湯浅秀樹(ゆあさ・ひでき)|第30期・海上自衛隊

湯浅秀樹は昭和39年2月生まれ、徳島県出身の海上自衛官。

防衛大学第30期(電気工学)の卒業で幹候37期、出身職種は水上艦艇(船務)だ。

平成28年3月(2016年3月) 第11代掃海隊群司令・海将補

前職は防衛大学校訓練部長であった。

忙しい勤務の中でも多くの趣味を楽しみ、特にゴルフとカラオケはわずかな時間を見つけても楽しむほどの愛好家である湯浅だ。

しかし2017年11月現在、その僅かな余暇すらも無いほどに、湯浅の日常は多忙を極めていることだろう。

海上自衛隊において、今もっとも実戦的な部隊へと生まれ変わろうとしている、掃海隊群司令に着任したためだ。

2016年、護衛艦隊隷下にあった第1輸送隊は掃海隊群隷下に編成替え。

第1輸送隊は、輸送艦おおすみ、しもきた、くにさきからなる艦隊であり、それぞれLCAC(エアクッション艇)を搭載し、主力戦車の揚陸任務を担うことも可能になっている。

つまり、これら第1輸送隊は、輸送艦という名前から想像される任務ではなく、強襲揚陸艦として運用されることを想定していると考えるべきであり、事実、掃海隊群はこの編成替えをもって、海上自衛隊で唯一の「水陸両用戦部隊」として扱われることになった。

掃海艇で進路を拓き、陸上自衛隊の水陸両用部隊を搭載した輸送隊で島嶼部に強襲揚陸する。

我が国の南西方面島嶼部に於いて、その野心を隠そうともしなくなった中国人民解放軍の侵略行為に対応することを具体的に意識した部隊であり、自衛隊内外の湯浅に対する期待は極めて大きい。

なお湯浅だが、そのキャリアを見ると急に畑違いの掃海隊群司令に着任したように見えるかもしれない。

しかしその歴任してきたポストだけでなく、参加してきた訓練を見ると、湯浅がこのポストに着任したことは必然であるように思われる。

例えば、2011年から2年間務めた第2護衛隊群司令時代の国際演習だ。

湯浅はこの頃、隷下艦隊を率いて米国に赴き、島嶼侵攻対処を想定した大規模な実働統合訓練(ドーン・ブリッツ13)に参加し、陸海空統合司令部の訓練統制官を務めている。

陸海空自衛隊に加え、米海兵隊と共に敵性勢力が上陸した島しょ部を奪還するというシナリオであり、まさに我が国が直面する脅威に対する本格的な訓練だ。

この訓練に参加したのは、第2護衛隊群と陸自西普連(いわゆる日本版海兵隊)、それに米海兵隊。

島嶼部への着上陸及び敵の無力化を企図して様々な想定で訓練を行ったが、中でも特筆するべきは、海上自衛隊の艦船として初めてとなるオスプレイの離着艦訓練が、輸送艦しもきたの艦上で行われたことだ。

もちろん、しもきたに搭載されているLCACで西普連の隊員を輸送し、敵の最前線である島嶼部に強襲揚陸する訓練も行われた。

このような運用構想を考えると、第1輸送隊は明らかに、輸送隊というよりも「上陸母艦」もしくは「洋上の統合司令部」と言って良い。

湯浅は、このような訓練の統制官を経験した上で掃海隊群司令に着任し、そしてそのタイミングで第1輸送隊は、掃海隊群の隷下に編入されたということになる。

これは、南西島嶼部有事がいつ起きてもおかしくない今の情勢で、その奪還作戦の成否を湯浅に期待することを意味する人事であり、組織再編だ。

そして、その運用構想をしっかりと固め、後進をしっかりと育てる事も併せて託されたことを意味しており、湯浅への期待が極めて大きいことが窺える配置となっている。

南西方面において、中国人民解放軍との有事が起きた際の日本のキーパーソンは、湯浅を抜きにしては語れない。

その湯浅について、少しキャリアを詳しく見てみると、海上自衛隊への入隊が昭和61年3月。

1等海佐に昇ったのが平成17年1月なので、30期組1選抜(1番乗り)でのスピード出世だ。

海将補に昇ったのは平成23年12月なので、こちらは同期最速に4ヶ月遅れたことになるが、このあたりの遅れはそれほど大きなものではない。

この間、海上幕僚監部においては装備系と人事系の要職を歴任し、また現場では、護衛艦みねゆき艦長、第14護衛隊司令、第2護衛隊群司令、練習艦隊司令官などを歴任し、掃海隊群司令に着任している。

