小川能道(おがわ・よしみち)|第29期・航空自衛隊

小川能道は昭和37年4月生まれ、栃木県出身の航空自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候75期、職種は公式情報がないので判別しないが、そのキャリアから考え、恐らく飛行(パイロット)であると思われる。

平成28年12月(2016年12月) 第39代航空救難団司令・空将補

前職は航空幕僚監部監理監察官であった。

いきなりの俗な言い方で恐縮だが、小川はかなり「ガタイが良い」。

50代も半ばを過ぎてなおこれだけの体躯を維持しているからには、若い頃には相当体を鍛えたのかと思うが、防衛大学校時代はラグビー部で鍛えた、元ラガーマンである。

おそらく、プロップかロック(スクラム1列目の左と右)あたりの出身であろうと思うが、空自のスマートな元パイロットというよりも、陸自の機甲科で竹刀を持っている方が似合いそうな迫力だ。

その小川が2017年11月現在で補職されているのは航空救難団司令。

航空自衛隊における、戦闘機パイロットとはまた違った最精鋭のパイロットたちと、命知らずの超人であるメディック(救難員)たちをその隷下に置き、我が国の最後の砦として航空機パイロットの命を救う。

もちろん航空機パイロットに限らず、その民生協力で残した功績は顕著だ。

都道府県の消防や警察が諦め、もうどうすることもできないという状況になると必ず災派(災害派遣)要請がかかり、そして一度任務を受けたら「できません」とは絶対に言わない。

どのような手段を使っても、要救助者の命を救い続けてきたプロフェッショナル集団を率いているのが小川ということになる。

空将補のポストにあることが示すように、29期組トップエリートの一人だが、一方で航空幕僚長のコースに乗っているというわけではない。

どちらかと言うと、分厚い現場経験に支えられた、上滑りしない堅実で確かな指揮を執るポストで仕事を任される空将補だ。

アメリカ映画などでは、頼りになるヒーローとして描かれる現場指揮官のポジションで、出世第一の将官と一線を画すいぶし銀といったところであろうか。

なお、そのようなことを言った後で恐縮だが、同期である29期組の航空幕僚長レースの最終候補者は既に出揃っており、以下の空将たちが切磋琢磨している状況だ。

城殿保(第29期)・北部航空方面隊司令官・・・2016年7月着任

長島純(第29期)・航空自衛隊幹部学校長・・・2016年12月着任

増子豊(第29期)・統合幕僚監部運用部長・・・2016年12月着任

三谷直人(第29期)・航空自衛隊補給本部長・・・2017年8月着任

(肩書はいずれも、2017年11月現在)

詳細についてはそれぞれの将官をご紹介するページで確認してほしいが、2017年11月の段階では、城殿が頭一つ抜けている状況と言って良いだろう。

2017年12月か、あるいは遅くとも、2018年3月にはあるであろう航空幕僚長人事を受け、この勢力図に変化があるのかないのか。

29期組の頂点争いは、間もなく大きく動くことになる。

その小川のキャリアは、どれも特筆に値する充実したものであるが、中でも一つ挙げるとすれば、それは航空幕僚監部の監理監察官かもしれない。

このポストは、組織内で不正な行為が疑われる場合や、あるいは航空機事故があった際などに調査をするのが任務であり、言ってみれば暇である方が良いわけだが、不幸にして小川は在任中、パイロットの死亡事故を伴う航空機事故を担当した。

鹿児島県の御岳山で発生した、U-125墜落事故だ。

この事故は2016年4月6日、鹿屋基地から1kmも離れていない山中で発生した。

航空自衛隊入間基地所属のU-125点検機は、海上自衛隊鹿屋基地周辺の飛行点検業務を行うため同日13時15分、鹿屋基地を離陸。

東向きに離陸し高度を得た後、所定の点検を終え西向きに進路を変え旋回中であった14時34分、御岳山の山腹に激突し乗員6名全員の尊い命が失われるという、非常に痛ましい事故であった。

現場はやや雲がかかっていたものの、「視界が悪いというほどの状況ではない」コンディションであったとされ、風も強くない状況。

U-125が墜落に至る合理的な理由が全く見つからない状況の中で、事故調査委員長に着任した小川は、事故の主因を「機長の誤認識によるヒューマンエラー」と結論づけ、発表する。

