丸茂吉成(まるも・よしなり)は昭和34年8月生まれ、群馬県出身の航空自衛官。
防衛大学校第27期の卒業で幹候73期、出身職種は飛行で戦闘機のパイロットだ。
平成29年12月(2017年12月) 航空幕僚長・航空幕僚長たる空将
前職は航空幕僚副長であった。
(画像提供:航空自衛隊公式Webサイト)
(画像提供:航空自衛隊航空総隊公式Webサイト)
2019年1月現在、航空自衛隊のトップ、航空幕僚長を務める丸茂だ。
座右の銘は24/365(24時間365日)であり、常在戦場の心構えで厳しい任務を担い続け、
航空自衛隊の頂点を極めた。
なお、この座右の銘は自らの決心を表しているだけでなく、
「航空自衛隊の隊員は、厳しい自然環境や離島、山奥のレーダー基地などでも、24時間365日、休むこと無く任務にあたっていることをより多くの国民に知ってほしい。」
という願いも込められている。
さすがに最近は自粛してると思うが、西部航空方面隊司令官時代にあっても自らT-4戦闘機を操縦し全国を移動していたほどに、現場に足を運び、現場目線を忘れない。
その丸茂だが、意外に思われるかも知れないが、航空自衛隊に入隊した動機は「なんとなく」であった。
高校3年生の時に友人から誘われ防衛大学校を受験したら合格してしまい、「なんとなく」入学。
しかもこの時、丸茂を誘った友人は防衛大学校に入学していないというのだから、運命のいたずらを感じずにはいられない。
さらに、航空自衛隊に入隊した丸茂は、パイロットになる道を選び厳しい訓練に励むが、この時も「余り長く自衛隊にいるつもりはなかった」というのだから驚く。
気合の入ったイケイケの若手幹部という姿からは程遠く、目の前の任務を淡々と、しかし確実にこなしながら過ごした、防衛大学校~パイロット訓練生時代であったそうだ。
その丸茂の決心が変わったのは、初任地である石川県の第6航空団時代。
戦闘機パイロットとして昭和61年8月、同地に配置された丸茂はロシア相手に連日、昼夜の区別なくスクランブルで空に上がり続ける。
そしてロシアの軍用機が我が国の国境付近で挑発的な動きを繰り返し、野心を隠そうとしない厳しい国際社会の現実を肌感覚として実感した時、
「この任務は、誰かがやらなければならない」
「であれば、自分がやろうじゃないか」
と、戦闘機のコクピットから見える光景に心を決めたそうだ。
こうして「なんとなく」自衛官になり、「長くやるつもりはなかった」若手幹部は操縦桿を握る手に力を込め直し、連日の厳しい任務に正面から向かい続けた。
それからおよそ30年後。
4つ星(航空幕僚長たる空将)の階級章を両肩に背負った丸茂は、上記画像1枚目、ヘザー・ウィルソン米空軍長官を防衛省に迎える立場になった。
眼の前の不審機を追いかけながら世界平和に重い責任を担うことを決心した青年は今、その決心を実現させ米国と共に世界の平和にも大きな責任を担っている。
トップに昇り詰めた最高幹部の、意外なエピソードである。
では、そんな丸茂とはこれまで、具体的にどのようなキャリアを歩んできた幹部なのだろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
幕僚長は一体誰が決めるのですか。防衛大臣、総理大臣、現幕僚長後継指名?
指定職人事ですので、内閣総理大臣ということになりますね。
もっとも、実務として誰が決めているのか、というのは別の問題かもしれません。