【退役】清田安志(統合幕僚学校長・陸将)|第29期・陸上自衛隊

清田安志(きよた・やすし)は昭和37年8月12日生まれ、北海道旭川市出身の陸上自衛官。

防衛大学校第29期の卒業(電気工学)で幹候66期、出身職種は航空科だ。

 

令和2年8月25日(2020年8月25日)、 統合幕僚学校長・陸将として、長きにわたる自衛官生活にピリオドを打った。

前職は第6師団長であった。

なお、第6師団長であった時の指導方針は以下の通りであった。

 

【統 率 方 針】「事態即応」「任務完遂」

【要 望 事 項】「向上心の堅持」「健全性の保持」


(画像提供:陸上自衛隊第6師団公式Webサイト やまなみ29年12月号より)

また一人、国民の誇りとも言える自衛官が、長きにわたる国防の現場から退いた。

統合幕僚学校長としてその職務を終えた、清田安志・陸将だ。

令和2年8月の退役式から既に10日あまりの時間が経ってしまったが、その足跡を改めてご紹介したい。

 

ご存知のように統合幕僚監部はかつて、「統合幕僚会議」という名前のもとに、抑制的であった統合運用を担う組織から様変わりしている。

名実ともに、我が国の国防の責任者・実務担当者が選りすぐられる、安全保障の中枢とも言える名実が伴った組織だ。

当然のことながら、統合幕僚学校も陸海空自衛隊の最高幹部を教育する機関として「自衛隊の最高学府」になりつつあり、ますますその存在感を高めている。

おそらく近い将来、陸海空に分かれているCGSやTAC、CSなどといった幹部教育も本校に一本化され、ますます3自衛隊の統合運用が進められていくのではないだろうか。

清田はそんな時代にあって、師団長という稀有な将官経験を経て、次世代を担う若き幹部の教育を自衛官生活の最後に担当した。

(画像提供:統合幕僚学校公式Webサイト

陸自の幹部としての活躍に、もはや多くの言葉は要らないだろう。

航空科の幹部として、もっとも誇りあるポストを歴任したキャリアは多くの人が知るとおりだ。

中部方面航空隊長、第1ヘリコプター団長と、航空科の幹部としてもっとも誇りあるポストを歴任し、そして空中機動旅団と呼ばれる第12旅団では、旅団長を務めた。

平成16年には「ヒゲの隊長」を支えるイラク復興業務支援隊の第1次隊幹部として、文字通り命の危険が掛かる任務に赴いている。

日本の国益と世界の平和のために尽くし続けたその誇りある人生を改めて振り返り、心からの敬意を感謝を申し上げたいと思う。

 

本当にお疲れさまでした、ありがとうございました。

清田陸将の第二の人生がますます充実したものとなり、自衛官人生と同等かそれ以上にやりがいのあるものとなりますよう、お祈り申し上げております。

 

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以下は、前職までの間に記載していた清田の記事

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2018年9月現在、第6師団長を務める清田だ。

なお上記写真、平成29年度第6師団レンジャー養成訓練の帰還式の模様だが、この時の担当は第44普通科連隊。

帰還式では、連隊長がレンジャー徽章の授与を行う場面を多く見かけるが、この時は師団長である清田が自ら授与にあたり、帰還隊員たちをねぎらった。

変わらぬ光景とはいえ、やはり帰還式でレンジャー徽章を首からかけられる隊員たちの姿は感動的であり、そして誇らしげだ。

第6師団長の仕事としてとても印象に残る1枚だったため、清田のご紹介で冒頭に貼らせて頂いた。

 

さて、その清田である。

2018年夏の将官人事で多くの将官が勇退した第29期の陸将であり、今まさに、国防の中枢でもっとも重い責任を担っている。

航空科出身の最高幹部であり、各地の現場で指揮を執ったが、さすがに師団長に昇るようなキャリアを誇る幹部だ。

その経歴はどれも特筆することばかりだが、敢えて一つ上げるとすれば、それは航空科出身の最高幹部にとってもっとも名誉なポストのひとつ、第1ヘリコプター団の団長であろうか。

第1ヘリコプター団は当時、中央即応集団隷下にあり(現:陸上総隊隷下)、第1空挺団や特殊作戦群とともに最も厳しい現場に、誰よりも早く到達することを任務とする。

我が国の安全保障政策上、その存在は飛車角とも言える大駒であり飛び道具でもある、陸自の根幹をなす部隊の一つだ。

清田はその第1ヘリコプター団長を、平成23年4月から務めた。

 

なお平成23年4月といえば、まだ記憶に新しいだろう。

東日本大震災の発生を受け、福島第一原発に上空のヘリから果敢に放水を行ったのがこの第1ヘリコプター団であったが、あの衝撃の光景からまだ1ヶ月も経たない頃合いだ。

清田が指揮官として赴任した現場はまさに国防の最前線であり、命知らずのあの最精鋭たちを任され、引き続き困難な、東日本震災の復興・復旧活動にあたることになった。

陸路が破壊され要救助者が点で孤立してしまったあの災害では、陸自のヘリコプター部隊は文字通り、縦横無尽の活躍で人命救助から支援物資の運搬、急患の輸送などでフル稼働に動く。

いわば清田は、もっとも厳しい任務を任される部隊の指揮官に、自衛隊がかつて直面した中でもっとも厳しい局面で配置されたわけだが、その活躍は国民の負託に応える十分なものであったこと、改めて説明の必要は無いだろう。

おそらく長かった清田の自衛官人生の中でも、もっとも記憶に残ったポストの一つになったのではないだろうか。

 

では、そのように重要なポストを任されてきた清田とはいったいどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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