共に戦ってきた航空自衛隊の仲間に対し、「パイロットのミス」という事故調査報告書を出すというのは、その心中いかばかりであろうか。

小川は併せて「複合的な要因が重なった」とも説明しているが、事故調査報告書は多くの部分を、機長の判断ミスとするものだった。

機長であった平岡勝3佐は、航空学生第44期の卒業でブルーインパルスの1番機(隊長機)を務めたほどの、凄腕のパイロットであった。

なお、航空事故調査委員会の報告書において、平岡3佐の誤認識が事故の主因と発表されて以降、3佐の名前を匿名にしたメディアが複数あるが、当サイトは平岡3佐の名誉は失われていないと考え、そのまま掲載している。

航空事故の原因は、断言できるが決してひとつの単純要因に原因を帰せるようなものではない。

事故報告書は「機長が山の標高を誤認識」し「副操縦士もその誤認識に気が付かなかった」と指摘する。

また墜落直前に「GPWS(対地接近警報装置)が作動しているにもかかわらず適切な対応をとらなかった」という趣旨の記載もあるが、これが事実であるならば、離陸前のブリーフィング手順にこそ、最大の問題があると考えるべきであろう。

また、GPWSが作動しているにも関わらず適切な対応が採れないのであれば、GPWSの作動条件に問題があるか、GPWSが作動した際のチェックリスト(マニュアル)の内容か、あるいは容易な取扱性のいずれかに問題があると考えるべきだ。

もちろん、軍事組織である航空自衛隊が、事故原因の全てを詳らかにすることはおそらく不可能だ。

詳細な原因発表は敵性国家に様々な情報を与え、我が国の国防を揺るがす可能性もある。

その為、通り一遍の事故原因にせざるを得なかったという事情もあるのであろう。

だが、少なくとも一つ言えることは、平岡3佐でも回避できない事故であったのであれば、他のパイロットでも同様の事故になった可能性が高いということだ。

平岡はそれほどの熟練パイロットであり、航空自衛隊屈指の操縦技術と冷静沈着なマインド、強い精神力を持った男であった。

事故の記者会見に際し、同じパイロット出身の航空幕僚長・杉山良行(第24期)も、

「人間としても素晴らしく、パイロットとしても良い腕を持つ、熱いハートを持っていた男だった」

と、率直にその死を惜しむ発言をしていることからも明らかであろう。

事故を受け、平岡3佐のご尊父は「混乱していて話せない」とマスコミを避けていたと報じられているが、ご子息の名誉は決して失われていない。

我が国の国防のため、その尊い人生を捧げられたことに、どうか父親として誇りを持って頂きたいと心から願う。

事故の原因は「パイロットの誤認」かも知れないが「平岡3佐だから起こった事故」では絶対に無い。

小川も、そのことはよくわかっていたであろう。

しかし、監理監察官としてこのような調査結果を発表するのもまた、高級幹部の宿命である。

本記事は当初2017年7月11日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月12日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

◆小川能道(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 航空自衛隊入隊(第29期)

平成
8年1月 3等空佐
12年1月 2等空佐
12年3月 第6航空団(小松)
15年3月 航空幕僚監部運用課(市ヶ谷)
17年1月 1等空佐
17年9月 幹部学校付
18年8月 航空幕僚監部防衛部装備体系課装備体系第1班長(市ヶ谷)
21年4月 第2航空団飛行群司令(千歳)
22年12月 航空総隊司令部防衛部運用課長(府中、横田)
24年3月 航空幕僚監部運用支援・情報部運用支援課長(市ヶ谷)
25年8月 第2航空団司令兼ねて千歳基地司令(千歳) 空将補
27年3月 航空幕僚監部監理監察官(市ヶ谷)
28年12月 航空救難団司令(入間)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 航空救難団公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/arw/kichishirei/aisatu_ogawa.html

防衛省航空自衛隊 航空救難団公式Webサイト(救出活動写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/arw/katsudoujisseki/28nenjissekil.html

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