渡邊剛次郎(わたなべ・ごうじろう)|第29期・海上自衛隊

渡邊剛次郎は昭和36年6月6日生まれ、千葉県出身の海上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候36期、出身職種は飛行で、HSS-2B及びSH-60J/Kといった回転翼航空機のベテランパイロットである。

平成28年7月(2017年7月) 第44代教育航空集団司令官・海将。

前任は海上幕僚監部防衛部長であった。

なお、教育航空集団司令官としての指導方針は以下の通り。

【指導方針】

「行き足」

伝統の継承 シーマンシップ プライド

29期組のトップエリートにして、次の次の海上幕僚長候補の一人である渡邊である。

海上自衛隊入隊以来、ヘリコプター一筋でキャリアを積み上げた海将で、日本海軍航空隊の伝統を引き継ぐ、シーマンシップに溢れたスマートな男だ。

そのキャリアは極めて充実しており、トップエリートにふさわしいポストを歴任し、また昇任を重ねてきた。

渡邊が海上自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。

1等海佐に昇ったのが平成16年1月であり、29組の1選抜(1番乗り)でのスピード出世だ。

さらに海将補に昇ったのが22年7月、海将に昇ったのが28年7月で、いずれも2017年現在、自衛隊が採っている昇任制度の中では最速のスピード出世である。

恐らく後職では、いずれかの地方隊で総監に着任するか、航空集団司令官に着任することになると思われる。

これらのポストはもちろん、その後職として直接でも海上幕僚長の可能性がある要職だが、あるいは1年程度で異動し、後2つほど要職を歴任する可能性も十分考えられるだろう。

なお、これら出世競争のライバルとなる29期組には、2017年現在で以下の海将が渡邊とともに切磋琢磨している。

渡邊剛次郎(第29期)・教育航空集団司令官(2016年7月)

糟井裕之(第29期)・護衛艦隊司令官(2016年12月)

舩木洋(第29期相当)・防衛装備庁長官官房装備官(2015年3月)

杉本孝幸(第29期)・航空集団司令官(2017年8月)

※肩書はいずれも2017年12月現在。末尾の数字は海将昇任時期。

なおこれら4名のうち、舩木は横浜国立大学大学院を卒業しての入隊で、幹候36期で29期相当ではあるものの、生年月日は通常の29期よりも2年年上になり、昭和34年度の生まれ(昭和35年2月生まれ)となる。

そのため、昇任はおそらく27期組として扱われるのかと思われるが、通常の29期1選抜よりも2年早い、27期1選抜相当の平成14年1月に1等海佐に昇任。

海将補昇任は23年4月で9年を要しているが、そこから海将には僅か4年、27年3月に昇任した。

渡邊と糟井は共に平成16年1月の、通常通りの1選抜で1等海佐に昇り、海将補に昇ったのも同じ22年7月。

ただし海将に昇ったのは渡邊のほうが僅かに早く、渡邊の平成28年7月に対し糟井は12月であった。

これまでのキャリアから総合的に考えると、29期組の海上幕僚長候補レースは、渡邊と糟井の両名に絞り込まれたと考えて良いだろう。

次に、渡邊のキャリアについて見てみたい。

その前に、と言っては何だが渡邊は、出身高校は東京の開成高校である。

あの、日本を代表する天才ばかりが集まる高校であり、渡邊が高校時代を過ごした昭和50年代中頃の時代背景を考えると、日本を代表するエリート校であった開成の卒業生が防大を受験し自衛官になるというのは、相当な反対があったことが想像に難くない。

