服部正(はっとり・ただし)|第29期・陸上自衛隊

服部正は昭和38年1月生まれ、大阪府出身の陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候66期、出身職種は航空科で回転翼機のパイロットだ。

平成28年12月(2016年12月) 第27代第1ヘリコプター団長兼木更津駐屯地司令・陸将補

前職は陸上自衛隊航空学校副校長であった。

なお、第1ヘリコプター団長としての指導方針は以下の通り。

【統率方針】

「空地一体の任務完遂」

【要望事項】

「執念を持ってプロとして能力向上に取り組め」

「仲間を信頼し、供に助け、必ず連れて帰れ」

2017年11月現在、「空の特殊部隊」と言っても良いであろう、第1ヘリコプター団を率いる服部だ。

同団は中央即応集団の隷下にあり、第1空挺団や特殊作戦群と一体となってその機動力を発揮し、有事にあっては軽武装・高機動の部隊を率いて初動にあたる輸送機動の中核部隊となることで知られている。

その為、空挺隊員や特殊作戦群隊員の機動輸送はもちろん、軽装甲機動車などを輸送ヘリCH-47から吊り下げ空輸を行うなど特殊な技能も有しており、我が国周辺で起こり得る、あらゆる有事への投入が想定されている。

なお、その第1ヘリコプター団は、2018年3月に行われる陸自大改革で上級組織の中央即応集団が廃止されることから、所属の編成替えが予定されている。

この際、同じ中央即応集団隷下にある特殊作戦群や第1空挺団とともに、2018年3月に新設される陸上総隊の隷下となり、陸上総隊司令官の直轄部隊して新編となる。

その目的とするところは、他の陸上戦力と一体になったさらなる作戦範囲の拡大だ。

おそらく陸上総隊隷下にあっては、西普連(西部方面普通科連隊)や海上自衛隊の第1輸送隊といった島嶼防衛作戦部隊などとも連携し、さらにその活躍の場を広げていくことだろう。

まさにその改編期にあって、2016年12月に団長に着任した服部である。

改編を主体的に担うことを任された人事であって、組織改編後もそのまま、服部が第1ヘリコプター団長として同団を率いることになるのは確実であり、陸自内外の服部に対する期待の大きさを窺える人事であるといえるだろう。

なお余談だが、第1ヘリコプター団は、航空自衛隊でいうところの特輸隊(特別航空輸送隊)に相当する機能を持っていることは余り知られていない。

米国大統領も、大統領専用機と言えばエアフォース1ばかりが妙に有名だが、海兵隊もマリーン1という大統領専用機を保有しているように、実は陸自にもVIP専用のヘリが存在する。

それが、第1ヘリコプター団がその隷下で運用する特別輸送ヘリコプター隊であって、EC-225LPヘリコプターがその大役を担っている。

平時において搭乗できるのは、皇族や政府要人といった最上級のVIPのみ。

陸自がこれら要人の空輸を担当する場合に用いられるが、その隊員の士気・操縦技量は共に極めて高く、ある意味における陸自ヘリパイロットの最高峰だ。

さて、その服部についてキャリアを紐解いてみたい。

陸上自衛隊に入隊したのは、29期なので昭和60年3月。

幹部学校を出るとすぐに第1飛行隊に配置され、ヘリパイロット幹部としてのキャリアを歩み出す。

1等陸佐に昇ったのは平成16年1月で、29期1選抜(1番乗り)でのスピード出世だ。

1等陸佐時代は、西部方面航空隊長を1年半ほど務めているものの、そのキャリアはほとんど、中央で陸幕や統幕の要職に就き、航空科幹部としての現場経験を組織の知見として活かす仕事に携わっている。

また兵庫地方協力本部長を務めるなど、幅広い方面に力を発揮していることも窺える、非常に充実したキャリアだ。

そして平成25年、第8師団副師団長に補職され陸将補に昇任。

航空学校副校長で後進の指導・育成に携わった後、再び現場に戻り第1ヘリコプター団という精鋭を任された形だ。

なお、ここまで充実したキャリアであれば、「より上」に行くことがあるのかどうか、というのもやはり気にかかるところだが、29期組は既に陸上幕僚長候補の「最終出走馬」は出揃っている。

