大庭秀昭(北部方面総監部幕僚長・陸将補)|第30期・陸上自衛隊

大庭秀昭(おおば・ひであき)は昭和39年3月1日生まれ、福岡県北九州市出身の陸上自衛官。

防衛大学校第30期の卒業で幹候67期、出身職種は普通科だ。

平成29年3月(2017年3月) 北部方面総監部幕僚長・陸将補

前職は幹部候補生学校長であった。


(画像提供:陸上自衛隊第10師団公式Webサイト 第10師団だより2015年4月号)

2018年12月現在、火力・勢力ともに我が国で最大を誇る北部方面隊で、幕僚長を務める大庭だ。

着任当初は、陸上幕僚長に昇任した山崎幸二(第27期)が総監を務めるその幕僚長として、北の精鋭を運用した。

前職では、幹部候補生学校長を務めるなど、印象的な補職が目立つ30期組の最高幹部だ。

その大庭だが、敢えて印象深い一つのポストとエピソードを挙げるとすれば、それは「菊水連隊」、大阪信太山の第37普通科連隊長への上番だろうか。

37普通科連隊は、大阪城にその司令部を構えた陸軍野砲兵第四聯隊をその前身とする。

日清・日露戦争での数々の武勲はもちろん、明治新政府の下で大阪鎮台の主力として日本国内を転戦し、非常な武勇を謳われた部隊だ。

いわば、我が国で最も古い歴史と伝統を持つ部隊の歴史を引き継いでおり、その士気も極めて高い。

なお・・・勢い余って国道に迫撃砲を撃ち込んだことはさすがに褒めてはいけない(2018年11月)。

それにしても、あのヤラカシ方も中々のものであったが、謝罪会見でマイクを取っていたのは、37普連長ではなく、今津駐屯地司令で第3戦車大隊長の水谷清隆(第43期)であったのが印象的だ。

まさに「責任罰」といったところなのだろうが、多くの人の尊敬を集めるある元幹部自衛官は、

「責任罰は男の勲章たい!」

と、部下の不祥事で処分を受けた、後輩の幹部自衛官を叱咤激励したと聞いたことがある。

ぜひ、やらかした方も、頭を下げた方も、けが人がいなかったという不幸中の幸いを天佑として、前を向いて更に厳しい訓練に臨んで欲しいと願っている。

大庭の話に戻る。

大庭はこの第37普通科連隊長であった頃に、連隊の歴史に残る一つの行事を実行している。

それは、37普通科連隊が所在する信太山駐屯地から、住之江公園までの新年の「記念行進訓練」だ。

言うまでもなく、住之江公園とはエクスキューズであり、その行進の目的は住之江公園内にある大阪護國神社であることは明白だろう。

大阪信太山のお膝元にあり、先の大戦で戦没した大阪出身者の将兵をお祀りする神社なわけだが、残念ながら戦後、第37普通科連隊として護国神社を参拝した連隊長とその隷下部隊は皆無であった。

なおかつ、大庭がこの「住之江公園」までの行進を実施したのは平成22年1月であり、東日本大震災の前年だ。

つまり、今ほどには自衛隊に対する理解が進んでおらず、その実施には相当な逡巡、あるいは圧力もあったことだろう。

しかし大庭は、それでもやりきって組織として守るべき価値観、先人への敬意を体で示した。

当時の世相を考えると、自らの保身と栄進だけを考えれば、間違いなくやらなかった方が良かったのかもしれない。

自衛隊に対する理解が進んだ2018年現在でも、その実施にはかなりの英断が必要になるはずだ。

そんな思いを貫き通した大庭の価値観、統率姿勢一つをとっただけでも、どれほどの指揮官であるのかが伝わってくるようなエピソードである。

ぜひ、大庭を理解する上で知っておいてほしい、普通科連隊長としての一コマであった。

では、そんな一面をもつ大庭とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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