立たない所にも後方支援で大活躍した幹部曹士が居たことを、どうか記憶に留めて欲しい。

さてそんな加治屋だが、そのキャリアは特筆するものだらけだが、中でももっともすごい仕事をしたのは、平成18年6月、イラク後送業務隊長をやり遂げたことであろう。

これも一般国民にはまず知られていない仕事なのだが、我が国がイラク復興業務に自衛隊を派遣し、その仕事を完璧にやり遂げ自衛隊が撤収するタイミングで、実は加治屋隊長以下100名の後送業務隊がイラクに渡っている。

防衛大臣から隊旗を授与された正式な部隊であり、加治屋はその隊長に任命されたわけだが、何をする仕事なのか。

それは自衛隊がイラクで活動するために持ち込んだ機材や施設、設備といったものを全て取りまとめ、日本に持ち帰るという仕事である。

しかも、ただカーゴに積んで持ち帰るだけではない。

目録に従い棚卸しをし、その状況を記録にとどめ、損耗具合や再利用の可否といった状態チェックまで行う。

なぜなら、海外で自衛隊が活動する際にどれくらいの資材が必要になって、そして損耗し、あるいは廃棄する必要があるのか。

その全ての情報が自衛隊の資産になり、今後の活動において非常に大きな役に立つからだ。

自衛隊がすべて引き上げ我が国では「自衛隊が撤収」というニュースが流れている頃、加治屋以下100名の幹部曹士が入れ替わりでイラクに渡り、殿(しんがり)の重要な任務にあたっていたこと。

もちろん殿なので、生命の危険や作業環境の悪さはこれ以上はない状況だが、その中で士気を保ち見事に仕事をやり終えたこと。

こんな誇らしい部隊が自衛隊にいたことを、どうか一般国民には広く認知してもらいたいと願う。

なお上記の写真は当時、外務大臣を務めていた麻生太郎に撤収状況の説明を行う、当時2等陸佐の望月浩之(もちづき・ひろゆき)である。

思わず心を許してしまいそうになる、えびす顔をした加治屋だが、これほどまでの仕事師であり、我が国の平和と安全の根幹に関わるところで仕事をしている。

なお加治屋はその後、2011年には南スーダンに自衛隊を派遣するに際し、調査団を率いて現地に渡り、部隊の設営や兵站ルートの確保と言った極めて重要な調査を行う重責も担った。

そしてこの時も、南スーダンで自衛隊が活動する上で不可欠となるグランドデザインを描くことで、我が国のみならず、世界平和に対して、極めて大きな役割を果たした。

誰にも気が付かれていないところでまた、非常に大きな仕事をやり遂げている。

これほどまでに大きな成果を挙げ続けてきた加治屋だ。

防衛省の人事記録の保管期限7年を過ぎ、すでに人事異動の記録を見ることができないのではっきりとはわからないのだが、おそらくそのキャリアを見ると、平成16年8月の陸上幕僚監部装備部輸送課総括班長に補職されたタイミングで1等陸佐に昇進したのではないだろうか。

となれば、2017年10月現在で、既に13年間を1等陸佐で過ごしていることになる。

なぜこれほどまでに重責を任され、なおかつ成果を挙げ続けた加治屋が未だに陸将補に昇進しないのか、非常に不思議な気がするのだが、あるいは現場で大きな仕事を任されることで成果を上げ続ける人材であると判断されているのかもしれない。

だが恐らく、北部方面後方支援隊長の仕事をやり終えたら後職では、おそらく陸将補に昇ることになるのではないだろうか。

どんな仕事でもこなしそうだが、あるいはそのポストは、陸上自衛隊輸送学校長あたりがもっとも適任であり、加治屋の知見が後進へと受け継がれ、非常に素晴らしい仕事をしてくれそうである。

自衛隊にはこんな仕事師がいることを、どうか一人でも多くの人に知ってほしい。

加治屋祐一・1等陸佐である。

◆加治屋裕一(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 入隊
61年3月 第12輸送隊(相馬原)

平成
3年3月 第12後方支援連隊輸送隊(相馬原)
4年8月 幹部学校(CGS38期)(目黒)
6年8月 中央輸送業務隊(横浜)
8年3月 霞ヶ浦駐屯地業務隊付(霞ヶ浦)
9年3月 陸上幕僚監部人事部人事計画課(檜町)
12年3月 第11後方支援連隊輸送隊長(真駒内)
13年8月 陸上幕僚監部人事部人事計画課(市ヶ谷)
15年8月 幹部学校付(統幕43期一般課程)(目黒)
16年8月 陸上幕僚監部装備部輸送課総括班長(市ヶ谷)
18年3月 陸上幕僚監部装備部装備計画課輸送室(市ヶ谷)
18年6月 イラク後送業務隊長(座間)
18年10月 東部方面総監部防衛部付(朝霞)
19年3月 中央即応集団司令部後方補給部長(朝霞)
20年8月 陸上幕僚監部装備部装備計画課輸送室長(市ヶ谷)
22年12月 統合幕僚監部首席後方補給官付後方補給官(市ヶ谷)
24年7月 中央輸送業務隊長(横浜)
26年12月 東北方面総監部装備部長(仙台)
28年12月 北部方面後方支援隊長(第10代)(島松)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 北部方面後方支援隊公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/7d/naloghp/co/kajiyataichoukeireki.html

防衛省 防衛白書2017公式Webサイト(イラク後送業務隊写真)

http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2007/2007/html/j33c3000.html

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