兒玉恭幸(こだま・やすゆき)|第33期・陸上自衛隊

児玉恭幸は昭和42年1月生まれ、宮崎県延岡市出身の陸上自衛官。

防衛大学校第33期卒業(機械工学)で幹候70期、出身職種は野戦特科だ。

時に「陸上幕僚長への最初の通過点」と言われることもある、防衛大学校ラグビー部の出身である。

平成27年8月(2015年8月) 第28代 第1空挺団長・陸将補

前職は陸上幕僚監部人事部募集援護課長 であった。

なお、第1空挺団長としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】全ては任務が基準

2017年11月現在で第1空挺団長にある兒玉。

陸上自衛隊の中で極めて特異な位置づけであり、精鋭無比として知られる、言わずと知れた殴り込み屋だ。

2017年11月現在で中央即応集団隷下にあり、2018年3月に新編される陸上総隊隷下に編入予定の、我が国の最精鋭部隊の一つである。

国家の非常時には空中機動力を活かし、軽武装で戦地に駆けつける特殊な任務を担い、また数々の特殊戦闘訓練も行っていることからその作戦担当能力は非常に広く、時に敵の堅陣に撃ち込む鋭い楔となって、我が国の尖兵となる。

そのため意外なようだが、隊員には筋肉ダルマのような体格のものは少なく、どちらかという細マッチョが多い(もちろん細マッチョとは言え、その筋肉量は常人の考えるレベルではない)。

おそらくこれは、筋肉を付けすぎると体が多くの酸素とカロリーを消費してしまう事による。

そうなると、潜水作戦やゲリラ作戦を遂行する際に不利になり、必要最小限の筋肉を身に着け、その筋肉を使い最大限のパフォーマンスを発揮することを目指しているのではないだろうか。

このような考え方は、特殊作戦群、海上自衛隊の特別警備隊でも採用されているが、おそらく空挺団もそのようなことで、細マッチョが多くなっていると思われる。

さて、その精鋭部隊を率いる兒玉だが、もちろん兒玉自身もどこかから借りてきた置物の団長ではない。

防衛大学を卒業し、初任地となったのがいきなりの第1空挺団特科大隊。

平成19年には第1空挺団特科大隊長を務め、その勢いのままに平成27年8月、第1空挺団長に着任した空挺屋である。

3度目の習志野ということになり、第一空挺団が塒(ねぐら)のような男だ。

なお兒玉は、連隊長(相当職)を、福島県郡山市に在る第6特科連隊で経験。

時に平成23年8月であり、東日本大震災の傷跡がまだ十分に癒えない時期である。

陸自郡山駐屯地として、震災後初めてとなる駐屯地の記念イベントを司令として迎えたわけだが、この際に式辞を述べる兒玉はとても印象的であった。

駐屯地祭や師団の開設記念行事に出席した事がある人であれば、あるいはご存知だと思うが、基地司令や師団長、方面総監ですらも、記念式典の挨拶は下を向き、原稿を読むばかりの人が多い。

本質は武人でありスピーチの得手不得手は関係ないとは言え、高級幹部にもなれば訓示一つで隷下部隊の士気に大きな影響を与える立場だ。

中には演説が苦手過ぎて、見ている方がハラハラする高級幹部もいる程である。

そんな中、震災後初となるこの福島の地で兒玉は、原稿を演台に置きマイクを持ち、そして観客席に向き直って駐屯地祭開催のお礼を述べるという、感動的ですらある式辞を見せた。

あの未曾有の大震災において陸海空自衛隊の果たした献身的な活躍は忘れがたく、自衛隊への感謝の気持ちが日本国中に溢れたことは記憶に新しい。

その郡山駐屯地の司令が震災後初となる駐屯地祭で、来賓や観客、そして国民に対し自衛隊活動へのお礼を述べるというのは逆ではないかと思う程だが、兒玉のスピーチは、今の自衛隊は真に「国民の自衛官」集団であることを聴衆に強く印象づけるものになった。

戦後長きに渡り、主に左翼系と言われる団体からいわれなき誹謗中傷を受け、その名誉を徹底的に貶められ続けてきた自衛隊だが、それでも彼らは顔を上げ、誇りを持ち続け、不断の練磨に励み続け、そして多くの国民の命を救った。

