※柏瀬空将補は2018年12月、第7航空団司令兼ねて百里基地司令のポストを最後に退役されました。
柏瀬静雄は昭和36年8月生まれ、群馬県出身の航空自衛官。
防衛大学校第28期の卒業で84幹候、出身職種は高射だ。
平成27年12月(2015年12月) 第7航空団司令兼ねて百里基地司令・空将補
前職は作戦システム運用隊司令兼ねて横田基地司令であった。
2017年9月現在で柏瀬が補職されているのは第7航空団司令兼百里基地司令。
茨城県小美玉市に所在する部隊で、関東で唯一の戦闘航空団であり、首都圏の防空を担う航空部隊の精鋭だ。
2017年9月現在では、航空自衛隊で唯一、F-4EJ戦闘機のみで編成される部隊として知られる。
F-4戦闘機はすでに半年以上も前、1960年に運用が始まった航空機であり、開発元のアメリカでは1996年に全機が退役したにも関わらず、航空自衛隊ではそれからさらに20年が経過した2017年現在も、最前線の現役で我が国の空を守り続けている。
本国での維持・運用を諦めたにも関わらず、航空自衛隊において1線級で活躍できるのは、ひとえに航空自衛隊が誇る技術者の尽力によるところが大きい。
日米での合同軍事演習においても、F-4戦闘機が現役であることを初めて知り、驚く米国の若手将校も多いと言うが、それほどに我が国の整備スタッフには卓越した能力を持つ隊員が揃っているということであろう。
そしてそのF-4戦闘機だが、ここ百里基地に配属されたのは今を遡ること45年前の昭和47年(1972年)8月。
第301飛行隊がその受領部隊であり、ここ百里には臨時F-4飛行隊が編成され、最新鋭の戦闘機に対する機種転換操縦課程が連日繰り返されることになった。
そしてパイロットたちは過酷な転換訓練に明け暮れることになるが、その臨時飛行隊長を務めていたのは尾崎義弘2空佐。
ここ百里の地を根城に、我が国の首都を必ず守り通すことに強い使命を感じていた当時39歳のベテラン戦闘機パイロットで、若手の指導教育を兼ねて丁寧な機種転換訓練を行う。
しかしその翌年の昭和48年5月1日。
その尾崎義弘と阿部正康1空尉が搭乗する304号機は突然空中爆発を起こし、2人の精鋭パイロットは帰らぬ人となってしまう。
当時、尾崎義弘には8歳になる尾崎義典というかわいい息子がいたが、冷戦真っ只中、我が国の防衛を確かなものにするためにするため過酷な任務に従事していた父は二度と息子を抱くことが叶わなくなり、そして尾崎義典は殉職により父を失い、強く大きかった父の姿の記憶のまま永遠に、最愛の父を失った。
軍事組織という性質上、殉職という悲しい事故は避けられないのかもしれない。
特に最新鋭の戦闘機で、まだ十分に技術が確立されておらず、なおかつ運用実績のない装備を導入する時であればなおさらであろう。
とはいえ家族にはそんな事情は関係ない。
尾崎の遺族は最愛の父であり夫を失ったことで悲しみの淵に沈み、まだ8歳であった義典はその後、一時期学校にも行かなくなり、目的意識を失ったかのような生活を送ったこともあったという。
しかしながら、我が国の最新鋭戦闘機を任され、なおかつ臨時飛行隊長の任にあった男の息子だ。
そのまま腐るようなわけがない。
その後、防衛大学校を受験し見事合格したばかりでなく、父の後を追い、F-4EJ戦闘機のパイロットになってみせ、見事に父の思いを受け継ぎ活躍することになった。
その男の名はもちろん尾崎義典(第32期)。
2017年9月現在で空将補の地位にあり、第1輸送航空隊司令兼ねて小牧基地司令の重責を担っている。
その後、尾崎2佐が育てた301飛行隊は昭和60年(1985年)、新田原基地に移駐するも、平成28年(2016年)、30年ぶりにこの百里の地に戻ってきた。
柏瀬が指揮を執る百里基地には、このようなドラマがあり、半世紀の間にこの基地で、あるいは隷下の航空隊では幾多のパイロットたちが任務につき、そして我が国の空の安全を守り続けた。
その歴史ある百里基地を任された柏瀬の責任は重く、航空自衛隊内外の期待は大きいといえるだろう。
そしてその百里基地だが、2017年10月、3年に1度の航空観閲式が行われる。
もちろんその際の基地司令は柏瀬であり、国内外の要人が集まる場において我が国の航空部隊を披露する大役を担うことになる。
おそらく柏瀬にとって、自衛隊入隊以来のもっとも大きなイベントになり、一生忘れえない任務になるだろう。
航空観閲式2017は、この記事をポストしている時から1ヶ月ほど後である。
今はまさに、基地を挙げての準備に大変な時期であろうと思うが、この大役を見事にこなすこと。
そして首都圏の防空を確かなものとして、更に我が国の安全保障を確かなものにし、今後も活躍することを心から期待したい。
※
文末駄文だが、そのため2017年の百里基地航空祭は開催されない。
航空観閲式には入れてもらえないので、一般人にとっては淋しい限りだ。
◆柏瀬静雄(航空自衛隊) 主要経歴
昭和
航空自衛隊入隊(第28期)
平成
7年1月 3等空佐
11年1月 2等空佐
12年2月 航空幕僚監部補任課
13年8月 第2高射群第8高射隊長
15年12月 航空幕僚監部情報通信課
16年7月 1等空佐
17年3月 幹部学校付
18年4月 航空幕僚監部渉外班長
19年7月 作戦情報処理群司令
20年8月 航空幕僚監部情報運用室長
21年12月 静岡地方協力本部長
23年8月 航空自衛隊幹部学校主任教官
25年4月 作戦システム運用隊司令兼ねて横田基地司令
27年12月 第7航空団司令兼ねて百里基地司令 空将補
【注記】
このページに使用している画像の一部及び主要経歴は、防衛省のルールに従い、防衛省のHPから引用。
自衛官各位の敬称略。
※画像はそれぞれ、軽量化やサイズ調整などを目的とし、軽量化処理やオリジナルからトリミングし切り取って用いているものがある。
【引用元】
防衛省航空自衛隊 百里基地公式Webサイト(顔写真)
http://www.mod.go.jp/asdf/hyakuri/from_commander.html
コメントを残す