大塚海夫(おおつか・うみお)|第27期・海上自衛隊

大塚海夫は昭和35年8月生まれ、東京都出身の海上自衛官。

防衛大学校第27期の卒業で幹候は34期だ。

平成27年8月(2015年8月) 第43代海上自衛隊幹部学校長・海将

前任は自衛艦隊司令部幕僚長であった。

大塚は、幼小中高の一貫教育で知られる東京都の暁星高校の出身であり、小学生の時にはすでに海軍の士官になると公言していたほどの、筋金入りの提督である。

そして小学校の頃からの夢であり目標であった提督になったばかりか、海将補に留まらず海将にまで昇ったのだから、まさに有言実行の、我が国を代表する海の男であると言えるだろう。

海夫という名前と併せ、海上自衛隊の名物提督の一人だ。

そのキャリアを見ると、海上自衛隊の入隊が昭和58年3月。

昇任時期はそれぞれ、

1等海佐・・・平成14年1月

海将補・・・平成21年3月

海将・・・平成27年8月

となっており、1佐への昇任は27期1選抜(1番乗り)のスピード出世である。

海将補への昇任に7年かかったので、ここは同期の最速に1年譲ったが、海将への昇任は6年であり、順調なキャリアパスで最高位に昇り詰めたと言っていいだろう。

そしてその歴任してきたポストについてだ。

大塚に関しては、通常の護衛艦艦長、あるいは護衛艦隊司令の顔としてよりも、国際情勢のエキスパートであり研究者としての顔が非常に際立つ、知米派で国際感覚に富んだ自衛官であると言える。

その最初の国際デビューは、あの世界を揺るがしたイラク戦争だ。

イラク戦争の開戦は2003年3月。

この戦争にアメリカが突き進み開戦準備を行っている間、1等海佐であった大塚はアメリカ軍の真の意志を探る大役を担い、米中央軍に派遣され、自衛隊と米軍の間における調整役を担っている。

大塚が米中央軍に主席連絡官として赴任していたのは、2002年11月から2003年5月である。

アメリカ中央軍はまさに、大塚を介して日本政府・自衛隊首脳と交渉を重ね、イラク戦争に向かって突き進んだわけだが、日本にできることできないこと、自衛隊が対応可能な任務など、その全ての交渉に大塚が関与していたと言っても良い。

この歴史の一コマの舞台裏には、大塚の姿があった。

そして自衛隊の軍人外交の場には、この後も大塚の影が頻繁に登場する。

その一つが2015年、ロンドンで開催された大規模防衛見本市に付随して開催された世界各国の軍事関係者による、防衛会議の席上でのやり取りだ。

海上自衛隊幹部学校長の立場でこの会議に参加していた大塚は、中国を名指しこそしなかったものの、中国の南シナ海における海洋進出を念頭に、参加各国に対し中国に対する共同での抑止力体制の確立を呼びかける。

これに対し中国側代表団であった、中国海軍北海艦隊の袁誉柏は、南シナ海は中国の海であり、大塚の指摘は荒唐無稽であると感情的な反論を展開した。

このような静かな、しかし激しい鞘当てが行われたことを日本のメディアはあまり報じていなかったが、実は大塚のこのような中国を牽制する外交メッセージは初めてではない。

海将補に昇任後には様々な講演会に招かれ、中国の脅威を冷静に的確に指摘し、そして危機に備えるべく自衛隊と我が国の国防意識の変革を訴え続けきた上での発言だが、当然中国もその言動を承知していたのだろう。

この国際会議の席上で、ひとこと言い返さなかれば気が済まなかったという腹の底が透けて見える。

余裕の無さの裏返しとも言えるが、このような微妙な機微に関わる問題を適切な言葉で、しかし力強く発信する自衛隊高官の存在は極めて貴重だ。

その役割を大塚が担い続けてきたことは、まさにその自衛官人生の中における大きな特徴の一つであると言えるだろう。

そんな大塚のもう一つの顔が、艦隊指導者ではなく教育者としての一面だ。

大塚はそのキャリアの中で海上自衛隊幹部学校副校長 、練習艦隊司令官、海上自衛隊幹部学校長(2017年10月現在現職)を歴任するなど、次代を担う海上自衛隊幹部の机上の教育、実地の教育の両面で指導者としての役割を果たしている。

