下淳市(しも・じゅんいち)|第31期・海上自衛隊

下淳市は昭和39年8月生まれ、長崎県出身の海上自衛官。

防衛大学校第31期の卒業で幹候は38期だ。

平成28年7月(2016年7月) 第2術科学校・海将補

前職は海上幕僚監部装備体系課長であった。

2017年11月現在、艦船の機関や仕組み、また修理や技術に関する教育を施す海上自衛隊第2術科学校長の下だ。

31期と言えば、2018年夏に最初の海将が誕生する見込みの年次であり、まさにこれから、自衛隊の最高幹部として意思決定をしていく世代となる。

海将補としても中心的な役割を果たしていく世代であり、我が国の平和と安全に関する重い決断を下していく、真っ只中にある年次であるといえるだろう。

では、その31期にはどのような海将補がいて、来年の将人事では誰が最初の海将に昇る可能性があるのかを見てみたい。

2017年11月現在で、海将補にある者は以下の通りだ。

乾悦久(第31期)・海上幕僚監部総務部長

岩﨑英俊(第31期)・呉地方総監部幕僚長

酒井良(第31期)・海上幕僚監部防衛部長

下淳市(第31期)・第2術科学校長

園田直紀(第31期)・海上幕僚監部人事教育部長

(肩書はいずれも2017年11月現在)

今後、31期組の1等海佐から海将補に昇るものが出てくることは考えられるが、2018年の将人事では、この5名の中から31期最初の海将が誕生することは、まず間違いないだろう。

詳細は各自のページで記述するためここでは割愛するが、恐らく現在の状況では、酒井と園田の両名になるのではないだろうか。

特に酒井については、海上幕僚長に着任する者にふさわしいポストを歴任しており、海上自衛隊31期のエースと言って良い。

参考までに、上記5名が海将補に昇任した時期は以下の通りとなっている。

酒井・園田・・・平成24年7月

岩﨑・・・平成24年12月

乾・・・平成27年8月

下・・・平成27年12月

次に、31期組トップエリートの一人である下個人のキャリアについて見ていきたい。

下が海上自衛隊に入隊したのは昭和62年3月。

2等海佐時代の平成17年、韓国防衛駐在官として外務省に出向しているが、これは小泉政権下で北朝鮮による拉致被害者が日本に帰国した翌年、2005年にあたる。

拉致被害者の帰国に関しては、通常の外交ルートだけでは十分とは言えず、おそらく軍人外交による情報収集も相当役に立っていたはずだ。

韓国政府と韓国の一般国民の、我が国に対する行動は度し難いものがある。

日本相手には何をしても良いという振る舞いは公式の外交行事でも散見され、外交儀礼を無視することはもはや慣れっこであるが、一般に軍部高官は合理的であるとされ、自衛隊とは協力を望む声が多いとされる。

彼の国の基本姿勢や政治家の立ち居振る舞いはもはや制御できるものではないので仕方がないが、このような国情を考えると、軍人外交が果す役割は極めて大きい。

そのため、意外に思われるかもしれないが、実は韓国に赴任する防衛駐在官の数は3名が確保されおり、これは別格であるアメリカの6名を除き、我が国最多の人数だ。

他に3名の防衛駐在官を派遣する国は中国、ロシア、インド、オーストラリアのみであり、いかに韓国からもたらされる軍人外交の恩恵が大きいか。

そのことを評価する内容になっている。

ちなみにドイツ、フランス、イギリスと言ったEU中心国への派遣人数は2名である。

その割には将補や1佐ではなく、2佐でも赴任可能なのかと、このあたりに矛盾を感じなくもないが、あるいはこのあたりに外交的なメッセージがあるのかもしれない。

何れにせよ下は、この重要な任務をやり遂げ帰国。

同期1選抜であれば、1等海佐への昇任は平成18年1月であったものの、あるいは韓国に赴任中(赴任中の身分は外務省職員)であったためであろうか。

帰国後の平成18年7月に、同期1選抜から半年遅れで1等海佐に昇任した。

その後、海幕の要職や第3護衛隊司令など、中央と現場の双方で中心世代らしいエリート1佐としての仕事ぶりを見せるが、中でも第3護衛艦隊司令時代には、ソマリア沖の海賊対策に現場赴任。

第14次の派遣海賊対処行動水上部隊指揮官として大いに成果を上げ、帰国後には小野寺防衛相から第1級賞詞が贈られることとなった。

なお1級賞詞は、オリンピックで金メダルを獲った者に贈られるランクの賞詞であり、自衛官にとってはこの上ない栄誉である。

その後、海将補に昇ったのが平成27年12月で、昇任と同時に第2術科学校長着任。

これは2017年11月現在で、31期組海将補5名の中では最後の昇任であったが、あるいはこれには、「次期多用途ヘリ選定問題」が絡んでいるのかもしれない。

その経緯と理由を十分に理解できないので詳細は割愛するが、この「問題」は、海上自衛隊が採用する次期多用途ヘリの選定過程で、当時の海上幕僚長であった武居智久(第23期)が不適切な言動をしたとされるものだ。

結果としてヘリコプターの選定に適切ではない影響を与えたとされ、関係者が処分されたのだが、防衛監察本部はその経緯を厳しく調査した結果について

「不正は存在しない」

「(収賄など)業者からの働きかけは確認できなかった」

と公式に発表しているにも関わらず、海幕長の武居と、防衛部長であった渡邊剛次郎(第29期)を訓戒処分に。

さらに海幕長と防衛部長の指示を受け、要求性能表を書き換えたことを理由として、当時装備体系課長であった下までもが「注意処分」を受けることになった。

不正もなく贈収賄もないのに不適切であるという処分を受けるのは、どうにも素人にはわかりづらい。

そもそも、そんな偉いさんの指示を「いち課長」が拒否できるわけもなく、酷い処分のように思えるが、あるいはこのような「処分待ち」の段階にあったからであろうか。

下の海将補昇任が遅れる遠因になったのかもしれないが、実はもっと直接的に、なんらかの派閥・人事抗争の結果かもしれない。

いずれにせよこのようなことは、推測の域を出ず、当サイトには馴染まない記述なのでここで打ち切りたい。

今はただ、第2術科学校長という栄誉あるポストに全力を尽くし、後進の指導育成に尽力し、10年後・20年後の我が国の平和と安全に大いに貢献する人材を育てる任務。

その非常に栄誉ある任務に邁進する下に、期待を持って注目していきたい。

◆下淳市(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
62年3月 海上自衛隊入隊(第31期)

平成
10年1月 3等海佐
13年7月 2等海佐
14年10月 あさゆき艦長
17年6月 韓国防衛駐在官
18年7月 1等海佐
20年12月 海上幕僚監部厚生課厚生班長
21年10月 練習艦隊幕僚
22年12月 海上幕僚監部防衛課防衛調整官
23年8月 第3護衛隊司令
25年8月 海上幕僚監部装備体系課長
27年12月 第2術科学校 海将補

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 第2術科学校公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/twomss/aisatu/aisatu_index.html

外務省 在オマーン日本大使館公式Webサイト(久枝大使表敬訪問時写真)

http://www.oman.emb-japan.go.jp/japanese/5-001-007_j.htm

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