服部の場合、堅実な現場運営を任された上で陸将補にあるので、陸上幕僚長候補としての出世ルートにはない。

その上でだが、2017年11月現在で陸将のポストに在り、次の次の陸上幕僚長候補にある最高幹部は、以下の通りになっている。

柴田昭市(第29期)・第1師団長

山内大輔(第29期)・陸上自衛隊関東補給処長

清田安志(第29期)・第6師団長

納富 中(第29期)・第9師団長

本松敬史(第29期)・統合幕僚副長

上尾秀樹(第29期)・防衛大学校幹事

高田克樹(第29期)・陸上幕僚副長

※肩書はいずれも2017年11月現在

この中で、陸上幕僚長候補のルートにあるものは、本松、上尾、髙田の3名だ。

同じ陸将の中でも、すでに頭一つ抜けており、もし29期組から陸上幕僚長が誕生する状況になった場合、この3名の中から選ばれることは間違いないだろう。

こういった出世ルートとはまた違う形で、我が国の平和と安全に、最高幹部の立場で貢献する服部である。

おそらく後職では、航空学校長に就くか、もしくは陸上総隊での要職を任されることになるのではないだろうか。

航空科の最高幹部であり、現場に通じた回転翼のエキスパートである服部。

その活躍からは、最後まで目が離せそうにない。

本記事は当初2017年7月22日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年11月30日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

服部がそのキャリアの中で、兵庫地方協力本部長に就いたのは、東日本震災の発生した2011年8月。

自衛隊の救助活動がやっと一段落し始めた時であった。

このポストにあった頃、各種講師に招かれた服部は時期的に、被災地における自衛隊の活動について話すことが多かったようだが、

「被災者の皆様を家族と思って接しろ」

と部下に訓示し、過酷な任務の中でも厳しく部下を統率した経験を多く話しているのが印象的だ。

自衛隊員とその家族にも多くの被災者がありながら、連日の過酷な任務を遂行し、その救助の手を休めようとしなかった姿は神々しくさえあった。

そして、被災者を家族と思い支援したという話には、ただただ尊敬の念を感じるのみであり、心が熱くなる思いがする。

一方でこの話には伏線があり、東日本大震災発生直後、多くの犠牲者が発生しているのを察知した北澤俊美防衛大臣(当時)は、JTF-TH(Joint Task Force – Tohoku、陸海空自衛隊統合部隊)の指揮官であった君塚栄治に、

「犠牲者のご遺体は、生きている人と同じように丁寧に扱うこと」

という指示を出す。

君塚はこの指示を現場に下令する際、

「犠牲者のご遺体には自分の家族と思って接しよ」

と言い換えて命令した。

生きている人と同じように、という抽象的でわかりにくい指示を、誰にとってもわかりやすく、どのように接するべきかを直感的に理解できる言い方に改めた君塚の用兵能力はさすがであるが、おそらく

「被災者の皆様を家族と思って接しろ」

という方針は、この君塚の命令から派生し、現場で当然のように広がった価値観であったように思われる。

改めて、君塚という素晴らしい指揮官をわずか63歳で亡くしてしまったことが悔やまれ、またそのような指示を自然に体現できる我が国の自衛隊という組織の、モラルの高さと誇り高い武人の魂に敬意を感じずにはいられない。

日本に自衛隊という組織があって、本当に良かった。

◆服部正(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 陸上自衛隊入隊(第29期)
60年3月 幹部候補生学校(前川原)
61年3月 第1飛行隊(立川)

平成
8年1月 3等陸佐
9年8月 陸上幕僚監部人事部補任課(檜町)
11年7月 2等陸佐
11年8月 第3飛行隊長(八尾)
13年3月 陸上幕僚監部教育訓練部訓練課(市ヶ谷)
16年1月 1等陸佐
16年3月 研究本部研究員(朝霞)
16年8月 防衛研究所(目黒)
17年8月 幹部学校戦略教官室(目黒)
18年3月 統合幕僚監部防衛計画部防衛班長(市ヶ谷)
19年12月 西部方面航空隊長兼高遊原分屯地司令(高遊原)
21年8月 陸上幕僚監部装備部航空機課長(東京)
23年8月 自衛隊兵庫地方協力本部長(兵庫)
25年12月 第8師団副師団長兼北熊本駐屯地司令(北熊本) 陸将補
26年12月 陸上自衛隊航空学校副校長(明野)
28年12月 第1ヘリコプター団長兼木更津駐屯地司令(木更津)

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省航空自衛隊 第1ヘリコプター団公式Webサイト(顔写真及び着任式)

http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/heridan/topics161220/index.html

http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/heridan/introduction/index.html

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