両親が自衛官でもなければ、なぜわざわざ自衛官になんかなるのかと、周囲から散々止められたことだろう。

それ程までに、1970~90年代前半の自衛隊に対する風当たりはきつく、自衛隊を公然と侮辱する左翼勢力が全盛期で力を持っていた時代である。

そんな時代に、東大に入り一流企業に入ることもできたであろう渡邊が国防を志し、防衛大学校に入学したというのだから、本当に心からの敬意を感じざるを得ない。

そしてその渡邊の、持って生まれた才能と人並み外れた努力の結果、今があり、その活躍のお陰で我が国の平和と安全が守られている。

その渡邊だが、先述のように出身職種は飛行であり、対潜水艦戦などに従事するSH-60Jのパイロットなどを専門にキャリアを積んだ。

第124航空隊(現第22航空隊)の飛行隊長や第23航空隊司令、第22航空群司令を歴任するなど、常に対潜ヘリの操縦にあたり、また指揮を執る。

ちなみに上記の若々しい写真は第23航空隊司令の頃、47歳当時の渡邊である。

びっくりするほどのイケメンであり、とても47歳とは思えない若さが漲っており、これが海上自衛隊のスーパーエリートなのかと、まさに常人とは異なる凄さを感じさせる一枚になっている。

しかし、それから更に偉くなり、海将補に昇って海上幕僚監部の要職を歴任するなかで、激務をこなすとどうなるかというと・・・

こちら、教育航空集団司令官に昇った後、2017年現在で直近の近影である。

さるがにだいぶ老けてしまい、まるでおじいちゃんのようになってしまった。

この写真が撮られた時は、おそらく55歳~6歳だと思われるが、あれほど若々しかったイケメンが、まるで基地モニターのお年寄りが体験飛行に臨む時であるかのようだ。

それだけ、幕僚監部の激務というのは過酷なものであるのだと、恐ろしさすら感じる1枚である。

ちなみに、渡邊が将官に昇った後のキャリアは、

・第22航空群司令

・海上幕僚監部総務部副部長

・航空集団司令部幕僚長

・海上幕僚監部防衛部長

・教育航空集団司令官

である。

どの部署が、渡邊をもっとも老け込ませてしまったのか。

非情に興味深いところだ。

とはいえ、開成高校出身の天才肌で、海上自衛隊きっての飛行屋であり、米国通でもある渡邊には、まだまだゆっくりして頂ける時間などなさそうな厳しい安全保障環境が続いている。

ぜひ、さらにもうひと踏ん張りの力を発揮し、「頂点のイス」を目指して職務に邁進し、もって国民の期待に応えてくれることをこことから期待したい。

本記事は当初2017年7月8日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年10月31日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものを一部抜粋する形で、そのまま残している。

そんな渡邊のもっとも印象に残る任務は、テロ対策特別措置法に基づき護衛艦艦載のヘリパイロット(飛行隊長)として従事したインド洋での任務であると、後日述懐している。

911テロの激しいインパクトは我が国の防衛政策にも大きな影響を与えたが、自衛隊の国際貢献活動を大きく変えた出来事でもあった。

そのような国際情勢の中で、艦載機パイロットとして出向いた現場で諸外国の国軍とともに連携し海上阻止活動にあたり、任務を完遂したことは、渡邊にとって大きな誇りである。

もっとも印象深い任務の一つであったと振り返っているが、当然であろう。

ただし、この任務は4ヶ月間もの長きに渡り、ずっと洋上で過ごす過酷な任務であった。

さすがに、日本に残してきた令夫人と2人のお子様が恋しくなったと、父親であり良き夫としての一面も感じさせるコメントも、併せて残しているのが印象的である。

◆渡邊剛次郎(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 海上自衛隊入隊(第29期)

平成
8年1月 3等海佐
11年7月 2等海佐
13年3月 第51航空隊
14年7月 第124航空隊飛行隊長
15年8月 海上幕僚監部副官
16年1月 1等海佐
18年3月 統合幕僚監部運用部運用第1課日米共同班長
19年12月 舞鶴航空基地隊司令
20年3月 第23航空隊司令
21年3月 海上幕僚監部防衛部防衛課防衛調整官
21年12月 海上幕僚監部防衛部防衛課長
22年7月 第22航空群司令 海将補
24年3月 海上幕僚監部総務部副部長
25年8月 航空集団司令部幕僚長
26年8月 海上幕僚監部防衛部長
28年7月 教育航空集団司令官 海将

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊、教育航空集団司令部Webサイト(視察写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/atrc/newpage15.html

防衛省海上自衛隊、第23航空隊Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/tateyama/hs23/inter07.html

防衛省海上自衛隊、教育航空集団司令部Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/atrc/newpage1.html

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