徳永亘(とくなが・わたる)|ある元幹部自衛官の中途退職と再就職

まずは、いつも通りの書き出しで、各位の敬称は省略で始めたい。

徳永亘(とくなが・わたる)は昭和49年8月生まれ、新潟県出身の元陸上自衛官。

防衛大学校第43期の卒業(電子工学)で幹候80期、出身職種は施設科だ。

今回のコラムでご紹介したい元幹部自衛官であり、退職時の階級は3等陸佐である。

当サイトでご紹介している自衛官では、

古田桂子(第43期)・第53警戒隊長兼宮古島分屯基地司令

國近和生(第43期)・第18高射隊長兼知念分屯基地司令

(共に2等陸佐、肩書は2017年10月現在)

と同期ということになる。

徳永が陸上自衛隊に入隊したのは1999年。

幹部候補生学校を卒業し最初に配属になったのは第4施設群であり、その後は第5施設群や地理情報隊、研究本部などで指揮を執った。

理系と研究者気質の素養を活かし、主に施設系の職種でキャリアを積み、我が国の安全保障と国防に貢献する20代から30代半ばまでの、人生の時間を過ごす。

実は、その徳永と私が知り合ったのは、全くの偶然だ。

このサイトについてでお知らせしている通り、私は防衛省の非常勤嘱託職員である元防衛モニターであり、現在は地方の防衛協会で賛助会員の末席に名を連ねさせて頂いていることもあり、幹部自衛官の方とお話させて頂く機会にも恵まれてきた。

しかし、徳永と知り合ったのはこのような会合ではなく、全くの偶然だったのだが、元幹部自衛官であると話してくれた徳永と意気投合し、また現在は第二の人生を歩んでいるということで、ぜひこのサイトで紹介させて欲しいと申し入れ、このような記事にさせて頂いてる。

防衛大学校を卒業し、エリート自衛官としてのキャリアを歩み始めた徳永が、3佐まで昇りながら自衛隊を退職したのは2012年。

自衛隊在職中に挫折を経験し、自衛官としての限界を悟った上での中途退職であった。

はっきりとは語らなかったが、話の節々から、精神的にも相当疲弊していた当時の様子が垣間見える。

まさに、心身ともに限界まで追い込まれる、幹部自衛官人生の一つの真実を思い知らされるようだ。

とはいえ、現実問題としてメシを食えなければ人は生きていけない。

よくもそのご時世に、こんな思い切った退職ができたもんだと半ば呆れながら徳永の話に耳を傾けていたが、さらに悪い事にこの時期、令夫人が体を壊し、入院するようなこともあったそうだ。