軍の教育責任者に誰を充てるのかというのは、いわば自衛隊内部に対するメッセージだけではなく諸外国に対するメッセージでもある。

海上自衛隊としてどのような人物が教育者にふさわしいと考えているのか。

次代を担う幹部自衛官をどのような方針で教育しようとしているのか。

教育責任者の教えや思想は、必ず幹部の考え方に影響を与える。

その意味において、常に国際情勢にアンテナを張り巡らし、世界の軍事情勢を正しく把握分析し、時に激しい外交を行うなどの立ち回りをしてきた大塚は、教育者としてこれ以上の適任はいないとも言える人事だ。

中国に対するメッセージとしても、これ以上はない人事配置と言えるのではないだろうか。

本記事は当初2017年7月6日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年10月28日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

大塚が海上自衛隊幹部学校長のポストを継いだのは同期である山下万喜(第27期)からであった。

同期の後任という形であったが、佐世保地方総監に栄転になった山下はさらにわずか1年で自衛艦隊司令官に栄転となった。

2017年7月現在の人事の状況を考えると、第34代海上幕僚長には山下が就任する環境が着々と整えられていると言って良いだろう。

そして大塚の海上自衛隊幹部学校長の任期はおそらく2017年夏までと予想される。

海幕副長か、もしくは地方総監に栄転という可能性も考えられるが、次の海上幕僚長人事が予想されるのは2018年12月。

恐らく次のポストが大塚にとって最後の大仕事になるのではないだろうか。

そして大塚の、次世代を育てようとする教育熱は今も熱く燃え盛り衰える様子がない。

2017年6月には、幹部学校内に「未来戦研究所(呼称)」を設置。

AIや無人機による戦闘、宇宙空間やサイバー空間による戦闘を想定した本格的な研究に取り組むチームを組織し、長期的な我が国防衛体制の強化に向け、先鞭をつけた。

大塚は2013年の海上幕僚監部指揮通信情報部長 であった時代に、「サイバー空間における活動とインテリジェンス」という論文を発表するほどの、軍の戦闘におけるパラダイムシフトに備えた組織構築を訴え続けてきた論客という側面を持つ。

そのような事を考えると、「未来戦研究所(呼称)」の設置も、長年の宿願であったのだろう。

この種を、後進が必ず大きく育ててくれると信じたい。

なお余談だが、大塚が通っていた暁星中学・高校は中高一貫の男子校であり完全に男の世界である。

高校入試は行っておらず、中学からの入学である場合、早稲田や慶応にはやや譲るものの、青山学院中学や学習院中等科とほぼ同じ難易度であり、幼い頃から勉強に一心不乱に取り組んできたことが窺える。

そしてそのまま防衛大学に入り、海上自衛隊入りしたわけだが、正直、女性との出会いなど全く無かったのではないかと下世話なことを考えてしまったが、ちゃっかり美しい令夫人と結婚し、私生活も充実されているようだ。

男ばかりの世界で一心に勉学と仕事に打ち込んできた大塚。

しかしまだまだ、日本は大塚の力を必要としており、令夫人とゆっくり過ごすことができるのは、もう少し先になりそうだ。

◆大塚海夫(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
58年3月 海上自衛隊入隊(第27期)

平成
6年1月 3等海佐
9年7月 2等海佐
10年7月 海上幕僚監部防衛課
12年8月 とね艦長
13年8月 海上幕僚監部防衛課
14年1月 1等海佐
16年8月 海上幕僚監部教育課教育班長
16年9月 兼 海上幕僚監部教育課個人訓練班長
18年3月 海上幕僚監部防衛課防衛調整官
19年3月 第21護衛隊司令
19年12月 情報本部統合情報部長
21年3月 海上幕僚監部付 海将補
21年6月 海上自衛隊幹部学校副校長
21年12月 第2護衛隊群司令
22年12月 練習艦隊司令官
23年12月 海上幕僚監部指揮通信情報部長
26年10月 自衛艦隊司令部幕僚長
27年8月 海上自衛隊幹部学校長 海将

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊、横須賀地方隊Webサイト(練習艦隊帰国行事)

http://www.mod.go.jp/msdf/yokosuka/news/23/09.html

防衛省海上自衛隊、海上自衛隊幹部学校Webサイト(着任式)

http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/news/2015/0807.html

防衛省海上自衛隊、海上自衛隊幹部学校Webサイト(セミナー写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/seminars/27wpns_step/wpns_step04.html

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