平栗浩一(ひらくり・こういち)|第29期・陸上自衛隊

平栗浩一は昭和36年9月生まれ、東京都出身の陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業で幹候66期、出身職種は施設科だ。

国際貢献活動や東日本大震災での災派経験など、有事における施設部隊の展開に長けたエキスパートである。

平成28年3月(2016年3月)  第1施設団長兼古河駐屯地司令・陸将補

前職は防衛大学校防衛学教育学群統率・戦史教育室長であった。

2017年12月現在、第1施設団で指揮を執る平栗だ。

施設科出身のエリート自衛官であり、陸上自衛隊入隊以来、そのキャリアは施設科とともにあり続けてきた。

その平栗のキャリアはどれも印象深いものばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、まだ30歳そこそこの若き士官であった頃に経験した、第1次モザンビーク派遣輸送調整中隊の小隊長を務めたことであろうか。

第1次モザンビーク派遣は、我が国が経験した3度目の海外への部隊派遣を伴うPKOであり、遠く離れ我が国と馴染みの薄い国での活動である。

あらゆる情報が不足する中、過酷な砂漠の気候下において天幕を張り野営し、食事や水はポルトガルやイタリアの部隊から分けて貰いながら部隊を展開した。

この際にモザンビークに派遣されたのは48名。

当時平栗が所属していた福島駐屯地からは平栗1名のみが選抜された派遣要員となったが、それだけ平栗にかかる期待が、若き士官の時代から大きかったということなのだろう。

なおこの派遣は、その前年である平成4年に国連職員である中田厚仁さんが、そして同じ平成5年には、文民警察官である高田晴行警視がカンボジアにおいて、武装集団に襲われ殉職した直後のことである。

PKOに派遣されるということは、命の危険を意識しないワケがない情勢であったが、平栗は当時を振り返り、

「平和のための仕事がしたい、そして人のためになる何かを為したい、という渇望を満たしてくれる機会がとうとう巡ってきた、との思いのほうが強かった」

と話し、非常に高い士気を持ち現地に赴いたことを語っている。

しかしそれでも、日本に残すことになった妻子のことだけはどこまでも気掛かりであったようだ。

無事帰国し、空港に出迎えに来てくれた令夫人と幼いお子さんに再開し娘の指先の暖かさを感じた時、「自分の中の何かが溶けた」と、語っている。

そして、家族の再会に涙する周囲の様子を見て、無事に帰って来られたことを初めて実感し、自分が極度の緊張の中で任務を果たしていたことに初めて気がついたと振り返る。

今も昔も変わらない、自衛隊海外派遣の一コマだ。

その大変さを知り尽くす平栗だからこそ、将官に昇ったとはいえ、部下を見る目は厳しくも暖かいのだろう。

平栗の頃から変わらず、劣悪な環境の中で我が国の国益のため汗にまみれ泥をかぶり、こんなにも献身的に活動する部隊が存在することを、深く心に刻みつけたい。

さて、その平栗は29期組の将官だが、29期組と言えばすでに陸幕長レースの”最終出走馬”は出揃っている状況だ。

2017年12月現在、陸上幕僚長を務めるのは山崎幸二(第27期)

その2期後にあたる29期なので、次の陸幕長を出しても決してサプライズではない年次である。

とはいえ、陸上自衛隊は陸海空の中で幕僚長の若返りがもっとも早く進んでいることもあり、また28期組にタレントが揃っていることから、順当に考えれば次期陸上幕僚長は28期組から誕生するだろう。

29期組はその後に、場合によっては幕僚長を誕生させることになるかもしれない。

その際に候補となる、陸将の階級にある29期組は以下の通りだ。

柴田昭市(第29期)・第1師団長

山内大輔(第29期)・陸上自衛隊関東補給処長

清田安志(第29期)・第6師団長

納富 中(第29期)・第9師団長

本松敬史(第29期)・統合幕僚副長

上尾秀樹(第29期)・防衛大学校幹事

高田克樹(第29期)・陸上幕僚副長

※肩書はいずれも2017年12月現在

総勢7名の陸将だが、実質的には本松、上尾、髙田の3名が陸幕長候補の最終選抜者である。

この3名については、早ければ2018年度中にいずれかの方面総監に昇るか、2018年3月に新設される陸上総隊において要職を務めることになるだろう。

そしてその後職として、あるいは陸上総隊司令官のポストに昇るものが出て、陸上幕僚長に着任することになるかもしれない。

いずれにせよその時期は、早くても2020年~2021年のことだ。

陸幕長が、山崎から2代続けて任期を全うした場合には定年との兼ね合いがあり、29期組から陸上幕僚長が出るのは難しい事があるかもしれないが、いずれにせよ、今まさに我が国の平和と安全を中心になって背負っている世代であることに変わりはない。