そんな中、徳永はJR東日本の役員で、基幹となる支社の支社長を務めているある幹部と運命的な出会いを果たし、理系魂をくすぐられ、同社に入社。

「私にとっては師団長のようなものであり、オヤジのようなものであり、足を向けて寝られない人です」

と語る徳永の話しぶりからは、JRと同様に、今も自衛隊に対し、変わらぬ誇りを持っていることが窺える。

背筋を伸ばし、眼力を蓄えているその話しぶりは、まさに元幹部自衛官だ。

自衛隊で10年以上メシを食ってきた人間は、やはり伊達じゃない。

そして自衛隊退役後、このJR東日本という活躍の場を得た徳永は、同社で技術系の専門家として力を発揮している。

形は違えど、国民の生命と財産を守る仕事に従事することでやりがいを感じている姿は自衛官当時のままであり、今の仕事に対し強い誇りを感じているようであった。

特に、平成26年2月に川崎駅で発生した、京浜東北線と工事用車両の衝突事故を受け、衝突防止システムの開発を任された仕事はよほどやり甲斐を喚起されたのであろう。

「システムはこうあるべきだ」と、当時のことを熱心に語ってくれたのが印象的であった。

その話しぶりからは、やり手研究者の情熱と、漲るような仕事へのやる気が溢れている。

そして折に付け、

・同期を今でも誇りに思っていること

・防衛大学校の卒業生という肩書を汚すわけには行かないので、必死に仕事に取り組んでいること

・元自衛官という人間が有能であることを、自分を通して証明したいこと

が、仕事のモチベーションであることを繰り返し語ってくれたことが印象的であった。

私はこれほどまでに、既に辞めてしまった組織を誇りに思い、その名誉を重んじる者を他に知らない。

大概、サラリーマンなどは、辞めた会社には後ろ足で砂をかけて、不幸になることを願うものである。

このあたりはさすがに、退役したとは言え元幹部自衛官という矜持であり、その美学を強く感じさせられた。

話の節々からは、現役時代には決して楽しいことばかりではなかった様子も感じられたが、その詳細は決して語らない。

ただ自分の弱さと向き合い、こうあるべきという人生の選択肢の結果、今があると、快活に笑って聞かせてくれた。

以上が、私が偶然知り合うことができた徳永という男の自衛官生活であり、退役後の人生だが、このコラムでは、ただその人生を紹介したかったわけではない。

道半ばで退役した、幹部自衛官のその後の人生について考えてみたい、という話だ。

一般に自衛官は、陸士・海士・空士といった任期付自衛官は、その任期を終えるか、あるいは定年を迎えれば、第二の人生を求め仕事を探すことになる。

陸曹・海曹・空曹といった、下士官と呼ばれる自衛官であっても、50代前半で自衛隊をお役御免になり、再就職先を探す必要があるのが現実だ。

そして幹部自衛官であっても、仮に定年まで勤め上げたとしてもやはり50代半ばで再就職先を探さなければならず、そして2017年現在では、1佐まで昇った自衛官でも再就職には苦労する現実があると聞く。

とはいえ、これら自衛官はまだ援護センターの支援を受けられる分、気持ちは楽であるかもしれない。

しかし、中途で道を諦めた幹部自衛官はそうは行かないだろう。

あくまでも中途退職なので、自衛隊からの斡旋を受けられるわけもなく、辞め方によっては裏切り者と思われるかもしれない。

これが軍事組織の、ある意味での冷たい現実だ。

その上でだが、私は徳永を通じ、自衛隊の在り方を少し考えさせられた。

それは、中途退職する幹部自衛官に対する救済というものがあっても良いのではないだろうか、という考え方だ。

私は小さいながらも会社を経営しているが、会社を経営していて一番困るのは、「出来るフリをする人間」である。

出来ると言いながらできない人間は、最初からできないと申告する者よりも組織にとって遥かに害が深い。

むしろ最初から、できないと申告してくれる人間は、その適性に応じた配置を考え、また出来ることとできないことを意思疎通してくれるので戦力として非常にあてになる。

海上自衛隊に特別警備隊を創設したことで知られる元2等海佐の伊藤祐靖氏は、その著書「国のために死ねるか」で繰り返し書いていることだが、訓練を途中で諦め、エリミネート(落第)を申告した隊員を、最大限の敬意で原隊復帰させたそうだ。

