今瀬信之(いませ・のぶゆき)|第29期・航空自衛隊

今瀬信之は昭和37年10月生まれ、岐阜県出身の航空自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候75期、出身職種は飛行でF-15戦闘機のパイロットだ。

平成29年9月(2017年9月) 飛行開発実験団司令・空将補

前職は第8航空団司令兼築城基地司令であった。

2017年12月現在、我が国の航空技術開発の総本山とも言える飛行開発実験団司令を務める今瀬だ。

10年後の新技術だけでなく、既存技術の新たな運用方法や改良といった戦力向上の開発及び試験を主任務とし、その守備範囲は航空機だけでなくミサイルを含めた各種兵器にも及ぶ。

今瀬がこのポストに着任したのは2017年9月であり、先進技術実証機X-2の実験・開発が佳境を迎えている時期と思われる。

またF-35の組み立ても終わり、三沢基地への配備を控えテスト飛行が繰り返されている真っ只中であることも間違いないだろう。

つまり、様々な技術と兵器が代替わりし、その新たな運用方法を確立しなければならない極めて重要な時期に、今瀬は飛行開発実験団司令を任されたことになる。

言い換えれば、我が国の30年ないし40年先までの国防をも左右するほどの重責を任されたと言ってもよく、今瀬にかかる自衛隊内外の期待は極めて大きい。

その今瀬は、F-15戦闘機のパイロットとして第2航空団第203飛行隊、第5航空団第202飛行隊、第7航空団第305飛行隊長などの現場で指揮を執り続けた、我が国屈指の凄腕のパイロットだ。

飛行隊長経験も、精鋭中の精鋭である305飛行隊長であることからその力量に対する評価を垣間見ることが出来る。

そんなこともあるのだろう、今瀬のキャリアは、戦闘機パイロットの一線に在る時から、あるいは一線を退いた後も教育系のポストが目立ち、後進の指導育成を任されることが多い。

その極めつけは、平成23年から補職された特輸隊(特別航空輸送隊)司令だ。

特輸隊の任務は、わかりやすく言えば主に政府専用機の運用を担当する部隊である。

もっとイメージしやすい言葉で言うと、米国大統領で言うところのエアフォース1を運用する責任者といえばわかりやすいだろうか。

このポストには、操縦技術の高さが必須であることは言うまでもなく、我が国に対する類稀な貢献、任務に対する比類なき完成度の高さ、そして何よりも、絶対に信頼できるという幹部自衛官しか就くことができない。

あらゆる意味で特別なキャリアを歩み、空将補まで昇り詰めたエリート航空自衛官である。

さて、その今瀬のキャリアについてもう少し詳細に見ていきたい。

今瀬が航空自衛隊に入隊したのは昭和60年3月。

1等空佐に昇ったのが平成16年1月なので、第29期1選抜(1番乗り)のスピード出世だ。

1等空佐昇任後、すぐに米国に短期留学し空幕や統幕で要職を歴任して、空将補に昇ったのが平成27年8月。

こちらは同期1選抜に比べて5年遅い昇任となったが、いうまでもなく、そもそも将官に昇れることそのものが極めて一部のエリートのみである。

今瀬の場合、そのキャリアから考えて全軍を俯瞰するポストというよりも、凄腕パイロットとして、職人的な仕事を任される事が多かったのであろう。

そのため、全軍を率いるキャリアに必須な「昇任の早さ」とは無縁な経歴となっているが、逆にその分、パイロットとしての凄みを感じさせる。

そして凄腕パイロットとしての知見を活かし、飛行開発実験団司令に着任したのだから、極めて頼もしい限りだ。

なお、今瀬とは無関係とは言いながら、やはり気になるのは同期の出世レースだ。

その第29期の空幕長候補レースは、2017年12月現在で以下の者たちが切磋琢磨しながら成果を競い合っている。

城殿保(第29期)・北部航空方面隊司令官(2016年7月)

三谷直人(第29期)・航空自衛隊補給本部長(2016年7月)

長島純(第29期)・航空自衛隊幹部学校長(2016年12月)

増子豊(第29期)・統合幕僚監部運用部長(2016年12月)