その29期において、施設科のエキスパートとして辣腕を振るう平栗である。

その活躍をしっかりと応援し、今後とも注目していきたい。

本記事は当初2017年7月27日に公開していたが、加筆修正が重なったので2017年12月18日に整理し、改めて公開した。

なお、ここから下の部分は2017年7月に公開した当時のものをそのまま残している。

その平栗には、忘れられない災派(災害派遣)がある。東日本大震災だ。

施設部隊運用のスペシャリストである平栗をしても、被災地入りした時に目にした光景は想像を絶するものであった。

平栗はそれまで、「ほとんどの災害は自衛隊で対応可能」と考えていたというが、津波という圧倒的な自然の力がもたらした瓦礫の量は桁違いであり、瓦礫を剥がさないと人命救助を行えない事態に初めて自衛隊の限界を感じたと述べている。

その為この教訓として、大規模災害にあっては民間と協調し、自衛隊と民間が一体となって、瓦礫撤去などのため機械力を集中できる仕組みを作り上げ、導入することを提案している。

あの大規模災害において、現地で指導にあたった指揮官の教訓は非常に大きい。

その実現に向けた道筋づくりもまた、平栗が自衛官として取り組みたい大きな仕事の一つだ。

なお平栗は、ほんの一握りの自衛官しかたどり着くことができない陸将補の階級にあるエリートだが、まだ若い2等陸佐であった2003年、部下が起こした事故の監督責任を取ったことがある。

第6師団第6施設大隊長であった頃の話だが、爆破訓練を行う際、適切な方法で着火を行わなかったことを原因として3分後に爆破するべき火薬が30秒で爆発し、6人の退避が遅れ負傷した事故の責任をとったものだ。

どこか冗談のように聞こえる事故だが、幸い全員が軽傷であったため、より厳しく部下を統率する、指揮官としての経験値になったと言えば言い過ぎであろうか。

取り返しのつく失敗であれば、若いうちにどんどんしておいたほうが良いのかもしれない。

◆平栗浩一(陸上自衛隊) 主要経歴

昭和
60年3月 陸上自衛隊入隊(第29期)
61年3月 第9施設大隊

平成
1年3月 防衛大学校訓練部指導教官
3年3月 第11施設群小隊長
5年3月 第11施設群中隊長
5年5月 第1次モザンビーク派遣輸送調整中隊
5年12月 第331施設中隊長
6年8月 陸上自衛隊幹部学校付
8年1月 3等陸佐
8年8月 第2施設団本部
10年3月 檜町駐屯地業務隊付
11年3月 陸上幕僚監部教育訓練部教育課
11年7月 2等陸佐
14年3月 第6施設大隊長
16年3月 陸上自衛隊幹部学校付
16年7月 1等陸佐
17年4月 第2師団司令部第3部長
19年3月 陸上幕僚監部装備部施設課建設班長
21年4月 第4施設群長
22年8月 陸上幕僚監部装備部施設課長
24年8月 東北方面総監部装備部長
26年12月 防衛大学校防衛学教育学群統率・戦史教育室長
28年3月  第1施設団長兼古河駐屯地司令 陸将補

【注記】

このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。

主要経歴については、将補以上の階級のものにあっては防衛年鑑あるいは自衛隊年鑑も参照。

自衛官各位の敬称略。

※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的に加工して用いているものがある。

【引用元】

防衛省陸上自衛隊 古河駐屯地公式Webサイト(顔写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/kogasta/3sirei.html

防衛省陸上自衛隊 フォトギャラリー(震災活動写真)

http://www.mod.go.jp/gsdf/fan/photo/dro/

防衛省 防衛白書公式Webサイト(PKO派遣隊画像)

http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1993/w1993_03.html

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする