出口佳努(海上幕僚副長・海将)|第30期相当・海上自衛隊

出口佳努(でぐち・かつと)は昭和37年6月23日生まれ、大阪府出身の海上自衛官。

岡山大学を昭和61年3月に卒業し海上自衛隊に入隊しているので、幹候は37期で防衛大学校第30期相当の入隊ということになる。

平成31年4月(2019年4月) 海上幕僚副長・海将

前職は統合幕僚学校長であった。

(画像提供:防衛省統合幕僚学校公式Webサイト

(画像提供:防衛省統合幕僚学校公式Webサイト

2019年4月現在、海上幕僚副長のポストにある出口だ。

直近、海上幕僚長には海上幕僚副長からの昇格が2代連続で続いており、指定職の号数でこそ3号だが、海自の中で非常に大きな存在感のあるポストとなっている。

なお海上自衛隊には、「海上幕僚長直前ポスト」といえる補職は4つあるが、その状況は以下の通りとなっている。

・自衛艦隊司令官(5号・9回)

・海上幕僚副長(3号・8回)

・横須賀地方総監(5号・7回)

・佐世保地方総監(5号・6回)

※号数は2019年4月現在での指定職号数。回は後職で海幕長に着任した回数。

以上のようになっており、指定職で言えば「格下」のポストである海上幕僚副長が、実は自衛艦隊司令官と同等に、人事の運用上では最重要ポストの一つになっているのが海上自衛隊の特徴だ。

ちなみに航空自衛隊でも同様に、現職の航空幕僚長である丸茂吉成(第27期)など、航空幕僚副長から航空幕僚長に昇る人事は通常のルートだが、陸上自衛隊ではこのような運用になっていない。

過去に例がないわけではないが、現状の運用では指定職号数通りに、方面総監に昇る前のポストとして位置づけられている。

さて、そんな要職中の要職に着任するほどの出口である。

そのキャリアはいずれも印象深いものばかりだが、敢えて一つ挙げるとすれば、それは前職の統合幕僚学校長のポストだろうか。

出口は岡山大学の卒業生であり、防衛大学校を卒業していないが、一般大学卒業生が統合幕僚学校長に着任するのは、事実上、史上初めてであったと言って良いだろう。

正確には、第21代校長の坂入和郎以来史上2人目ではあるのだが、坂入が校長に着任した時期は、「空白の80年代」のことだ。

かつて自衛隊では、1980年代まで陸海空の幹部は戦前の日本軍出身者で占められており、防衛大学校1期生が供給されるまで、陸士や海兵出身者が戦後の国防を担い続けてきた。

そして防衛大学校1期生が将に昇り、最高幹部として活躍し始めたのが1980年代後半である。

つまり、1980年代初頭から半ば頃にかけての時期は、まだ防衛大学校出身者が将に昇る年次に達しておらず、その一方で陸士や海兵出身者は定年を迎え、そのほとんどが退役してしまうという「人事の空白」が発生してしまった。

そしてこの時期、今から見れば極めて「異様」と言っても良いかもしれないが、陸海空の幕僚長も一般大学出身者で占められ、主要ポストも全て一般大学出身者が着任していた。

陸自において、全ての方面総監が一般大学出身者である時代など、後にも先にも2度と起こり得ない現象だろう。

いわば、軍事専門大学で学んだ経験がない幹部によって、国防の舵取りが為されていたわけだが、近代国家としてはかなりレアな現象であった。

そして坂入はこの時期に統合幕僚学校長に着任しているので、言わば一般大学出身者しか候補者がいない中での、学校長着任になった。

そのため、防衛大学校出身者を含め候補者が多くいる中で、一般大学出身者が統合幕僚学校長に選ばれたのは、出口が史上初と言って良いだろう、という意味である。

これもまた、出口の「凄さ」をうかがい知ることができる人事の一つと言って良さそうだ。

では、それほどの傑物である出口とは、これまでどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。

少し詳細に、その経歴を見ていきたい。

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