もちろん、当の本人は屈辱であったかもしれない。

周囲も、エリミネートした事実を知っているので、なかなか厳しいその後の自衛官生活が待っていることだろう。

しかし、自らの弱さを認め、自分の存在が組織の足かせになり弱さになると申告する隊員の強さというものは、ある意味で、戦い抜ける自衛官よりも非情な覚悟が必要になる。

戦い抜き、最後まで試練を耐え抜く自衛官の強さと誇りがどれだけ素晴らしいものであるのかは、論をまたない。

しかし、それと同等に、自らの弱さを認め、組織のために名誉を放棄し、能力の足りなさを申告できる自衛官というものは、称賛して然るべきだ。

これは自衛隊に限らず一般企業でも言えることだが、そうしない限り、「出来るフリ」をし、また能力の無さを申告せずに要職にしがみつこうとするものが後を絶たないからだ。

このようにして組織は崩壊し、会社はその機能を失う。

伊藤祐靖氏は、我が国で初めてとなる特殊部隊を創設するという重責を担ったので、このような価値観を大事にしたのであろう。

極めて困難な任務を背負う特殊部隊では、「出来るフリ」をする人間の存在は、直ちに組織の全滅を意味する。

お互いに体を預け合い、命を預け合い、意思疎通をし続ける必要のある軍事組織では、できることとできないことを、お互いが把握し合う必要がある。

その意味では、幹部自衛官と言えども時には自ら下番し、また能力の足りなさを自ら申告する仕組みと、その申告を評価する仕組みがあっても良いのではないだろうか。

私が知り合った徳永という元3等陸佐の男は、その詳細について多くを語らなかったが、ただ、

「私の能力が足りなかっただけです」

と繰り返し語り、そして誇りがあるからこそ自衛隊を去り、同期を誇りに思うからこそ、今でも応援してることを何度も話してくれた。

そして、これはある意味で、言ってはいけないことなのかも知れないが、徳永がもっとも伝えたかった言葉は恐らく以下のようなメッセージだ。

「私のようなものでも、退役後、元幹部自衛官という誇りを持ち、なんとか仕事をこなせている」

しかしそれは、幹部自衛官や自衛隊現役曹士に対し、中途退役をしても何となる、という無責任なメッセージではなく、まずは自らの職責を必死にこなせというメッセージだ。

そして、どうしても自らに掛けられている期待と責任を果たせないかもしれないと思ったら、組織のためにエリミネートするという選択肢があってもいいという考え方であろう。

その選択肢を採ることは、誇り高い自衛官であれば簡単なことではない。

屈辱と冷や飯に塗れるくらいなら死んだほうがマシだと思うこともあるだろう。

しかし、日本という国、国家や国益に対し奉仕する方法は、実は他にも、いくらでもある。

当サイトは自衛官を応援し、自衛隊を誇りに思ってくれる人に向けて情報発信をしているが、どうかもし、このような中途退職をした幹部自衛官がいたとしても、その誇り高い決断を支持して欲しいと願う。

そして、当コラムでご紹介した徳永のように、形は違えどその知見を活かし、国民の生命と財産を守ることに生きがいを感じている元幹部自衛官がいること。

そんなことにも目を向けて、応援をしてもらえれば幸いだ。

(了)

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コメント

  1. 通りすがりの関係者 より:

    海自の特別警備隊では確か部隊を去る隊員をリンチして殺した事件があったはずですが。「はなむけの格闘訓練」と称して15人がかりで1人をボコボコにするのが「最大限の敬意」でしょうか。
    あと伊藤氏は海自の特別警備隊の方で陸自の特殊作戦群じゃないですよ。

    • ytamon より:

      通りすがりの関係者様、コメントありがとうございます。
      関係者様のご意見、嬉しく思います。
      書き込みの趣旨は、海自特警隊の「あの事件」について、伊藤氏にもその責任の一端があるという非難であると思います。
      その上ですが、伊藤祐靖氏の「国のために死ねるか」をお読み頂ければわかるのですが、伊藤氏は著書で、あの事件をこれ以上ない言葉で、古巣でもある海上自衛隊を批判しています。
      すでに伊藤氏の退役後の話なので、さすがに伊藤氏にその責を向けるのは無理筋ではないでしょうか。
      むしろ、組織がすぐに官僚化してしまい、創隊の理念が簡単に失われてしまうきらいがあるという、「軍事組織」がどうしても持ってしまう組織文化を非難するべきです。

      なお、伊藤氏は文中で紹介しているように海自特警隊の創設者ですが、文中で「特殊部隊」と書くべきところを確かに「特殊作戦群」と書いているところがありました。
      こちらは、恥ずかしい間違いでした。
      ありがとうございます、訂正しておきました。
      感謝します。