南雲憲一郎(なぐも・けんいちろう)|第33期・航空自衛隊

南雲憲一郎は昭和40年10月2日生まれ、山形県出身の航空自衛官。

防衛大学校第33期の卒業で幹候79期。

出身職種は飛行であり、戦闘機搭乗員には最高の栄誉とされるイーグルドライバー(F-15戦闘機パイロット)上りだ。

平成28年7月(2016年7月) 中部航空方面隊副司令官・空将補

前職は第6航空団司令であった。

国防の最前線で空の安全を守る第6航空団(石川・小松基地)の司令から、小松基地を含む中部航空方面隊の副司令官に昇った南雲だ。

F-15戦闘機パイロット上りであり、優しそうな顔と裏腹に、かなり厳しい訓練と規律遵守を求める厳格な司令官として知られる。

中国やロシアの脅威と現実に直面している戦闘航空団の指揮官として、隊員の命と国民の生命・財産を守ることに、誰よりも強い責任感を持って任務にあたった。

その南雲だが、33期のエースであり、将来の航空幕僚長候補とも言えるスーパーエリートである。

航空自衛隊に入隊したのが平成元年。

1等空佐に昇ったのが平成20年1月で、空将補に昇ったのが平成26年8月だ。

いずれも、自衛隊の人事制度上で最速の昇任速度であり、もちろん33期1選抜(1番乗り)である。

なお33期の出世競争で切磋琢磨している空将補は2017年11月現在、以下の者たちである。

(末尾日付は将補昇任時期)

安藤忠司(第33期)・航空戦術教導団司令 2015年3月

石上誠(第33期相当)・防衛装備庁調達事業部総括装備調達官 2016年12月

今城弘治(第33期)・航空総隊司令部防衛部長 2015年12月

影浦誠樹(第33期)・防衛大学校防衛学教育学群長 2015年12月

南雲健一郎(第33期)・中部航空方面隊副司令官 2014年8月

森田雄博(第33期)・第3補給処長 2014年8月

(肩書はいずれも2017年11月現在)

この数字だけを見ると、南雲と森田が出世スピードのアドバンテージを持っていると言えなくもないが、航空自衛隊の最終的な空幕長争いは陸や海に比べ、極めて独特だ。

例えば山田真史(第28期)・航空支援集団司令官のように、1佐への昇任は1選抜から実に2年遅れ、空将補への昇任は同期最速から1年半遅れであったにも関わらず、空将昇任は同期最速の9ヶ月遅れまで詰めたような事例がある。

そしてついに、28期組の空幕長争い最終候補の3名に残っているのだから、まさに航空自衛隊の人事は破天荒だ。

いかにも航空自衛隊らしく、また先例や慣例に囚われない、軍事組織らしからぬ柔軟性があるところも、空自幹部が好んで使う「勇猛果敢・支離滅裂」という言葉の所以であろう。

33期といえば、最初の空将が誕生するのは2020年夏の予定である。

まだまだ、この年次の人事はどうなるか先が読めない。

とはいえ、まずは33期組のトップを走る南雲である。

フランス共和国統合国防大学指揮幕僚課程に留学し、また米空軍大学幹部高級課程も修了するなど、冗談のようなスーパーエリートだ。

どちらかで日常会話を出来るだけでも凄いものだが、英語とフランス語で軍事大学の専門課程を修了してしまうのである。

航空自衛隊幹部として必須の国際経験も十分であり、またそのセンスも卓越したものがあるといっていいだろう。

そして第7航空団、第6航空団など各地で指揮を執り、中部航空方面隊副司令官に着任し今日に至る。

スーパーエリートにふさわしいキャリアであり、まさに出世頭らしい、充実した勤務歴である。

なおその南雲をについてだが、2014年9月20日、第6航空団司令(小松基地司令)時代に、前代未聞のハプニングに見舞われる。

当日は、周辺住民のみならず自衛隊ファンが心から待ち望んでいた小松基地航空祭2014。

オープニングフライトから盛大に始まった航空祭は、F-15の編隊飛行、F-2の展示飛行など午前中の行事を全て予定通り終えた、その直後の11時50分。

2機のF-15戦闘機が実弾を翼下に搭載し、予定にない突然の発進を見せたのである。

この直後、場内でアナウンスがあり、国籍不明機が領空侵犯コースで我が国に接近していることからホットスクランブルに出動したと、来場者に告知された。

航空祭の最中に起きたホットスクランブルであり、観客のほとんどはこの放送もフェイクで、大サービスのサプライズイベントと思って大喜びしたようだが、正真正銘の緊急出動だ。

領空侵犯の可能性が高い航空機に対して掛けられた緊急性の高いスクランブルであったわけだが、華やかで楽しいお祭りの最中でも、我が国の国防最前線でどのような事が起きているのか。

実弾を搭載して空に上っていったF-15の勇姿を見て、戦闘機パイロットの気合と厳しさを感じ取ったファンも多かった出来事となったようだ。

なお南雲について、日本海軍で第一航空艦隊司令長官を務め、真珠湾攻撃を指揮した南雲忠一の孫や子孫と断言するブログなどを散見するが、本人がそれを語った一次資料はなく、また当然の事ながら防衛省の発表もない。

おそらく南雲忠一と同じ山形出身であり、名前が似ていることからそのように推測されたものと思われるが、実は南雲姓は山形県のお隣、新潟県ではかなりありふれた名字であり、南魚沼や十日町には1000人を越える「南雲さん」がいる。

山形県にも一定数の南雲家があるため、苗字の一致と名前が似ていることだけをもって、直系の子孫と想像することはかなり根拠が薄そうだ。

(毛根もかなり薄い・・・ボソッ)

本人がどこかの講演会など語ってくれればハッキリして良いのだが、水雷屋でありながら機動部隊の指揮官になってしまい、歴史上厳しい評価を受けている南雲忠一と、入隊以来の航空畑であり戦闘機のエキスパートである南雲憲一郎。

同じ提督でありながら全く異なるキャリアを歩んだこの二人が、直系ではなくても縁戚にあたるようであれば、きっと同じように、海を愛し空を愛する、防人としての熱い血が流れているのであろう。

33期組のエースとして、ぜひ注目をしてもらいたい最高幹部の一人である。

本記事は当初2017年7月9日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月3日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

◆南雲憲一郎(航空自衛隊) 主要経歴

平成
元年3月 航空自衛隊入隊 (第33期)
5年6月 第2航空団
9年5月 飛行教導隊
12年1月 3等空佐
13年1月 フランス共和国統合国防大学指揮幕僚課程
14年8月 航空幕僚監部防衛部運用課
15年5月 外務省
15年7月 2等空佐
15年11月 航空幕僚監部防衛部防衛課
17年7月 第7航空団
19年8月 航空幕僚監部運用支援・情報部運用支援課
20年1月 1等空佐
20年5月 幹部学校付(米空軍大学幹部高級課程)
21年7月 航空幕僚監部人事教育部教育課飛行教育班長
22年7月 航空幕僚監部総務部総務課庶務室長
23年8月 中部航空方面隊司令部防衛部長
24年12月 航空幕僚監部人事教育部厚生課長
26年8月 第6航空団司令 空将補
28年7月 中部航空方面隊副司令官

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 第6航空団(小松基地)公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/komatsu/kichishirei/27.9.html

http://www.mod.go.jp/asdf/komatsu/kichishirei/14nigatuindex.html

http://www.mod.go.jp/asdf/komatsu/kichishirei/14sireiaisatuindex.html

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