井川三典(第27普通科連隊長・1等陸佐)|第40期相当・陸上自衛隊

井川三典(いがわ・みつのり)は昭和46年4月24日生まれ、広島県三原市出身の陸上自衛官。

平成8年4月に一般大学を卒業し陸上自衛隊に入隊しているので、幹候は77期ということになる、職種は普通科だ。

平成30年8月(2018年8月) 第27普通科連隊長兼ねて釧路駐屯地司令・1等陸佐

前職は第4陸曹教育隊長であった。

なお、第27普通科連隊長としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】

『任務完遂』

【要望事項】

『日々の練成』『チームワーク』

また、前職の第4陸曹教育隊長であった時の指導方針は以下の通りであった。

【要望事項】

「情熱・愛情」

「徹底」

「鍛錬」


(画像提供:小島肇・元2等陸佐


(画像提供:陸上自衛隊第27普通科連隊公式Webサイト

2018年10月現在、第27普通科連隊長兼ねて釧路駐屯地司令を務める井川だ。

なお防衛大学校の期別相当だが、幹候だけで見ると77期は防衛大学校第40期相当ということになるが、40期はストレートの場合、昭和48年度の生まれだ。

そのため、あるいはなんらかの理由で38期相当という可能性もあり、判明次第修正し、追記したい。

また今回、井川の写真については同じ第27普通科連隊で、かつて副連隊長を務めた小島肇(第19期・空挺基本126期)から一部、お借りさせて頂いている。

自衛隊を退官後は映像作家として独立した、異色の元自衛官だ。

当サイトでも、自衛隊の知見や撮影された画像などで何度もお世話になっている、誇り高き元幹部自衛官である。

記事の作成に先立ち、この場をお借りして先にお礼を申し上げたい。

小島様、いつも本当にありがとうございます!

さて、第27普通科連隊長の井川についてだ。

第27普通科連隊は、戦前に同じ釧路に所在した歩兵第27連隊からナンバリングを受け継ぐ数少ない連隊であり、戦前から今に至るまで、地域との絆が極めて強い部隊として知られる。

また司馬遼太郎の「坂の上の雲」で知られる203高地を巡る激戦では、最初に203高地の山頂にたどり着き、その一角の占拠に成功したのも、この歩兵第27連隊の勇敢な将兵たちであった。

ご存知のように、日露戦争の勝利は203高地の奪取から勢いを増すことになる。

というよりも、203高地が陥落しなければ日本海軍は敗れ、そして制海権を奪われた日本陸軍は大陸で干上がり、我が国は敗滅していた可能性が極めて高いと言って良いだろう。

そのような中、数次に渡る総攻撃で生じた甚大な被害に耐え、最後の最後に203高地を奪取することに成功したのが、この歩兵第27連隊などの将兵たちだった。

そのような、日本を亡国の危機から救った極めて勇敢な将兵たちの伝統を受け継ぐのがこの釧路第27普通科連隊だが、釧路駐屯地は、北海道東部の南側、海から少し陸側に入ったところに所在している。

道東らしく冬の寒さは格別だが、海辺の地形という影響もあってか、積雪そのものは多くなく、意外にも日本屈指の日照時間を誇る。

しかし、晴れて雪が少ないということはその分、冬の寒さが厳しいということでもある。

「風雪磨人」を合言葉とする遠軽駐屯地とはまた違った意味で、非常に厳しい自然環境にあり、その大自然の厳しさが、勇敢な将兵・幹部曹士たちを育んできた。

そして、精強な幹部曹士を率いることができるのもまた、心身ともに強靭な幹部自衛官のみだ。

その第30代となる連隊長に着任した井川は、一般大学の卒業生ではあるが、我が国の最精鋭部隊の一つ、第1空挺団を原隊とする勇猛果敢な幹部であり、その経歴は極めて充実している。

また前職では、部隊運営の基幹とも言うべき陸曹の教育にあたる、第4陸曹教育隊長を任されたほどに現場オペレーションにも精通する稀有な幹部である。

まさに、この伝統と精強さを誇る第27普通科連隊を率いるにふさわしい、誇りある1等陸佐であると言ってよいだろう。

では、そんな伝統ある部隊を率いる井川とは、これまでどのような経歴を歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、そのキャリアを見ていきたい。

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