そしてその30期組は、2017年夏の将官人事で最初の海将が誕生した年次である。

この際に、30期組1番乗りで海将に昇ったのは、ある意味で「まさかの」一般大学卒業である出口佳努(第30期相当)

岡山大学を卒業し、飛行畑でキャリアを積んできたトップエリートだが、海将昇任とともに統合幕僚学校長に着任した。

2017年11月現在では、30期組で海将に昇ったのは出口一人となっているため、おそらく2017年12月の人事で、後1名は海将に昇ることになるだろう。

その有力候補として、あるいは湯浅も十分可能性があると予想している。

そして、出口と併せ、この際の人事で海将に昇った者が、30期組の海上幕僚長候補として、人事の中心になっていくだろう。

なお余談だが、上記の画像は掃海隊群の、機雷除去訓練中の「就寝時」映像だ。

機雷除去訓練中はこのように、触雷の危険に対応するためフル装備着衣のまま、甲板で座って眠る。

これだけでも、掃海隊群にある隊員たちの過酷な日常に対して、心からの敬意を感じずにはいられない。

このような隊員たちの過酷な訓練の上に、我が国の抑止力は高いレベルで維持されていることを、私達一般国民は知っておく必要がある。

本記事は当初2017年7月12日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月22日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

なお湯浅は、このような厳しい現場の最前線に立ち続けているにも関わらず、その笑顔は常に明るく魅力的だ。

いかに広報用の資料とは言え、将官クラスで上手な笑顔を作れる自衛官はそう多くない。

特に陸自の将官はみな、「笑ったら負け」と脅迫されてるかのような、強面の写真ばかりだ。

厳しい表情といかつい標語を背景に広報用写真を撮ることが多い将官の中において、湯浅の場合、護衛艦隊群の司令挨拶ページに掲げられてるのがこれである。

明るい笑顔で「笑う門には福来る」と共に写り込むのは、かなり斬新な一枚だ。

そして、こんな写真を堂々と掲げられる度量の大きさと心の余裕が、どこか頼もしい司令であることを感じざるをえない。

この司令の下でならどんなに厳しい状況でも悲観的にならず、また敵の弾も避けていきそうな勇気と安心感を貰えそうだ。

◆湯浅秀樹(海上自衛隊) 主要経歴

昭和
61年3月 海上自衛隊入隊(第30期)

平成
9年1月 3等海佐
12年7月 2等海佐
13年3月 海上幕僚監部装備体系課
14年8月 護衛艦みねゆき艦長
15年8月 防衛研究所所員
16年7月 海上幕僚監部補任課
17年1月 1等海佐
19年8月 海上幕僚監部装備体系課
19年12月 海上幕僚監部装備体系課艦船体系班長
20年12月 第14護衛隊司令
22年3月 海上幕僚監部人事教育部補任課服務室長
22年8月 海上幕僚監部人事教育部補任課長
23年12月 第2護衛隊群司令 海将補
25年12月 練習艦隊司令官
26年12月 防衛大学校訓練部長
28年3月 掃海隊群司令

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省海上自衛隊 横須賀地方隊公式Webサイト(行事写真)

http://www.mod.go.jp/msdf/yokosuka/news/26/04.html

防衛省海上自衛隊 掃海隊群公式Webサイト(顔写真、艦艇遠景、訓練の様子)

http://www.mod.go.jp/msdf/mf/other/about/index.html

http://www.mod.go.jp/msdf/mf/other/seikatu/index.html

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