高原敏訓は昭和41年12月11日生まれ、兵庫県赤穂市出身の陸上自衛官。
防衛大学校第33期の卒業で幹候70期、職種は普通科だ。
平成30年3月(2018年3月) 第50普通科連隊長・1等陸佐
前職は陸上自衛隊高等工科学校総務部長であった。
なお、第50普通科連隊長としての指導方針は以下の通り。
【統率方針】
『明るく前向きに』
【連隊長要望事項】
『基本、基礎の確行』
『心身の維持、増進』
(画像提供:陸上自衛隊第50普通科連隊公式Webサイト)
(画像提供:陸上自衛隊第50普通科連隊公式Webサイト)
2019年5月現在、高知に所在する第50普通科連隊で、連隊長を務める高原だ。
第50普通科連隊は四国を護る第14旅団隷下の軽編成部隊であり、軽武装と高機動力を活かした戦闘を得意とする。
2018年3月の陸自大改革以来、陸上自衛隊がもっとも重視する機動力を備えた南国の精鋭部隊だ。
さて、その精鋭部隊を率いる高原だが、その高原を巡ってはどうしても、その原隊について少しお話したいと思っている。
高原が幹部候補生学校を卒業し、初任地として配属された原隊は、今はなき第9普通科連隊。
第2師団隷下、旭川に所在していた普通科連隊だが、何か違和感がないだろうか。
おそらく自衛隊関係者でなくても、陸上自衛隊において「旭川」という都市が持つ、特別な意味を知る人は多いはずだ。
日本陸軍以来の北海道最大の軍都であり、戦後も対ソ連(ロシア)戦闘の最前線を護る第2師団の司令部が設置されている都市である。
2019年5月現在でも第2師団司令部の他、第26普通科連隊第4中隊、第2特科連隊、第2後方支援連隊、第2高射特科大隊、第2施設大隊、第2通信大隊、第2飛行隊、第2化学防護隊、第2音楽隊など対ロシア戦闘における主力となる部隊が駐屯している。
ちなみに、一つの都道府県に1社が原則である護国神社も、北海道の名前を冠した「北海道護国神社」は札幌ではなく、ここ旭川駐屯地の目の前に所在する。
他に護国神社は、北海道には2社あるが、いずれも名前は「札幌護国神社」であり、「函館護国神社」だ。
それほどまでに、ここ旭川の地は明治維新以来、北海道の軍都であり続けたことがおわかり頂けるのではないだろうか。
そして高原が初級幹部時代を過ごした第9普通科連隊は、この旭川に所在する、自衛隊でも屈指の精強さを謳われた、伝説とも言える程に数々の実績を残し続けた精鋭部隊であった。
そもそもが師団長お膝元であり、軍都旭川の象徴のような普通科連隊であったのに、平成7年3月(1995年3月)に廃止されてしまったのである。
高原が入隊7年目を過ごしていた時であり、高原はこの廃止によって同じ北海道の遠軽駐屯地に異動することになった。
ではなぜ、これほどまでに精強な部隊が廃止されることになってしまったのか。
もちろん一義的には、限られた防衛予算の中から普通科連隊の削減を大蔵省(財務省)から求められたという背景がある。
そして当時、北部方面隊からも普通科連隊の廃止を求められた時、第2師団隷下ではいずれの部隊を廃止するのかが検討された。
なお、第2師団隷下に所在する普通科連隊は当時、名寄の第3、旭川の第9、遠軽の第25、留萌の第26である。
このうち名寄(第3)と留萌(第26)は、対ロシア戦闘の最前線を護る部隊であり地理的に廃止は想定できない。
遠軽に関しては、冬季戦技に非常な強さを発揮する極めて精強な部隊ではあるが、対ロシア戦闘という意味では喫緊の脅威を抱えている部隊ではない。
同様に旭川の第9も、内陸に所在することから開戦劈頭に最初の火力を投入するというよりも、後詰めとして有事に駆けつける位置づけであった。
つまり、第9もしくは第25を廃止すると言うことで検討が為されたわけだが、しかし常識的に考えて、第2師団長のお膝元を護る第9普通科連隊の廃止は通常想定できないだろう。
その結果、遠軽の第25が廃止される方向で、陸自の再編計画は進められることになった。
その一方で、もし遠軽の第25を廃止してしまうと、陸自は道東北部に一線級の部隊を持たないことになってしまう。
さらに自衛隊駐屯地の存在は、やはり地元経済に対してお金を落とすという意味でも、非常に重要な存在だ。
遠軽から陸自の一線級部隊が撤退するとなると、地元の廃れ方は本当に洒落ならないことになる。
そのような事情に加えて、最終的に、北海道でいろいろとヤンチャをする”あの人”である。
”あの人”が政治力を発揮したことにより、第25の廃止方針が一転してひっくり返され、第9が廃止されるという急転直下の最終決定が為されることになった。
そして本当に、平成7年、日本陸軍以来からの伝統である旭川の地から普通科連隊が姿を消した。
そして高原は、最後まで第9と「廃止を争った」第25普通科連隊に異動になり、遠軽へと拠点を移すことになった。
とはいえ本当に、遠軽に所在する第25普通科連隊は、冬季戦技を始めとした諸戦闘で無類の強さを誇る部隊だ。
”風雪磨人”を合言葉にした、極めて過酷な自然環境の下で鍛錬を積む精鋭部隊は我が国の宝であり、私(管理人)も一番大好きな駐屯地の一つである。
しかしそれと同等に、第9普通科連隊も非常な精強を謳われていた部隊であり、その廃止は本当に残念でならなかった。
これほどの究極の二択もなかなかない程に厳しい廃止方針ではあったと思うが、ただそれだけに、陸自の手により軍事合理性の結果として、いずれの部隊を廃止するのか。
最後まで検討し、意思決定をして欲しかったと残念でならない。
本当にこの国の政治家は、時にロクでもない関わり方をして国の根本である軍事組織のあり方まで破壊することに、私たち国民はもっと真剣に監視の目を向けなくてはならない。
ちなみにその管理人がもっとも許せないと考えるのは、小泉政権下でまとめられた中期防衛力整備計画2005であるが、話が長くなるのでそれはまたの機会にしたい。
では、そんな陸自の最精鋭部隊の一つである第9普通科連隊で原隊を過ごした高原とは、その後どのようなキャリアを歩んだのであろうか。
少し詳細に、その経歴を見ていきたい。
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