※肩書はいずれも2017年12月現在。( )内は空将昇任時期。

このようにしてみると、頭一つ抜けているのはやはり城殿だろう。

三谷も可能性が無いわけではないが、航空自衛隊には、補給本部長から航空幕僚長に昇った将官は過去にたったの一人もいない。

それどころか、全員がこのポストを最後に勇退している。

三谷で34代目であるが、過去33人の補本長(資材統制隊司令時代から含む)全員が退役していることから考えると、なかなかこのポストから航空幕僚長候補へのジャンプアップは難しいだろう。

とは言え、補給系の仕事が極めて重要なことは疑いようがなく、1選抜で空将に昇り詰めた三谷だ。

29期という年齢を考えても、このポストを最後に退役するとは考えにくいのが正直なところなので、あるいは何か、サプライズが待っているのかもしれない。

いずれにせよ、このようなスーパーエリートとはまた違うところで、特別な存在感を放ちながら活躍している今瀬には無関係と言っては言いすぎかもしれないが、我が道と任務を行くのみである。

空自屈指のエリートパイロットにして後進教育に大きな成果を挙げ続けてきた今瀬の活躍には、今後とも注目しながら追っていきたい。

本記事は当初2017年7月17日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年12月9日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

ところで、自衛隊あるいは自衛官個人を顕彰する、民間では唯一の賞になっている制度を産経新聞が運用していることを知る人は少ない。

「国民の自衛官」表彰がそれだが、毎年十数名の自衛官が選出され、勇気ある行動や優れた成績を挙げた者、あるいは命の危険を顧みず人命救助にあたった心身ともに強い自衛官などを、特に表彰するものだ。

2017年度で15年目を迎えるすっかり定着した制度だが、毎年秋口に発表され、詳細なプロフィールとともに産経新聞紙面で顕彰されることになっている。

もちろん防衛省も公認であり、防衛省の協力の下で表彰式も行われているものだ。

そしてこの「国民の自衛官」表彰制度で、まだ2佐で第7航空団第305飛行隊長であった頃の今瀬が、記念すべき第1回受賞者に選出されている。

我が国を代表するF-15戦闘機の戦闘集団・305飛行隊長として部隊をまとめ、また自らも極めて優れた戦闘機操縦技術を有していることから選ばれたものだが、今瀬はこんなに優しそうでスマートな紳士に見えるが、本当に凄腕のパイロットである。

なお、ページ最上部に在る画像は、今瀬が第8航空団司令であった時に航空祭で撮影されたひとコマだ。

ゆるキャラの一日司令とともに壇上で敬礼をする司令など、カタブツの陸自駐屯地記念祭ではまずお目にかかれない光景だが、空自のエリート幹部である今瀬は、こんなことまで許してしまうお茶目な一面も持ち併せている。

とは言え、敬礼をすると言うので着帽させてるまでは良いが、手が揚がっておらずほっぺたをかいているだけではないか・・・。

やはり航空自衛隊は、勇猛果敢・支離滅裂だ。

◆今瀬信之(航空自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 航空自衛隊入隊(第29期)
60年9月 飛行教育集団付(浜松)
63年7月 第2航空団第203飛行隊(千歳)

平成
3年8月 防衛大学校(横須賀)
5年8月 第5航空団第202飛行隊(新田原)
8年1月 3等空佐
8年8月 航空幕僚監部人事教育部教育課(六本木)
10年3月 幹部学校付(目黒)
11年3月 補給本部(十条)
11年7月 2等空佐
13年3月 第7航空団司令部防衛部(百里)
14年3月 第7航空団第305飛行隊長(百里)
16年1月 1等空佐
16年3月 幹部学校付(米国留学)
17年7月 航空幕僚監部防衛部防衛課(市ヶ谷)
18年3月 航空幕僚監部編成班長(市ヶ谷)
19年9月 飛行教育航空隊司令(新田原)
21年7月 統合幕僚監部運用部運用第1課長(市ヶ谷)
23年4月 特別航空輸送隊司令(千歳)
24年12月 航空教育集団司令部教育部長(浜松)
27年8月 第8航空団司令兼築城基地司令(築城) 空将補
29年9月 飛行開発実験団司令(岐阜)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 築城基地公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/asdf/tsuiki/kichishirei/index29-01.html

http://www.mod.go.jp/asdf/tsuiki/kichishirei/index27-11.html

http://www.mod.go.jp/asdf/tsuiki/kichishirei/tyakunin.html

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