尾崎義典(統合幕僚監部総務部長・空将補)|第32期・航空自衛隊

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尾崎義典(おざき・よしのり)は昭和40年12月7日の宮崎県生まれ、北海道出身の航空自衛官。

防衛大学校第32期の卒業で幹候78期、出身職種は飛行でF-4戦闘機のパイロットだ。

 

平成29年12月(2017年12月) 統合幕僚監部総務部長・空将補

前職は第1輸送航空隊司令兼ねて小牧基地司令であった。

 

なお尾崎の出身地については、防衛年鑑2018年度版には埼玉県と記載があるが、統合幕僚監部の公式プロフィールには北海道出身とあるのでこちらを優先する。

住所不定の幹部自衛官は、たまに出身を現住所(自宅所在地)としていることもあるので、あるいは尾崎もそのような事情なのかもしれない。


(画像提供:航空自衛隊小牧基地公式Webサイト


(画像提供:防衛省防衛白書2004公式Webサイト

2018年10月現在、統合幕僚監部で総務部長の要職を務める尾崎だ。

さていつもであれば、その経歴から目立つポジションについて書き出すところだが、尾崎についてはさっそく、その経歴を詳細に見ていきたい。

 

尾崎が航空自衛隊に入隊したのは昭和63年3月。

1等空佐に昇ったのが平成19年1月であったので、32期1選抜となるスピード出世だ。

空将補に昇ったのは26年8月だったので、同期1選抜から1年遅れと言うことになるが、そもそもが将官に昇る幹部の数が少ない航空自衛隊である。

1年遅れの将官昇任であれば、1選抜と同様にトップエリートの一人であると言って良いだろう。

 

そしてその尾崎の経歴だが、こちらも戦闘機パイロットをこなす一方で、幹部自衛官としての活躍も非常に目立つ内容となっている。

職種部隊での勤務では、沖縄の第83航空隊を皮切りに、青森の三沢に所在する第3航空団、新田原の第5航空団飛行群司令、第5航空団司令、第1輸送航空隊司令などの要職を歴任。

その一方で、米国空軍士官学校の交換幹部として米国に渡るなど、航空自衛隊の最高幹部に必須である米国通の素養を磨く。

そして平成14年8月からは、イラク戦争後の中東政策を指揮する米中央軍司令部に派遣され、連絡官に着任。

なおこの際の連絡官は、米軍の中東政策の狙いと真意を探り出し、我が国の防衛政策に反映させるための極めて重要なポジションだ。

対応を間違えれば、我が国の国益を大きく損なう非常に重要なポジションに、2等空佐であった尾崎は抜擢されている。

なお上記画像2枚めが、その米中央軍司令部の連絡官を務めていた36歳の頃の若き尾崎だ。

さらに平成20年6月からは、エリートの指定席と言ってよいだろう米国防衛駐在官にも抜擢され、我が国にとって最大の同盟国との”軍人交流”に、非常に大きな成果を残している。

非常に充実したキャリアを誇る、エリートらしい経歴と言ってよいだろう。

 

では次に、その尾崎と動機である32期組の人事の動向について見てみたい。

32期組は、最初の空将補が選抜されたのが2013年夏の将官人事であった。

そして、最初の空将が選抜されるのは2019年夏の将官人事となるだろう。

そのため、空将補にあるものが同期の出世頭となるが、2018年10月現在でその任にある幹部は以下の通りだ。

 

鈴木康彦(第32期)・航空幕僚監部人事教育部長(2013年8月)

阿部睦晴(第32期)・航空幕僚監部装備計画部長(2013年8月)

柿原国治(第32期)・航空総隊司令部幕僚長(2014年3月)

尾崎義典(第32期)・統合幕僚監部総務部長(2014年8月)

川波清明(第32期)・航空幕僚監部運用支援・情報部長(2015年8月)

上境賢己(第32期)・第1術科学校(2015年12月)

岩城公隆(第32期)・第4補給処長(2016年12月)

※肩書きは全て2018年10月現在。( )は空将補昇任時期。

※2018年夏の将官人事で昇任した空将補については、期別未確認のために追記する可能性あり。

 

以上のようになっており、まずは鈴木、阿部、柿原、尾崎の4名までが、2019年夏の将官人事で1選抜の空将に昇任する候補者となるのではないだろうか。

 

ところで、尾崎はなぜ航空自衛隊に入隊し、F-4戦闘機のパイロットになる道を選んだのか。

幹部自衛官の中には、父親が自衛官であったからという理由で国防を志した者も少なくないが、尾崎もまたその一人だ。

そしてその運命は、少し数奇な経過をたどっている。

次ページでは、その尾崎の人生とパイロットとしての尾崎について、少しご説明したい。

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6件のコメント

あのとき、見つかった遺品が百里基地に帰り、干したりして遺骨と尾崎の名前が書れ、びっくり!よく覚えます。葬儀が行われて、Fー4の301SQが新田原基地に移動で、手を振って見送りしました。Fー15の204SQ創設され、私も任期退職して自転車日本一周して全国各地航空自衛隊基地を回り小松基地司令杉山蕃と会い、元百里飛行群司令で知っており、今年春、靖国で特攻隊戦没慰霊祭で33ぶり杉山さんと会いと願い東京に上京。良い慰霊でした。一期一会ありがとうございました!

松田様、コメントありがとうございました。
まさかその時に、現場におられた人生の大先輩からコメントを頂けるとは思わず、臨場感のあるお話に目頭が熱くなる思いです。
本当にありがとうございました!
尾崎空将補のお耳にも入ればよいのですが・・・。
大変光栄な書き込みを頂きまして、感謝します。
また宜しければ、遊びに来て下さい!

尾崎氏、現在は空将に昇任され、南西航空方面隊司令官を務められていますね。
昨年私が拝見した、空自のF‐4戦闘機の退役について取り扱っていたANNのニュース番組で、インタビューに答えておられました。そのインタビューの中で、殉職された御父上とF‐4戦闘機について「父にもファントムにもありがとうと言いたい。」と述べておられたのが印象に残っています。
殉職された御父上の遺志を受け継ぎ、F-4戦闘機のパイロットとして活躍されてきた尾崎空将ですが、F-4戦闘機が退役した今、今後も空自の最高幹部として大いに活躍して頂きたいと思います。
個人的には、空幕長に昇ることがあるのか、注目しています。

Mr.Smithさま、コメント頂きましてありがとうございました。
記事の更新ができておらず、申し訳ございません・・・

そちらの番組、私も読者の方から送って頂いた動画で見ました!
カッコよかったですね~
空幕長!
どうでしょうね~
出世ルートとしては順当なところですが、もしそんな事になったら、殉職されたお父様がビックリして化けて出てきそうです(笑)

現在(令和4年6月)、大ヒット上映中のトップ・ガン マーベリックから、虎ノ門ニュース、織田元空将のお話に行き着き、そしてこのサイトに辿り着いた者です。私も、40年ほど前、そして、短い年月とはいえ、海自の情報畑で事務官として勤務しておりました。
当時も、パイロットである御主人様を事故で亡くされた未亡人がいらっしゃいました。
誇りをもって、日々任務を全うされている方々に、改めて深い感謝と敬意を表します。

Kaoru Delonさま
コメントを頂きましてありがとうございました!
また、記事をご覧いただき大変光栄です。
尾崎空将、本当に親子鷹でかっこいいですよね・・・

ありがとうございました!
^^

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