斎藤兼一(さいとう・けんいち)|第33期相当・陸上自衛隊

斎藤兼一は昭和38年7月16日生まれ、福井県出身の陸上自衛官。

東京大学文学部を卒業し、昭和63年7月に陸上自衛隊入隊したということになっているが、幹候の年次は70期であり、平成元年3月入隊の33期相当と言うことになる。

63年3月に、やはり東大から入隊している鬼頭健司(第32期相当)は幹候69期なので、7月入隊の制度とその扱いについては、正直良くわからない。

判明次第、また追記したい。

平成29年12月(2017年12月) 第7師団副師団長兼ねて東千歳駐屯地司令・陸将補

前職は陸上幕僚監部防衛部防衛協力課長であった。

2018年7月現在、第7師団副師団長を務める斎藤だ。

なお今回も、例によって斎藤副師団長の画像は元陸自の2佐、小島肇(第19期)より頂いたものを用いている。小島元2佐、いつもありがとうございます!

斎藤は東大出身の英才であり、陸自の現役将官では4人いる東大組の一人ということになっている。

なお、2018年7月現在で現役の、東大出身の将官は以下の通りだ。

吉田圭秀(第30期相当)・第8師団長(陸将)

小瀬幹雄(第30期相当)・西部方面総監部幕僚長兼ねて健軍駐屯地司令(陸将補)

鬼頭健司(第32期相当)・陸上自衛隊幹部候補生学校長(陸将補)

斎藤兼一(第33期相当)・第7師団副師団長兼ねて東千歳駐屯地司令(陸将補)

やはり東大出身の将官については、軍令よりも軍政のキャリアに行く傾向があるのだろうか。

そんなことを思っていたのだが、少なくとも2018年7月の段階では4名全員が現場で指揮を執る、指揮官となっているようだ。

ただ吉田などは、前職が内閣官房国家安全保障局内閣審議官、いわゆる日本版NSCでもあり、そのキャリアも中央が目立つ内容になっている。

一方で今回ご紹介している斎藤だが、第9戦車大隊(岩手)を皮切りに各地の機甲科で指揮を取り続け、連隊長は第34普通科連隊(板妻)で経験。

中央では人事や防衛など広く要職を歴任しており、幅広い分野で手腕を発揮してきたことが窺えるキャリアだ。

厳しい現場に放り込まれてきたであろう、とても頼もしい経歴になっている。

どうやら、東大だからといってそのキャリアに、なんらかの傾向があるというわけでも無さそうだ。

斎藤にとっては、第7師団の副師団長職が将官に昇任後の最初のポストということになる。

機甲科出身の幹部にとってこの、桁違いの火力と物量を誇る第7師団を率いることは大きな喜びの一つであることは疑いようのないところだが、逆に言うとそれだけ、このポストの重みは格別だ。

犠牲をもろともせず、大火力と共に北海道に来襲するであろうソ連の戦術を想定し編成された部隊なのだから、それもそうだろう。

ただそれでも、元自衛官などにお話を聞くと皆一様に答えてくれるのは、

「ソ連(ロシア)からの攻撃で想定される火力から我が国を防衛するためには、現状の装備では到底足りない」

というものだった。

そんな現実がある一方で、野戦特科を中心とした火力の削減は進む一方だ。

北方はまだ、それでも他の方面隊に比べ緩やかだが、やはり例外ではない。

予算と人員が削減される中で、どのようにして部隊の精強さを維持し、なおかつ向上させていくのか。

斎藤にかかる期待はとても大きい。

最後に、その斎藤と動機である33期の動向について見てみたい。

33期は、2020年に最初の陸将が選抜される年次にあたるので、2018年7月現在では陸将補が出世頭ということになる。

そしてその任には、以下の幹部たちがあたっている。

冨樫勇一(第33期)・統合幕僚監部報道官(2014年8月)

山根寿一(第33期)・東北方面総監部幕僚副長(2014年8月)

牛嶋築(第33期)・陸上幕僚監部指揮通信システム・情報部長(2014年8月)

末吉洋明(第33期)・統幕運用部副部長(2014年8月)

廣惠次郎(第33期)・通信学校長(2015年3月)

児玉恭幸(第33期)・陸上幕僚監部監察官(2015年8月)

梅田将(第33期相当)・大阪地方協力本部長(2015年12月)

酒井秀典(第33期)・第1ヘリコプター団長兼ねて木更津駐屯地(2016年3月)

宮本久徳(第33期)・第1高射特科団長(2016年12月)

堀江祐一(第33期相当)・陸上自衛隊高等工科学校長兼ねて武山駐屯地司令(2017年3月)

楠見晋一(第33期)・東京地方協力本部長(2017年8月)

斎藤兼一(第33期)・第7師団副師団長兼ねて東千歳駐屯地司令(2017年12月)

更谷光二(第33期)・東北方面総監部幕僚副長(2018年3月)

※肩書はいずれも2018年7月現在。( )内は陸将補昇任時期。

以上のような状況になっており、まずは富樫、山根、牛嶋、末吉の4名を中心に、33期の人事は進んでいくことになりそうだ。

斎藤については、現職が将補に昇任して最初の補職ではあるが、西方や機動戦闘を指揮する部隊でのキャリアが余り見られない。

あるいは今後、大火力を指揮する部隊で積み上げたノウハウを元に、それらを機動展開する部隊での補職を経験していくことになるのではないだろうか。

その活躍を心待ちに、今後とも注目し応援していきたい。

※文中、自衛官および関係者各位の敬称略。

◆斎藤兼一(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
63年7月 陸上自衛隊入隊(第33期相当)

平成
2年3月 第9戦車大隊(岩手)
6年3月 戦車教導隊(富士)
8年3月 戦車教導隊中隊長(富士)
9年8月 幹部学校指揮幕僚課程学生(目黒)
11年8月 第2戦車連隊中隊長(上富良野)
12年1月 3等陸佐
15年7月 2等陸佐
15年8月 陸上幕僚監部人事部人事計画課
20年1月 幹部学校付 1等陸佐
20年8月 防衛研究所
21年8月 陸上幕僚監部教育訓練部総括班長
23年8月 第34普通科連隊長(板妻)
25年8月 研究本部主任研究開発官(朝霞)
26年8月 第2師団幕僚長(旭川)
28年3月 陸上幕僚監部防衛部国際防衛協力室長
29年3月 陸上幕僚監部防衛部防衛協力課長
29年12月 第7師団副師団長兼ねて東千歳駐屯地司令(東千歳) 陸将補

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コメント

  1. teru より:

    斎藤兼一陸将補の入隊が昭和63年7月となっているようですが、考えられるのは、一般2士で入隊後に一般幹部候補生の試験を受験し入隊し直したのでは?と思うのですが・・・?一般幹部候補生の採用は年1回で途中採用はないはずですので。

    • ytamon より:

      teru様コメントありがとうございます。
      第7師団の公式プロフィールには、「昭和63年(1988年)7月 幹部候補生学校入校」とあるので、時期外れですが、最初から幹部入隊で間違い無さそうです。
      恐らく誤解がないように、ここまでの書き方をしてるのでしょうね。
      しかし、防衛年鑑記載の幹候の期別は、平成元年3月と同期という謎・・・。
      このあたりは、中の人に聞かないとわからなそうです。