日本にこのような誇り高い人たちがいてくれて、自衛隊がいてくれて、本当に良かった。

その兒玉について、少しその昇任とキャリアを詳しく見ていきたい。

陸上自衛隊に入隊したのが平成元年の33期。

1等陸佐に昇ったのが平成20年1月なので、33期1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

そこから陸将補に昇ったのが平成27年8月なので、陸将補レースでは、同期最速に1年遅れたことになる。

しかしそれでも十分なスピード出世であり、スーパーエリートで在ることに変わりはない。

なお兒玉と同じ33期に有り、陸将補の階級に在るものは以下の幹部たちだ。

なお33期組は、まだ陸将に昇る考課期間を満たしておらず、もっとも出世が早いものでも陸将補である。

最初に陸将に昇るものは、2020年に誕生するだろう。

梅田将(第33期相当)・大阪地方協力本部長

酒井秀典(第33期)・航空学校副校長

末吉洋明(第33期)・統幕運用部副部長

児玉恭幸(第33期)・第1空挺団長

冨樫勇一(第33期)・統合幕僚監部報道官

楠見晋一(第33期)・東京地方協力本部長

廣惠次郎(第33期)・通信学校長

堀江祐一(第33期相当)・第8師団副師団長

宮本久徳(第33期)・第1高射特科団長

山根寿一(第33期)・東北方面総監部幕僚副長

牛嶋築(第33期)・指揮通信システム・情報部長

(※肩書はいずれも2017年11月現在)

総勢で11名。

数が多いので、この中で1選抜で陸将補に昇ったものだけを紹介すると、富樫、末吉、山根、牛嶋の4名だ。

いずれも2014年8月に昇任しており、まずはこの4名が33期組でトップを走っている、出世レースの状況と言っていいだろう。

あるいはこの中から、7~8年後の陸上幕僚長が誕生しているかもしれない。

過去に多くの陸上幕僚長を排出し、また現役でも方面総監や陸幕の要職にある多くの最高幹部たちがここ第1空挺団出身であり、良い仕事をして昇任していった。

兒玉についても同様に、自衛隊内外の期待は非常に大きい。

今後とも注目し、その活躍を追っていきたい高級幹部である。

本記事は当初2017年7月17日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月28日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

第1空挺団は精鋭無比の実力集団だが、その前身は戦前にまで遡り、「空の神兵」と呼ばれた帝国陸軍挺進団がその発祥となる。

この陸軍挺進団の戦時中における活躍はめざましく、大東亜戦争の初戦では蘭印にわずか300名余りで空挺降下し完全に奇襲を成功させ、戦争初期の目標であった大油田をほぼ無傷で確保し大きな手柄を残すなど、その武勲は数え切れない。

なおこの作戦に従軍し、2016年に自らの経験を出版した奥本實元中尉の著書、

「なぜ大東亜戦争は起きたのか? 空の神兵と呼ばれた男たち」

の一節には、奥本がこの作戦に従事する前に記した寄せ書きが掲載されている。

「本日ノ給養ハ靖国ニ於テス 奥本」

現代語風に言えば、「休息など靖国でいくらでもできる」と言ったところだろうか。

まさにクレイジーであり、そんなクレイジーのDNAを色濃く受け継いだ陸上自衛隊第1空挺団。

誇り高い多くの男達の人生と歴史を背負い、兒玉もまた誇り高い任務を続けている。

◆兒玉恭幸(陸上自衛隊) 主要経歴

平成
元年3月 陸上自衛隊入隊(第33期)
2年3月 第1空挺団特科大隊
8年8月 陸上自衛隊幹部学校(学生)
10年8月 函館地方連絡部募集課
12年1月 3等陸佐
12年8月 防衛庁長官官房
14年8月 陸上幕僚監部防衛部運用課
15年7月 2等陸佐
18年3月 統合幕僚監部運用部運用第1課
19年8月 第1空挺団特科大隊長
20年1月 1等陸佐
20年8月 防衛研究所(学生)
21年7月 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課運用支援班長
23年4月 陸上幕僚監部運用支援・情報部運用支援課運用支援第1班長
23年8月 第6特科連隊長
25年3月 陸上幕僚監部人事部募集援護課長
27年8月 第1空挺団長 陸将補

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 第1空挺団公式Webサイト(顔写真及び訓練写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/1abnb/leader/

http://www.mod.go.jp/gsdf/1abnb/topics5rec/

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