武藤茂樹(航空総隊司令官・空将)|第28期・航空自衛隊

武藤茂樹(むとう・しげき)は昭和36年12月生まれ、埼玉県出身の航空自衛官。

防衛大学校第28期の卒業で幹候74期、職種は飛行だ。

F-15戦闘機のパイロットであり、TACネームはトニーである。

平成30年8月(2018年8月) 航空総隊司令官・空将

前職は航空総隊副司令官であった。

(画像提供:航空自衛隊航空総隊司令部公式Webサイト

(画像提供:航空自衛隊航空総隊司令部公式Webサイト

2018年12月現在、航空総隊司令官の要職を務める武藤だ。

航空総隊は、その名前から戦闘機などの航空機部隊を統率する組織と誤解をされるかも知れないが、高射部隊や管制部隊をもその隷下に置き、我が国の航空戦闘の中枢を担う。

航空戦闘に必要な部隊を一元的に指揮する組織と考えたほうが、わかりやすいだろう。

また有事の際には、海上自衛隊のイージス艦などを含めたBMD(Ballistic Missile Defence:対弾道ミサイル防衛システム)網の統合司令官を務めることも定められており、その責任は極めて重く、国民からの期待は非常に大きい。

これだけの要職に着任する武藤のことだ。

その経歴は非常に充実しており、その全てが我が国の安全保障に直結すると言っても良いポストばかりであったが、敢えてここでは、武藤の新人時代のことを取り上げてみたいと思う。

武藤のパイロットとしての初任地は、千歳に所在する第2航空団であった。

冷戦の残り香がまだ色濃く感じられる昭和63年、F-15戦闘機を任された20代の若者は、非常な緊張感の中で対ソ防衛の最前線に立ち、日夜スクランブルで空に上がり続ける。

千歳における最前線での激務は4年に及んだが、武藤はこの過酷な任務の中にあって、いつの間にか美しい令夫人とめぐり逢い結婚し、子供まで授かるという、公私に渡るタフさを発揮した。

(本当にタフである・・・。)

そのため後年、人生で思い出深い地の一つとして第2航空団201飛行隊時代の千歳を上げているインタビュー記事を目にしたことがあるが、それももっともであろう。

なお、その思い出の地である第2航空団では、平成22年7月から司令として指揮を執り、再び北の防人として我が国の平和と安全に担う活躍を見せた。

また武藤は、平成28年12月から南西航空混成団司令を務め、29年7月に航空方面隊に格上げされ南西航空方面隊となった際の、初代司令官を務めている。

そしてこの時期の沖縄方面はまさに、準戦場とも言える、非常に緊張が高まった空域となった。

2016年度、航空自衛隊が行ったスクランブルの回数は過去最多を数え、実に1168回。

そしてその7割は南西航空方面隊、つまり武藤の管轄空域であり、侵略の意図を強める中国の脅威は極めて現実的になっている。

そのような南西方面の防衛を任され、全く隙を見せず、我が国の空の安全を守り抜いた武藤が航空総隊司令官に昇任するのは、ある意味で当然の流れだったと言ってよいだろう。

常に国防の最前線で戦い続けた男は今、我が国の航空戦力のほぼ全てを指揮統率し、日本と世界の平和のために体を張り続けている。

では、そんな要職を歴任し続けている武藤とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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